Yahooブログの閉鎖に伴い、本ブログもAmebaブログにお引っ越し致します。
この記事がちょうど1,400記事目になりますので、きりが良いところで1,401記事から新たなブログにスイッチ出来たらと思っています。
およそ379,000もアクセスして頂いて、拙い文章を読んでいただいている方に感謝です。
もともと、文章を書くのが好きで、子どもの頃もの書きになるのを憧れた夢を、ブロンプトンという旅の道具を手に入れて、こんな形で表現しているだけなのです。
そして、ずっとブログを投稿させていただいたYahooさんにも感謝です。
これからも、目的と手段を倒置しないように気をつけながら、ブロンプトンで坂道をのぼるように、時には押し歩きしながらでもとことこと書いてゆこうと思います。
お引っ越し先のURLは下記の通りです。
今後ともよろしくお願い致します。
と、これだけでは物足りないので、最近思ったことを書いておこうと思います。
それは、KE(=大韓航空)の日本路線縮小についてです。
(KEってIATA(国際航空運送協会)コードで呼ぶのが、旅人の通例でした)
とはいえ、歴史認識や政治についてではありません。
どこの国の人であれ、またどんな状況にあれ、感情的になっている人とは距離を取るのが一番だと思います。
最近は、国内においてもあちこちでキレる人を見かけます。
なお、後ろ暗い感情や自己中心的な欲望を糊塗し、平静を装っている人も増えていますから、見た目では判断つきにくいわけですが、少し観察しているとすぐに馬脚を現します。
どうしても距離が取れないようなケースなら、突っかかってくる都度、黙って鏡を差し出し続けるという手しかないみたいですけれど。
あ、じゃなくて大韓航空のことでしたね。
大学生でバックパッカーをやっていた80年代、ヨーロッパへ格安で行こうと思ったら、キャリア(航空会社)は大韓航空(KE)かアエロフロート(SU)の2択でした。
でも、大韓航空の方はPO(北極回り)ルートだからソウル金浦―アンカレッジと乗り換えと給油が必要でした。
それに、航法ミスで銃撃されたり撃ち落とされたりしていたから、評判が悪かったのです。
アエロフロートは、まだ西側の航空会社に開放していなかったTS(トランス・サイベリアン)ルートで時間短縮されるものの、モスクワのシェレメエチェボ空港でトランジット(乗り継ぎ)ビザが必要な場合がありましたし、ソビエト連邦の末期ですから機材、地上設備とも、お世辞にも安全とは言い難かったのです。
その後、私が旅行会社にいた90年代、1988年のソウルオリンピック後の話ですが、大韓航空は幹線ばかりでなく日本の地方都市へと、路線数を増やしていました。
2001年、ソウル特別市の西隣に仁川国際空港が開港してから、この傾向はさらに加速しました。
理由は、日本の成田空港とハブ空港の座を争っていたからです。
中には、羽田との国内線ですら一日2往復しかない空港に、週2とか3でKEがソウルからやってくるのです。
つまり、日本の地方に住む海外旅行者は、自宅から成田に出てそこから直行便に乗ると、出発便の時間によっては成田に1泊しなければならなくなるので、自宅最寄りの地方空港から大韓航空で仁川に飛んでそこで乗り換えれば往復の搭乗時間を短縮できるというものでした。
当時は韓国人の海外旅行者数は今のように多くはありませんでしたから、日本人の地方在住の海外旅行客をターゲットに路線を開設していたわけです。
けれども、日本を発着する国際線運航会社や、日本の旅行会社にとって、それらの路線はたまったものではありませんでした。
団体客やFIT客の航空運賃というのは、発着地ベースで値段が決められています。
成田発と、関空発では同じ航空会社の同じ目的地便でも、卸値が別枠だったのです。
これは、例えばハワイや西海岸主要都市など、成田との間に複数の航空会社(同一機材の中にコードシェア便として分けて座席が設定されている場合も含む)がある場合、航空会社と旅行会社の間で決める卸値が、競合で安くなるのです。
逆に、グァムやハワイと同じアイランドリゾート便でもタヒチやフィジー線は、AF(エールフランス)が週2便運航しているきりですから、航空運賃も高止まりで、格安の団体旅行が組みにくいわけです。
当然、日本の地方空港発仁川乗り換えの欧州行きの場合、大韓航空しか飛んでいないわけですから、彼らが自由に団体運賃を設定でき、そこに日本の航空会社や旅行会社の競合が入る隙間は無かったのです。
しかし、今回の騒動でわりと簡単に路線を減らしているのをみて、時代が変わったのだと実感しました。
日本人の海外渡航者数は、2000年代に入ったころからほぼ頭打ちです。
しかも、地方ではどんどん居住人口が減少しています。
それこそ、地方のローカル空港は国内線ですら維持できるかどうかという状況です。
さらに、東京国際空港(羽田)の拡幅工事による国際線再乗り入れにより、羽田から海外へ出る渡航者も増えました。
国内線で羽田へ飛んで、そこから成田へ移動してという手間が省かれたばかりでなく、新幹線や高速道路網が整備され、田舎から都会へ出るのに以前ほど時間がかからなくなっている点も見逃せません。
そうすると、田舎から成田までゆくのと、羽田へ出るのではかなり差があるということなのでしょう。
それに加えて、日本人の人口が都市部に集中してきているということもあると思います。
要するに、かつて日本人の海外旅行客を取り込むことで潤っていた大韓航空の日本地方空港線は、もはや韓国からのインバウンド客が中心になっているということなのでしょう。
これは、韓国の海外旅行客が増加していることも要因だと思います。
日本の田舎にある農協の団体さんが、仁川乗り換えで海外へ、なんて構図はもう少なくなっているのでしょうね。
たしかに、今成田や羽田空港の中を歩いていても、職員を除く日本人の割合は著しく下がっている気がします。
現在の航空会社というのは、飛行機を自前で保持しているわけではありません。
あれは大概リース会社を通してレンタルされているのです。
リース料に見合う集客が望めないとなったら、わりと簡単に機材を縮小したり、路線を休止または廃止にしたりします。
航空自由化以来、路線の開設や廃止は以前よりも簡単にできるようになりました。
多大な燃料費と人件費を浪費して、空気だけ運んでリース料も払うなんて、会社としては考えられませんからね。
あのように躊躇なく路線休止や廃止をするところをみていると、旅行市場におけるアウトバウンド客とインバウンド客の逆転現象がよくわかります。
そして、海外旅行=高級、国内旅行=安近短でダサいというイメージでかつてはとらえられていた旅行市場も、インバウンドの割合が増えるにつれて、変化しているのでしょう。
昔だったら、語学堪能な旅行会社社員は間違いなくアウトバウンド市場に投入されていたのですが、今はインバウンド向けに、日本の文化を外国語で伝えることのできる、ただ外国語が喋れるだけではなく、日本語や自国の歴史文化、地理や風土に通暁していて、なおかつ相手の生活や文化に寄り添ったり、喩えたりしながら説明できるような人材が求められているのかもしれません。
それって、「やぁ、元気してた?最近の調子はどう?」「ぼちぼちでんな~」のような、気のおけないお喋りができるのとは語学レベルだけではなく、文化理解度も格段に深くなければ通じませんから、日本における国際教育も見直さねばならないのかもしれません。
もっとも、今は海外に育って日本で居住している人がたくさんいますし、彼らの子どもたちが日本で教育を受けて日本人として育ってきているので、その人たちに期待するというのも面白いのかもしれません。
そのためにも、純日本人たる自分は、もっと深く日本のことを学ばねばと思うのでした。