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Channel: 旅はブロンプトンをつれて
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ブログ満7年

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2019年8月3日で本ブログも満7年を迎えました。
7年というと、私が1冊の本の翻訳にかけた歳月(2003年~2010年)と同じです。
その本の翻訳に目途がついたころ、ブロンプトンと出会いました。
最初にブロンプトンを購入したのは6月だったのですが、私は夏が終わるまで、DANさんとの旧東海道以外の目的には、一切使わなかったのです。
当時は今より相当に太っていて、自転車に乗るとサドルはお尻に食い込むし、緩い坂でも息は切れるしで、暑い中乗る気になどなれなかったからです。
それが、涼しくなった秋から乗りだしたら毎日のように乗るようになり、翌年の夏には10㎏以上体が勝手に減量していましたからね。
痩せようと思って乗ったのではなくてですよ。
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(まだ旧東海道の旅にしか使用していなかったころ=2010年10月)

それから、体重に増減はあったものの、昔に戻るということはなく、ブロンプトンで旅をすることによって、色々な人と出会い、様々な考えに触れ、7年前には予想もできなかった恵みが与えられました。
なかでも、洗礼を受けたことは大きかったと思います。
翻訳文には「霊性」という言葉が盛んに出てきましたが、まだ頭で理解しただけのことでした。
それが、ブロンプトンに導かれるように教会と結びつき、赤は殉教の色だと教えられ、放蕩の限りを尽くした息子が、やっと魂の実家に帰った気分になったのですから、大した距離を旅したのだと思います。
(そんなわけで、私の家にはレンブラントの例の絵のポスターがあります)
イメージ 2
(涼しくなって、ようやく単独で日帰り旅行に。今はなき、朝一番の東武の快速で)

私は高校生になったばかりの頃、プロテスタント教会で洗礼を受けようかと真剣に考えたことがあります。
その頃、学校でもらった聖書(新改訳の新約)は肌身離さず持っていたために、ページが赤や蛍光ラインでチカチカ、背表紙はボロボロでした。
なぜ洗礼をうけようと思ったかというと、とある問題で、自己の欺瞞に耐えられなかったからです。
だから、森鴎外の「ヰタ・なんとか」の主人公みたいに、頭で人間の「原罪」(アダムとイブの楽園追放の話です)を深刻に考えていました。
そんなある日、自分の悩みを帰国子女のカトリックの級友に打ち明けたら、「僕たちキャソリック(彼は米国からの帰国組でした)はね、必要以上に自分のことを叩いたりはしないの」と軽くあしらわれてしまい、同時に狐狸庵先生の本も読んでいたから、「カトリックってラテンのノリで軽いのかも」なんて感じていたのです。
イメージ 3
(向かった先はなぜか?栃木県)

とどめは「一つの宗教を選んだら、他の宗教に不寛容になるじゃないか」という家族の言葉でした。
家族からしてみれば、家の宗教にそぐわないということだったのでしょうが、実際は正月にお稲荷さんや神棚に柏手を打つくらいで、仏壇にお経をあげることもなく、何年に一度しか檀那寺には行かないのが実態で、宗旨を守るとか、そんなレベルではなかったのです。
そして、この言葉はのちに大間違いというか、何に対しても信じることを拒む反宗教的立場のご都合主義的言い訳であることが判明するのですが、それはずっと後のことです。
その後、アメリカの中西部でホームスティした家がアイリッシュで、日曜日にカトリックの教会に連れて行ってもらったのが、ミサの初体験でした。
もちろん、全部英語でしたからちんぷんかんぷんでしたけれど。
大学生になってヨーロッパへ一人旅するようになり、美術館の宗教画を見て、各地の大聖堂を巡っても、日本の寺院そっくりだなと思うくらいで、とくに若いころ夢中になった聖書の言葉と結びつくことはなかったのです。
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(東日本大震災の直後ころ。 電車+自転車の機動力を見直しました)

その後時は流れて、自己の欺瞞が限界まできて、もう心を入れ替えて一からやり直さねば命は無い状態になってやっとたどり着いたある場所で、とあるカトリック教会に宗教とは関係ない用事で通わねばならなくなった私は、そこで神父さんと顔見知りになりました。
その神父さんの口利きで別のカトリック教会の活動に信者としてではなく参加する機会があって、子どもたちが無心に祈る姿に何となく救いを感じるようになりました。
その直後、偶然に娘の入った学校が別のカトリック修道会の運営で、将来の保険のような気持でその学校の親のための聖書講座に通うようになり、10年も経とうかというときに、過去のキリスト教に対する共感と、長年翻訳していた霊性が突如として自分の中で結びついて、これはもう、イエスさまに降参するしかないなと白旗をあげて、洗礼志願者の列に加わったわけです。
当時「赤いブロンプトン」に乗って教会に通う私が、冒頭のような気分になったのは、こうした長旅の結果でした。
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(翌年の夏には札幌から神威岬の日帰りを行い、神威岬→余市駅を走り切りました)

この体験、英国の推理小説作家、GKチェスタトンが「正統とは何か」(原題:Orthodoxy 春秋社刊=今年4月に復刊)の中で著した、「新大陸を発見せしめんと、意気揚々と英国南部の海岸から船で漕ぎだした冒険家が、長い航海の末に遂に水平線の彼方に認めた陸地が、上陸してみると出帆した海岸だった」というたとえにそっくりなのです。
ただ、同じ海岸であっても、景色は全く違って見えました。
ゆえに、浦島太郎のように知っている人がいなくなっていても、持っていたお金が古くなって使えなくなっていても、あまり気にならないのです。
だから、高校一年生の頃に悩んでいた、「人間はどこから来てどこへたどり着くのか」という問題にも、直観的に答えが与えられた気がしています。
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(2011年冬。玉川上水にて。この頃は近所へゆくにもCバッグを使っていました)

今の私は、プロテスタントだとかカトリックだとか、神道の神か、仏教の仏か、キリストの神かなど、歴史について興味は尽きなくても、その優劣だとか違いについては、あまりこだわらなくなっています。
そして、何かひとつを選択することが、他を捨てなければならなくなるという理屈については、欲望だとかお金の使い道については確かにその通りかもしれないけれど、思想や心情、ことに信仰については当てはまらないと思っています。
そういうことを言う人は、イソップ物語に出てくるキツネと同じで、結局は葡萄を食べることを諦めるのでしょう。
学問もそうだと思うのですが、何かについて、わが身のこととして深く学べば、その他の未知のことに関して、或いはその反対の意見についても、自然に畏敬の念を持って尊重するようになるはずで、それは、信仰や政治、経済を含む思想についても同じだと思います。
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(荒崎海岸)

だから、その人がどれほど博識であっても、自分とは考えや立場の違う人々の意見を封殺し、あるいは頭ごなしに罵倒したり軽蔑したりして手前勝手な評価を他人にも押し付けるような人の話を、聴きはしても信じません。
医者はその病気に罹ったことがなくても、知識と技術がしっかりしていれば治療法が分かります。
的確なアドヴァイスもできます。
でも、病を克服するのは患者自身です。
そこで、患者の立場に立てないということについて、「そんなものは必要ない」と割り切るのか、「わかってあげることができない」と悩むのか。
そこが人として成長できるか否かの境目なのだと私は思います。
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(当時はカトリック教会をみても、別段なんとも思いませんでした)

7年前、自分の周囲に言葉の暴力をふるう人がいて、「ブログを書くということは、あんな風に誰かを傷つけることになるのかもしれない」と弱気になっていた私に、「そんなこと言っていたら何もできないよ。意見や感想が何も無いならともかく、あるのなら堂々と書きなさい」と背中を押してくれたのは、今日のような炎暑の中でふと入った小さな喫茶店のマスターでした。
その店もとっくになくなり、暴力的な言動の人たちとも距離を置いて、あの頃よりも静かに読書のできる平安を得た今、こうして自分の意見をはっきり書けるようになったのは、読んでくださる方々を含めた、自分を支えている外の力のおかげだと思います。
旧東海道の旅は、漸く鈴鹿峠にさしかかりつつありますが、ブロンプトンは、相変わらずあちこちで乗っています(笑)
もうすぐこのブログも引越しすることになると思いますが、今後ともよろしくお願いいたします。
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(2012年初冬 大菩薩峠)



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