歴史には転換点というものが存在します。
司馬遼太郎先生は、日本における近世の歴史は、戦によって2度大きく曲がった。
一度目は関ケ原で、二度目は鳥羽伏見でといい、にもかかわらず、鳥羽伏見には何も遺構が残っていないと嘆いておられました。
直近は太平洋戦争なのでしょうが、こちらはいつ、どこが曲がり角になったのでしょう。
1940(昭和15)年11月1日の、開戦を決意した大本営連絡会議だとすると、大本営があったのは宮中でしたから、皇居なのでしょうね。
歴史だけではなく、判じ物のような旧街道の旅にも転換点は存在します。
もっとも、こちらは歴史とは違い、純粋に地理的な条件によると思いますが。
前に庄野宿と亀山宿の間で触れた、「旧東海道が方向を変える角」について書いてみようと思います。
旧東海道は、江戸から京へ向かうわけですから、おおよそのところでは東から西へ向かうわけです。
但し、大きな湾に沿うように道が進路を変えたり、半島部から続く山脈を越える際に、鞍部である峠を越えたりするために、道は向きを変えます。
前者は、江戸(東京)湾や伊勢湾であり、後者は伊豆半島から続く尾根筋を越えるのが箱根峠、紀伊半島から続く尾根筋を越えるのが鈴鹿峠です。
くわえて旧道歩きというのは、それこそ路地選びの連続であって、車で高速道路を走るように一本道をスーッとゆくわけにはまいりません。
分かれ道のほかにも、カーブや鍵形に代表されるような曲がり角はたくさんあり、方向はくるくる変わります。
それでもやはり、「この角から概ね方向が変わった」という辻はあるのです。
たとえば地形の制約を受けない関東地方の中山道は、大きな地図で見ると日本橋からゆるやかに北から西方向へと進路を変えて碓氷峠へと向かいます。
熊谷までは荒川の左岸を、その先は利根川の支流である烏川に沿って高崎へと続くのですが、感覚的にいうと高崎駅の北西600mにある本町三丁目交差点で北から西へと進路を変えます。
そういう場所は、日常では気が付かないのですが、旧街道を通しで旅していると、他の曲がり角や辻にはない、出会いや別れのありそうな、特別な雰囲気があります。
旧東海道にもそんなターニング・ポイントと呼ぶことのできる曲がり角があるのでご紹介してゆきましょう。
①藤沢宿:遊行寺橋を渡ったさきの角(右折)
旧東海道は、日本橋を出てから江戸湾に沿って南下し、保土ヶ谷宿と戸塚宿の間にある権太坂で三浦半島の背骨を越えたあと、さらに柏尾川を下るように南へ向かいます。
戸塚宿をすぎ、大坂をのぼって台地上に出て、鉄砲宿で藤沢バイパスを分けた後、遊行寺坂を下ってお寺の前でクランクし、この橋で境川を渡ると、右折して進路を西に向け、相模平野の海岸沿いに近い場所を西進します。
延々と西へ向かう旅のはじまりです。
そしてここは、江ノ島道との分岐点でもあります。
また、鎌倉を通って三浦半島先端に近い走水へと向かう、古東海道との分岐点でもありました。
実際に旅をしていてどこが変わるかと申しますと、それまで、太陽は常におよそ正面にあったのが、ここから午前中は背後、午後は前に。
旧東海道は、ここから午後の西日に悩まされるようになります。
旧東海道尺取り虫方式の旅のように、長い期間をかけてする習慣とする旅は、春に始める人が多いと思うのですが、ちょうどこの先の区間が夏場にあたり、昼近くなると背中を焼くような、そして夕方になると、逆光で眩しいのになかなか沈まない(そのおかげで、一日の走行距離ものびるわけですが)太陽に悩まされることになります。
②新居宿―白須賀宿間 潮見坂下の角(右折)
藤沢宿の後、箱根峠、宇津ノ谷峠、小夜の中山などいくつかの難所を越えるものの、神奈川県、静岡県内は、おおむね西へ向かうわけです。
旧東海道の旅も、東海道本線鈍行の旅も、静岡県内がとても長く感じるのは、進路の方角が変わらないということも要因としてあるのではないでしょうか。
ただ、地図をみての通り静岡県の海岸線というのは、駿河湾と三河湾の間の部分がいちばん南へ膨らんでおり、舞阪宿や新居宿は緯度でいったら三重県の津より南になります。
つまり、旧東海道のうちで一番南にあるのが、これらの宿場なのです。
西へむかっているつもりが、無意識に南へそれていて、浜名湖を渡ったあと、今度はやや北西に針路を変えて、かなり北に位置する名古屋へと向かうわけです。
そのターニング・ポイントがこの潮見坂の下の曲がり角になります。
それまで西へ向かっていた旧東海道が北方向へ進路を振るのですが、後から考えてみればあそこで向きが変わったのだなと振り返るような曲がり角です。
春に江戸を出発すると、暑さの夏に長い静岡県内を抜け、このあたりに差し掛かると秋に、そして名古屋に近づくほど冬が近くなるわけですが、そのせいもあって、北西に進めば進むほど、季節風の向かい風に悩まされる区間でもあります。
また、関東に雰囲気の近かった静岡県を抜けて愛知県に入ると、明らかに文化が違うと気がつくようになるわけですが、その境も、この曲がり角にあるような気がしてくる場所です。
なお、潮見坂下の角を曲がらずに直進すると、太平洋沿いの気持ち良い道はやがて台地をのぼり、表浜街道(国道42号線=なんて不吉なナンバーでしょう)に合流し、渥美半島先端の伊良湖までゆけます。
そこから伊勢湾フェリーに乗れば、お伊勢参りの道中はだいぶショートカットできると思いますよ。
残りのターニング・ポイントは、次回にまわします。(つづく)