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Channel: 旅はブロンプトンをつれて
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御殿場線沿線完走にブロンプトンをつれて(その2)

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ということで、旧東海道の旅と同じく新川崎443分発の横須賀線一番列車に乗って、横浜駅で東海道線に乗り換え、545分には国府津に到着しました。
いつもは熱海まで行って乗り換えて、さらに静岡より西へ行くのですが、今日は御殿場線を走破するためということで、こんな朝早くに国府津駅で下車するわけです。
ちなみに「国府津」と書いて「こうづ」と読みます。
地元や沿線の人以外には難読駅名だったのですが、湘南新宿ラインや上野東京ラインの西の終着駅として「国府津行き」が登場するようになると、この地名は関東全般に広まるようになりました。
 
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ちなみに旧東海道の旅では触れなかった地名の由来ですが、この辺りの海岸に今の県央部海老名(他に高座や大磯に遷都したという説も)あたりにあった、相模国国府の外港(津)があったことから、この名前がついたといわれます。
当時のような沿岸航路は、平地をできるだけ陸上輸送し、山が迫ってどうにもならない地点から、船の輸送に切り替えたということでしょうか。
国府津の位置は関東平野の西の外れにあたります。
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 なお、前回書いた通り国府津駅は現在東海道本線と御殿場線の乗換駅で、かつては御殿場線の方が東海道本線でした。
1872年、品川~横浜(現在の桜木町駅)まで仮開業した日本初の鉄道でしたが。それから15年後の1887年、現在の桜木町駅をスイッチバックして、ここ国府津まで官営鉄道は延伸しました。
さらに2年後の1889年にここから御殿場経由で静岡駅までが東海道本線として開業したわけですが、1920年、現在の東海道本線にあたる熱海線と呼ばれる支線が、小田原まで開業します。
その5年後の1925年、横浜から国府津までが電化され、ここは機関車を付け替える駅となりました。
自分が子どもの頃は、国府津駅の東側にコンクリート造りの機関庫が存在して、転車台や引き込み線が外されたあとも蒸気機関車が静態で保存されていました。
車窓から蒸気機関車の見えるこの駅は、子ども心に楽しみでした。
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また、国府津駅は駅のホームからチラリとではありますが、海が見えます。
現代の東海道本線で、東京を出た列車から海が見えだす地点が平塚駅手前の相模川橋梁あたりからですが、このあと小田原を過ぎると視点の高い場所を走るため、さらに大海原を眼下におさめるようになります。
なお、駅はJR東日本が管理していて、そこにJR東海の御殿場線が乗り入れているという関係になっており、北西にJR東日本の車両基地(車庫)があるためか、駅舎も勤務交代の職員が沢山集うためなのか、昭和時代の学校のような建物になっています。
そして、御殿場線が対象になるJR東海の特別企画乗車券「休日乗り放題きっぷ」は、当駅は対象外となり、当然のように朝早くここで下車して窓口へ行っても購入できません。
(休日乗り放題切符が購入できる東端駅は、東海道本線なら熱海駅の新幹線側窓口、御殿場線なら松田駅の窓口まで行かないと買えません)
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さて駅を降りてブロンプトンを展開し、準備運動を済ませたら、さっそく東海道線に沿った坂道を下りましょう。
もし海抜にこだわって海岸からスタートしたいのであれば、駅南の国道1号線に出て東京方面へ230m戻り、右折するようにUターンして海沿いの路地に出たら時計回りに親木橋に出てから森戸川沿いを遡り、線路にあたったら右折すれば、遠回りですが海沿いからスタートすることが可能です。
但し、この辺りの海岸は西湘バイパスが浜を横切っており、堤防の隙間から階段を降りてバイパスをくぐり海辺に出ることは可能でも、波の荒い区域で遊泳禁止になっていますので、くれぐれも洒落で自転車を海に漬けてから走り出すようなことはやめておきましょう。
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さて国府津駅から線路わきの坂道を下り、400mほど下った先の右手にある、線路をくぐるトンネルを抜けましょう。
その先直進すると、御殿場線踏切を渡った先にあるのが時宗の寺院、光明寺です。
時宗というのは鎌倉末期発祥の踊念仏が主体の浄土系宗派で、寺院を持たず、諸国を巡りながらお札を配り、念仏を唱えながら踊る集団でしたが、今はそんなことはなくて、本山は藤沢の遊行寺です。
初夏のこの時期、アジサイがきれいに咲いています。
また山門の周囲には、ジキタリスみたいな背の高い花も群生しています。
西側に開けた墓地の方へ自転車を押し歩いて登ると、酒匂川がつくりだす扇状地の向こうに箱根連山と、頭を出した富士山が見えました。
この時期でもここまでくると距離が縮まるため、晴れ渡った早朝であれば、富士山が見える日もあります。
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光明寺を出たら御殿場線に沿って進み、新幹線をくぐったさきで左折し、小田原厚木道路の高架下をすすんだら、用水路にそって進みます。
この辺りは、下曽我の梅林で早春は梅まつりの会場になります。
用水路に分かれて道なりに進むと、左手に御殿場の車両基地が見えてきます。
JR東日本の湘南新宿ライン、上野東京ラインの車両基地で、これがあるから国府津止まり、始発の列車が存在するのです。
この日は休日でまだ朝の6時過ぎのせいか、電車が留まっていました。
平日の通勤時間帯になれば、すべて出払って空っぽになるはずです。
走行したのは6月の下旬で日中の都心では夏日が予想されていましたが、ここ県西部の曽我地区は風も涼やかです。
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その後、曽我病院の前を通過し、田んぼや畑の中の道を北西へと進みます。
ルートラボで作図する際に、なるべく小径車の走りやすい、車が来なくてかつ舗装してある道路を選んだつもりでしたが、予想に反して砂利道が現れます。
前夜に降った雨のせいで、ところどこに水たまりがあり、お世辞にも走りやすいとはいいがたいのですが、電信柱もガードレールも一切ないので、見通しはききます。
正面やや左手に、金太郎でお馴染みの足柄山と思しき三角錐が見えて、そのすぐ背後の雲上に富士山が頭を出しています。
水田では朝早いからなのか蛙の合唱が聞こえていて、ああ、田舎道に来たけれど子どもの頃は近所にもがたがた道があって、その両側に水田が広がり、オタマジャクシやザリガニ釣りをしていたことを思いだしました。
同じ県内とはいえ、山すその地域にこうしてかつての原風景を求めるのも、大人の旅としては悪くないと感じます。
ハーモニカやリコーダーでもあったら、小学校の頃に習ったフォスターの「スワニー河(故郷の人々)」でも吹いてみたくなるような気分です。
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右手にトウモロコシ畑、その向こうはブドウ園、左手は用水路という道をゆくと、やがて前方右手の山合に、特徴的なビルが見えてきました。
あれが、大井第一生命館ビルです。
第一生命の本社ビルは皇居のお濠に面した日比谷にありました(戦中は東部軍管区司令部に、戦後GHQに接収されたことで有名です)が、戦後の高度成長期に手狭となり、1968年から本社機能のおよそ半分をここに移転することになりました。
もちろん、社員の家族も含めて住居もこちらへ移すというもので、都市機能分散の魁といわれました。
のちに東名高速道路が開通すると、このビルは大井松田インターのシンボルみたいに見えました。
今こうして下から眺めると、背後の丹沢山地がいっそう山の中のビルという雰囲気を引き立てており、当時都心からこんなところに移住した人たちは、さぞかし心細かっただろうと想像します。
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 しかし、2011年に第一生命は高層化した日比谷のタワービルと豊洲に再移転し、このビルの主はお茶を扱う食品会社に譲渡され、その後神奈川県とのタイアップで、「未病」をテーマにした体験型施設に変貌しているそうです。
日本人は、とかく健康的なレジャーを「田舎のどこそこの施設に行って何それをする」という風に考えがちですが、自分のようにテーマをもって移動を健康目的の旅にすることもまた、病気予防になると思うのです。
とくに、公共交通機関を使った旅は、人との触れ合いもありますし、ある程度頭を使わないとスケジュールや行程管理ができません。
だから、こういう工夫を旅にしている人は、老化に歯止めがかかると思うのです。
いい加減、ゴルフやスキーなど、スポーツクラブ通いの拡大版のようなレジャーもほどほどにしておいたらいいのにと思わずにはいられません。
 
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曽我地区を抜け、上大井駅が近くなったあたりで、国府津駅を出てからおよそ1時間が経過したので、いったん国道(255号線)沿いに出て、朝食を取ることにしました。
とはいえ、まだ朝の7時前なので、ファストフードかファミレスしか開いていません。
スマホで開いている店を探し、栢山入口交差点にあるデニーズに入りました。
もちろん、休日のこんな時間にお客は私だけ。
新聞を開いて優雅に紅茶を飲みます。
本来であれば4時半ごろ、横須賀線一番列車に乗る前にファストフード店で朝食を食べておけば、時間ロスも少なく、また昼食も早めにとることはできるのですが、起きたてでまだ動いていない胃袋に朝食をしっかり入れるというのは、習慣にでもしていないとなかなかできません。
しかし、これから標高差500m弱をのぼるわけで、御殿場の街に辿り着く前にタイミングよく食事場所にありつけるともわからないので、食べられるときに食べておくことにします。
おっと、最後に難読駅名が出ましたね。
小田急線の駅なのですが栢山で「かやま」と読みます。
都内に住む小田急線沿線のひとでも、そんな駅あった?というほど新松田と小田原間の駅は存在感が薄いのですが、なかでも小田急線の足柄駅と御殿場線の足柄駅は、全く同名ながら全く違う場所(山を挟んで17㎞も離れていて、所在県=神奈川と静岡、も違います)
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 次回はこの栢山入口にあるデニーズ大井松田店を出て、松田方面に向かいます。

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