今回は、自転車での新港ふ頭の抜け方を、三通りご紹介します。
みなとみらい地区から国際橋を渡って新港ふ頭へ入る前に、もし早朝や平日の昼間などで、道路がすいている状況であれば、右折してさくら通りに入り、ランドマークタワーへ向かってみましょう。
このさくら通りは、桜木町駅方面からパシフィコ横浜(コンベンションホール)や、よこはまコスモワールド(遊園地)へ行く際の通路になっており、休日は歩道に人が溢れています。
また道の両脇につづく歩道は、表面がわざと石畳風に加工されており、小径車には走りにくく、車道は2車線しかないのに駐停車している車は多いうえに、週末は渋滞していることが多く、早朝や平日の午前中でなければ通ることをお勧めしません。
さくら通りの右手、ランドマークタワーの真下にあるのが2号ドック(現・ドックヤードガーデン35.455270, 139.632512 )、日本丸が展示されている方が1号ドック(現・日本丸メモリアルパーク 35.453884, 139.632397)です。
ドック、すなわち船渠(せんきょ)は、船舶を製造、修理する場所で、2号ドックが1897年、1号ドックは1899年に完成しています。
氷川丸もここで製造され、引退して山下公園に係留されるときにも、ここでお化粧直しをしました。
1号ドックの桜木町寄りには、小説家で劇作家でもあった長谷川伸(1884-1963)の文学碑(35.453654, 139.631796)があります。
股旅物(博徒が旅をしながら刃傷、じゃなかった人情にふれたり、情をかけたりする話)というジャンルを開いた人ですね。
彼は小学校三年生で家が没落したために学校をやめて横浜船渠で働いていたそうです。
その後も住み込みの使い走りや人足仕事をしながら、港に落ちている新聞を読んで漢字をおぼえたと言いますから、もの凄い逆境のなかで苦学したのでしょう。
その後、軍隊経験を経たのち批評を寄せているうちに新聞社に採用され、41歳の時に作家として独立したといいます。
確か歴史小説家の吉川英治(1892-1962)も、18歳の時に年齢を偽って横浜船渠で船具工として働き、作業用の櫓から誤って墜落して大怪我をしたとききます。
当時は作業員に対する安全保障の基準も、今よりずっと低かったのかもしれません。
その脇、駅とランドマークタワーを結ぶ歩道橋下トイレの正面には、船渠で使われていた米国製の大型コンプレッサーが展示されています(35.453591, 139.631539)。
この機械でつくられた圧縮空気で、船渠内の機械や工具が動いていたといい、これと同じものが4基据えられていて、1983年までの65年間、現役で稼働していたといいます。
ただ、素人が見てもどこで空気を圧縮し、どこに貯めてどこから出すのかがよくわかりません。
せっかくなのだから、形式や仕組みを説明してほしいです。
日本丸メモリアルパークの正面前を通り過ぎ、よこはま汽車道(35.452925, 139.634522 自転車通行禁止)には入らずに、北仲橋を渡り切ったら左へ通路を下りましょう。
東詰めの袂下、北仲第一公園にあるのが、灯台発祥の地(35.452038, 139.633715)です。
条約に基づいて灯台が設置されたのは、1869年、観音崎に於いてでしたが、1872年、明治政府はこの地に燈台事業を担う人材育成や技術開発を目的とした、燈明台局をつくり、お抱え外国人技師の住宅と事務所をここにつくりました。
1874年には洋式試験燈台もつくられたということで、この場所を「灯台発祥の地」としています。
そのまま運河沿いに通路を進みます。
途中右側にホテルのような建物を認めますが、これは結婚式場です。
汽車道を挟んで対岸にも大きな結婚式場がありますし、向こうに並んでいるホテルも含めれば、この運河やドックの周囲は、さながら結婚式場銀座みたいになってしまっています。
景色が良いからということなのでしょうが、なにか釈然としないものを感じます。
その先にベンチの設置された北中第二公園(35.452178, 139.636091)がありますが、ここが「逆さランドマークタワー」を見られるポイントです。
駅から少し離れていますし、裏手は観光バスが待機する駐車場ですから、目立たないのでいつも空いています。
最後に北仲第三公園(35.452034, 139.638478)を抜けて万国橋のたもとに出たら、左折して信号を渡り、再び橋まで戻ってきて、今度は運河の対岸、新港プロムナード(35.451689, 139.640334)をゆきましょう。
ここにもベンチが並んでいて、季節の良い時は運河を渡る風の気持ち良い、絶好の無料休憩スポットです。
今のように整備が為される前、運河向こうの対岸(海岸通り5丁目と3丁目)の運河沿いには、船用の古びた倉庫が並んでいました。
ちょうどこちら側から見ると、北海道にある小樽運河そっくりで、古き良き横浜と、その向こうにランドマークタワーがそびえるという、美しい景色だったのです。
それが倉庫街は取り壊されてしまい、なにか港町らしさを薄める結果になってしまいました。
新しく式場など建てるより、あの倉庫を使って店舗などに転用した方が、よほど重厚感があってよかったと思います。
突き当りまでゆけば、新港橋の北詰(35.451313, 139.642085)に出るので、右折して渡り、そのまま横浜税関まで進んで税関前の信号を左折すれば、開港広場方面へとゆけます。
これが、もっともお勧めの内陸側を通るコースです。
次回は残りの新港ふ頭真ん中を抜けるコースと、海に近い道を通るコースについて、ご案内します。