世の中には、人の悲惨さや死を見つめるような場所へ旅する人がいます。
こういう旅の傾向を、ダークツーリズムというのだそうです。
まだそんな言葉が存在しない高校生の頃、「夜と霧」(Viktor Emil Frankl著 霜山徳爾訳 みすず書房)を読んで、どうしてもアウシュビッツ=ビルゲナウ強制収容所をこの目で見たくなりました。
しかし、当時ポーランドは共産圏でしたから、現地の受け入れ機関から招待でもされない限りは、個人で査証をとって一人旅するのは、高校生には難しかったのです。
大学生になって、「現地でどうにかなるさ」的な思考回路で、ビザを取ってワルシャワに飛んだものの、強制収容所のあるクラコフ郊外までは東京~静岡くらいの距離があります。
鉄道駅に行っても、通じるのはポーランド語のほかはロシア語とドイツ語がせいぜいで、英語は学生以外には殆ど通じないのでした。
また、クラコフまで行ったとしても、ホテルが見つかるか、そこからアウシュビッツ(現地語ではオシフィエンツム)までの足をどうするかが問題でした。
たまたま英語が少しだけ話せるタクシーの運ちゃんに相談したら、100米ドル出してくれたら英語が喋れるガイドとお昼ご飯付きで、丸一日かけて往復してくれるというので、話に乗りました。
今考えると、かなり危険な話なのですが、共産圏の国の中でも東独、ポーランド、チェコスロバキア、ハンガリーは今よりはるかに治安が良かったのです。
やってきたガイドは大学生の息子さんで、お昼もお母さんのサンドイッチという、なんだかピクニックみたいになって、却って面白かったのです。
途中、しっかりネズミ捕りに引っ掛かって「薄利になってしもた」と頭を抱えていましたが。
そんな旅行に出かける前に、「何でよりによって大量に人が殺された場所へ行くわけ?」と訊いてきた人が複数おりました。
中には真剣に「大量に塩を持ってけ」とか言う人もいて、「オレは水戸泉(当時Salt shakerのあだ名を持った相撲取り)か」とボケるしかないのでした。
冒頭の本は、巻末に写真がたくさん付録として掲載されていて、その内容たるや人体実験に供されて解放後に救出された子どもたちや、大量の髪の毛、義足などはまだ良い方で、人の首で作った電気スタンド、脂肪で造った石鹸など、おどろおどろしいもののオンパレードでしたから、「本を読んで行く」といった私は悪趣味だと思われたのでしょうね。
大雑把な理解だと、ドイツ人によるユダヤ人絶滅のための強制収容所ということでしょうが、本を読んでいる人はそんなに単純ではないという図式を知っています。
あそこには、ユダヤ人のほか、ポーランド人やドイツ人の政治思想犯やソビエト兵もいましたし、人種に関わらず、収容者の中から「カポー」と呼ばれる労働監督者が選抜され、彼らは管理者たるドイツ兵以上に残虐な行為を他の収容者に行っていました。
だから、ドイツ人対ユダヤ人みたいなステレオタイプなくくりはできないのです。
しかし正確にいうと、私が本を読んで行きたくなったのは、あそこが虐殺の現場だからではないのです。
確かにあそこでは、徹底的に人格をはく奪された大量の人間が、工場のように殺されていた場所です。
でも、遠藤周作の小説に出てくるマキシミリアノ・コルベ神父(=ポーランド司祭で修道士として滞日経験があり、当地で身代わりとなって処刑された)がおこした奇跡の話を知っていましたし、無名の人たちの中にも、ぎりぎり生を維持できる状況で、怪我をしたり病気になったりして死を待つだけの仲間に対してみせた気遣いもあったのです。
当時見学した人はみな、「あのような死が日常隣り合わせになっている悲惨な場所で、人間性を失わないなんて考えられない」という感想を漏らしていましたから、私もそこが確かめたくて、どうしてもこの目でみたくなったのです。
結果的からいうと、あの頃に見ておいて良かったと感じています。
今、テレビで見る強制収容所はまるで公園のようにきれいで展示もしっかりしているのですが、私が訪れた当時、まるで「昨日まで稼働していました?」と思われるほど、その当時の雰囲気を残していたのです。
圧巻は、人骨が棄てられた沼地でした。
まるで貝殻を敷き詰めたような人骨の上に立ちすくんだとき、そこで死んだ人たちの「私たちを記憶して欲しい」という声なき声が聞こえたような気がしたものです。
そして、ここで最後まで人間の尊厳を守り通した人たちが、なぜ悲惨な状況に抗い得たのか、個々人を超えた、何らかの大いなる力が働いたのではないかと、ほんの少しだけですが感じることができました。
このように、ダークツーリズムとかブラックツーリズムにおいても、きちんと前もって理解を進めておけば、闇の深さや暗黒ばかりをみていることにはなりません。
むしろ、暗闇の中に差す一条の光を観るような思いで、人間が人工的に造りだしたようなおとぎの世界よりも、ずっと印象に残ります。
その際に情報は、やはりネットではなく書籍、それもかなり長きにわたって版を重ねている本の方が良いと経験上思います。
また、行く前だけではなく、現地より帰ってから調べて本を読み、ある程度時間を置いてから再訪してみると印象が全く違って見えるというのも、読書と旅の良いところだと思います。