「小径車は小径がよく似合う」というダジャレを以前このブログにて書きましたが、あながち嘘ではありません。
そもそも、幅の広い通りというのは、スピードの出る乗り物、すなわち相対的にタイヤ径の大きな乗り物のために造られていると思うのです。
その点、道幅の狭い小路や路地裏は、交通法規のうえでも、実際にも主役が歩行者で、自転車など、スピードが出ない乗り物が次点になると思います。
ただ、自転車でも大径のタイヤを持ち、ある程度以上のスピードを出さないとその特性が活かせないロードバイクなどは、たとえばサイクリングロードなど、自転車専用道(とはいえ、歩行者もベビーカーも往来しているわけですが)がお似合いです。
ではブロンプトン(16インチ)のような小径車が、なぜ小径に似合うのか、ここでちょっと哲学してみたいと思います。
1.道の上を行き来している人、車両の絶対的なスピードが遅い
交通事故の起こりやすい要因の一つに、スピードの速い車と遅い車が同じ道を走るという因子があります。
つまり、高速道路のようにその道を走る車のスピードに大差が無ければ(最近はそうでもありませんが)事故の起きる確率が低くなるというものです
幹線道路などはその典型だと思うのですが、狭い路地を早朝に暴走する車などは「こんな朝早くに歩行者や自転車が走るはずはない」という仮説を自分で立てて暴走しているのでしょう。
しかし、今のご時世、お年寄りが大勢歩いていますから、大変危険です。
それは自動車の問題で、自転車としては、できるだけゆっくりと走り、見通しの悪い交差点や一時停止のある交差点は、徐行するなり、きちんと止まって左右確認することです。
その際、漕ぎ出しが軽いブロンプトンは、いちいち面倒くさいという感覚は、殆どありません。
2.大きな車両が入って来ない
道幅いっぱいに走ってくるトラックや路線バスは、幹線道路に設けられた自転車走行レーンを走っていても脅威です。
まだ土建屋さんたちが華やかりし頃、「ああ、ダンプ街道」(佐久間充著 岩波新書)という本を読んだのですが、トラックは死角が多くて、特に左折時の巻きこみ事故は、最初から最後まで歩行者や自転車に気がついていないという現実を知って、それからはなるべく大型車とは同じ道を走らず、距離を取った方が良いと思うようになりました。
実際、自分も背が高い車に乗っていますが、運転席とは逆の左側面下は本当に見えません。
しかし、大通りは車の流れが速いので、どうしても歩道を歩いたり走ったりしている歩行者や自転車に気付くのが遅くなります。
その点、最初から徐行している路地であれば、見落とす確率はぐっと減ります。
3.駐停車している車が気にならない
きょうび、路上に駐停車している車の数は、大通りも住宅街の路地も変わらないかもしれません。
しかし、避けて抜く際にほかに走っている車が少なく、スピードも遅い路地の方が、どれほど安全かと思います。
停車している車のドアがいきなり開くこともあるわけで、バイクに乗っていたころは停車中の車内に人がいる場合は、その人の動きまでみていましたが、視力が落ちた今はそこまで確認できません。
しかし、ゆっくり走っている路地であれば、対向車や後ろから来る車の無いことを確認したうえで、空間的に余裕をもって避けることが可能ですし、車内の人にも注意が向きます。
路線バスも、ブロンプトンの走行スピードがわりと早いので、環七などではちょうどシンクロしてしまい、乗降のためにバス停で停車しているバスを右車道側から(歩道側からは基本追い抜けません)追い越す羽目に陥ったこともあります。
この点、バスが入って来ない路地であればそんな心配は必要ありません。
4.信号が少ない
たとえば、品川の南、八つ山橋から鈴ヶ森交差点まで、京浜急行線を挟んで4km以上の距離を、旧東海道と国道15号線(第一京浜)は並走するわけですが、この区間の信号の数を比較してみます。
すると、旧東海道は間に踏み切り1、信号7つ(一時停止は一つもありません)に対し、第一京浜は17もあるのです。
しかも旧東海道は自転車を除く車両は北から南への一方通行のため、片側からくる車のみに注意していればよいのです。
この区間は、わざわざ国道を通る自転車は殆ど無いのも頷けます。
5.凸凹が少ない
自転車で車道を走ってみれば気付くのですが、幹線道路というのは、重量のある車も通過するため、路面がひび割れていたり、溝のように轍がへこんでいたり、穴があいていたりすることが多いのです。
また、工事していることが多く、工事の後の舗装し直しの跡も、あちこちに残っています。
小径車で実際に走ってみると、よく分かります。
そこで、やむをえず歩道を走りますと、今度は歩行者から睨まれ、歩道には車両が出入りするための凹凸や傾きがあり、また場所によっては歩道橋の設置などですれ違えないほど歩道が狭まっている箇所もあり、とても走りづらい状況です。
また、自転車を押し歩いて登れるようにスロープのついた歩道橋が設置されているような幹線道路同士の大きな交差点では、横断歩道も信号機も無いために完全に歩道が途切れており、否応なしに自転車を降りて歩道橋を渡る羽目に陥ります。
すなわち、幹線道路の歩道は、歩行者の安全のために自転車がなるべく走らないような構造になっているのです。
かといって、車道に出れば大型車が右左折専用レーンでひっきりなしに曲がっている状況で、直進する自転車が信号待ちするにはかなりの勇気が要ります。
6.夏は日影が多い
都心の幹線道路は、両側にビルが連なっていたり、高速道路が蓋をしていたりする関係で、わりと日影は多いのですが、少し郊外に出ると、幹線道路には日陰が少なくなります。
その点、小径は両側に家が立ち並んでいたり、場所によっては大きな樹が木陰をつくっていたりするため、都心でも郊外でも(真夏の真昼のように、太陽が中天にあるような場合を除いて)日影が相対的に多くなります。
夏に信号待ちなどで道路上に止まっている時、ジリジリと照りつける太陽と、道路からの輻射熱を避けることができるだけでも、ずいぶんと暑気あたりを防げます。
また、延々熱風を浴びながらスピードを出して走るよりも、涼しい風にあたりながらゆっくり走った方が、体力的ばかりでなく、精神的にも楽です。
また、渋滞中の車が存在しない小路では、道路周りの気温が大通りに比べて数段低いことを、自転車に乗っていると肌で実感します。
7.冬は風除けになる
夏とは反対に、道幅が狭く、両側に家並みや雑木林が続くような小径は、季節風をもろに受けずに済みます。
幹線道路の並木が、かなりなびいているような風の強い日でも、適度にくねくねと曲がっていて、なおかつ家屋や塀などで両側を囲われている路地は、自転車で走っていても無駄な体力を使わずに済みます。
それに、ランニングのベストシーズンは冬といわれるように、呼吸を整えて汗をかきながら一定の速度で自転車を走らせてゆくと、ランナーズ・ハイならぬ、チャリダーズ・ハイになって、心身共に気持ちよく(?)なれますよ。
(日常走っている人なら知っていると思いますが、ハイになれるのは一時だけですが)
以上のように、幹線国道に代表されるような、道幅が広くて交通量の多い道路よりも、旧街道や古道のような、道幅の狭い古い道の方が、自転車、とくに小径車には走り易いのがおわかりいただけると思います。
現代の道路は自動車のためにあり、財源もそちらからの税金で賄われているから当然と言えば当然なのですが、動力付きの車のために造られた道路って、どこかガサツなのです。
それは、旧東海道を歩いている時に気がつきました。
高度成長期に普請された道路は特に、勾配が突然急になったり、トンネルや橋の歩道は申し訳程度についているだけで、歩行者のことを殆ど考慮していなかったりして、「もう歩く人間のことは隅に置かれて忘れられているのかな」と感じることもよくありました。
でも、車社会が見直される今になって、それが少しずつ是正されてきているのを感じます。
たとえば山手通りなどは、首都高の中央環状線は地下に潜り、ちゃんと幅広にとられた歩道では、歩行者と自転車走行ゾーンが色分されています。
それでも、むかし道にあるような、そこを歩いたり、リヤカーを押したり、自転車で走ったりと、人力で移動してきた人たちの歴史が積み重なった、或いは沿道はそういう人たちを相手に商売をしてきた店舗に感じる、「情」のようなものはありません。
そして、国道16号線のような、車で行き来することを前提とした道は、あちこちに死亡事故の痕跡が残っていて、その横を必要以上のスピードで車が走りぬけてゆき、自転車で走ると心がすさんでいくような気さえしてきます。
私も車を運転しますから自己反省をこめて書きますが、必要な場合を除き、もういい加減、車やバイクなどを粋がって個人で乗り回すのは、やめにしませんか。
気分いいように思っても、ちっとも楽しくないし、疲れるものですから。