前回ご紹介した、新港ふ頭の抜け方とは別の2コースを、今日はご紹介します。
国際橋(35.456437, 139.636853)をそのまま渡り、カップヌードルパーク入口の交差点を右折(ミュージアムに駐輪場はありません。ブロンプトンならたためばフロントで預かってもらえました)し、横浜ワールドポーターズを巻くように道なりに進みます。
右手に自転車乗り入れ禁止の運河パークをみながら、万国橋交差点(35.452959,139.639793)をわたり、汽車道から続く遊歩道を抜けます。
ここはちょっと英国式庭園のような感じで、真ん中の築山に四季の花が控えめに咲いています。
赤レンガ倉庫前信号(35.451875, 139.641971)に出たら横断の上右折して新港橋を渡るのが最短コースです。
みなとみらい地区が1989年に開催された横浜博にあわせて整備されたのに対し、新港ふ頭は明治後期から大正にかけて埋め立てられた古いふ頭ですが、国際橋を渡ってもあまり変化はありません。
これは、新港ふ頭の北西半分はずっと後からの埋め立てであり、もとは海だったことによります。
横浜コスモワールド(遊園地)がオープンしたのは1998年であり、横浜博のあと暫くの間、大観覧車のコスモクロック21は、ぽつねんと埋め立て地の中で回っていました。
そのころ、私は背広にネクタイ姿でママチャリを駆ってこのあたりを走り回っていましたが、誰もいない埋め立て地のなかで、たまにすれ違うのは工事の人たちか、何を目的にウロウロしているのか不明の人だけでした。
もうひとつ、海寄りのコースを取る場合は、国際橋を渡ったらカップヌードルパーク入口信号を左折し、そのまま海辺のカップヌードルミュージアムパーク(35.455974, 139.639782)を左に見ながら道なりに進みます。
パーク内はやはり自転車乗り入れ禁止ですから、新港ふ頭客船ターミナルに残されている古いクレーンや、その向こうの港の写真が撮りたい場合、押し歩きで入りましょう。
ただし、客船ターミナル入口交差点の向こうにある商業施設、マリン&ウォークヨコハマ前は、なぜか海沿いを走れますので、海側をまきます。
(いま横浜の中区になる港湾部のうち、海沿いを自転車で走れるのはここだけです。)
ここに以前ご紹介したララ物資に感謝する香淳皇后の歌碑(35.454627,139.642926)があり、その向こうが第三管区海上保安本部の防災基地です。
日本最大級の巡視船「しきしま」と「あきつしま」は、2018年まで両艦ともここが母港でした。
(「しきしま」は鹿児島の第十管区に転属したため、現在は「あきつしま」のみ)
「あきつしま」は2015年に平成天皇がパラオ諸島へ巡幸なされたとき、改造のうえ宿所として供されたことで有名になりました。
そのまま直進して赤レンガパーク内に入ると、北朝鮮の工作船が展示されている海上保安資料館横浜館(35.454428, 139.644200)ですが、赤レンガパーク内もまた自転車乗り入れ禁止です。
そこで、手前にて右折して赤レンガ倉庫を左手に見ながらぐるりと迂回すれば、新港橋を渡ることができます。
赤レンガ倉庫の海沿いへ自転車を持ってゆきたいのなら、正面から入るよりもこちらからの方が距離は短くなります。
赤レンガ倉庫ですが、明治末から大正初期につくられた保税倉庫です。
保税とは、関税の徴収を一時的に猶予している状態のことで、港に陸揚げされた貨物が、税関手続きを終えるまでの間保管されている倉庫のことを、こう呼びます。
赤レンガパークの北端には、鉄道積み込み用の横浜港駅プラットホームが復元されて残されています(35.454046, 139.643293)。
荷物取り扱いの駅として開設されたものの、1920年より横浜~サンフランシスコ航路の出航日に限って、東京駅からボート・トレイン(船車連絡列車)が運行され、太平洋を船で渡る人たちと、彼らの見送り客が、このホームに降り立ちました。
関東大震災で倒壊してしまった駅舎には、待合室、荷物検査場、食堂、貴賓室があったそうで、まるで大正版の成田空港駅とか、羽田空港国際線ターミナル駅です。
大さん橋の旅客ターミナルへゆけば現代版を見れますが、あそこに鉄道の引込線をつけて、駅を設けたら旅情があったのにと思うのです。
なお、この駅を出た列車は、赤レンガ倉庫のすぐ前で山下ふ頭方面からくる別の貨物線と合流し、汽車道を通って桜木町駅のやや北で高島(貨物)線や根岸線に接続していました。
私が子どもの頃は、フェンスに囲まれて倉庫の周りは線路も含め雑草に覆われていて、今よりもずっと凄味がありました。
先ほどご紹介した運河沿いの倉庫といい、この赤レンガ倉庫といい、今のように観光地として整備される以前には、一般人が気軽に近寄れる場所ではありませんでした。
手前の関内駅から海岸通りにかけてだって、ちょっと古びたアパートの中庭に入ると、ここは上海や香港のスラム街か?と見紛うばかりの風景が広がっていましたからね。
今のような季節だと、上半身がランニングシャツ一枚に黒の長ズボン、足元はサンダル履きという、香港マフィアが出てきそうな雰囲気で、現在の中華街のように、訪問者に「歓迎光臨」な雰囲気はこれっぽっちもありませんでした。
道路は市電をトレーラーがビュンビュンと追い抜き、寿町からニコヨン(日当で働く人たち)の方たちが沖仲仕(おきなかし=港で積み込み作業を行う港湾労働者)として集められている一方で、背広にネクタイの髪の毛をポマードで固めた商社員がすれ違い、子どもの目にも階級社会を厳然と感じる場所でした。
きれいでおしゃれになったのは、横浜博が終わってみなとみらい地区が整備されていってからの話です。
そういう横浜を知っている自分は、鎌倉出身で横浜のチベット在住ながら、生粋の「浜っ子」と昔話で盛り上がると、ああ、自分もなんだかんだいいながらも昔からの横浜市民だなと実感します。
それにしても、新港ふ頭の公園はことごとく自転車の乗り入れを禁止しています。
いまは僅かに規制から外れた通路を通って抜けるのが関の山になっています。
かといって、真ん中を通り抜けている国際大通りは、自転車レーンが設けられていても、駐停車の車も多く、カップヌードルパーク入口から客船ターミナル入口にかけては、なぜか道路が落ち込んでいて、ゆるい坂を下って上る格好になります。
歩行者と自転車の衝突を恐れているのでしょうけれど、パーク内に自転車走行レーンを設け、自転車も歩行者も、それぞれがきちんと安全に走ること、歩くことに徹すれば、事故なんて起きるはずがないのです。
それを運転しながら、或いは歩きスマホや電話の問題には手をつけずに、ただ自転車だけ乗り入れ禁止範囲を拡大してゆくって、これで本当に観光立国するつもりなのかと疑いたくなるレベルです。
歩く人も、自転車に乗る人も、それぞれが「歩くこと」「自転車で走ること」に一所懸命になれば、自然に他者に対する思いやりは出てくると思います。
それを「自分だけ要領よくやればいい」と本音で思っているから、そこどけオーラを出してオラオラ運転する羽目になるのです。
鍵は自己を棄て続けることだと思います。
あ、なんか禅宗のお坊さんの講話みたいになってしまいました。
われわれ自転車に乗る側としては、もういい加減「速さは正義だ」という、まるで高度成長期に流行った「大きいことはいいことだ」のような単純な考えだけにこだわるのはやめにした方がよいと思います。
トレーニング走行したいのなら、伊豆のサイクルスポーツセンターのような施設を、都心から近いところに複数整備すればよいのです。
そしてマラソンのように、草レースへの練習が気軽にできる環境を整えてあげる方が、変に道路の隅を青色に塗りたくって、自転車走行レーンを設けるよりも、よほど安全、安心ではないでしょうか。
次回は新港橋を渡って、開港広場、大さん橋、山下公園方面を抜けて、元町・中華街駅へ滑り込むつもりです。