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Channel: 旅はブロンプトンをつれて
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読みにくい本でも読む努力を

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(文庫本や新書はブロンプトンのフロントバックにぴったりのサイズです)

翻訳文を作成していたとき、よく言われたのが「あまり難しい漢字を使わないでください」ということでした。
今どきの読者は、長文を読むのすら面倒くさがるのに、そこに難しい漢字が頻出されたなら、大半の人たちに読んでもらえなくなるというのです。
著者が日本でいえば明治とか大正生まれにあたるので、「英語の表現も古いから、その時代の日本人ならこんな感じの文章を書いたろうと想像しながら訳文を考えました」と答えたのですが、なかなか理解してもらえませんでした。
のちに、原作者の思考に近づこうと彼のネタ本と思しき本を読んでいると、どうしても頭が昔の方にいってしまうと気付きました。
森鴎外や夏目漱石など文豪の本を読んでいても、いまこんな言葉使わないという表現や書き方が出てきますし、これが思想や哲学の本になると、同じ日本語にもかかわらず、見開き2ページの間に何度も辞書をひく羽目に陥ります。
ことに古い仏教書ともなると、漢字の音訓読みも、画数もわからず、どう調べたらよいのかすらおぼつかなくなることがあります。
でも、その本が執筆された時代や社会の様子を考えることは、中身をいまに活かすためにも、必要なことなのです。
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(しかし、岩波文庫の青帯はそうそう気楽には読めないのでした)

しかし、外国語の学習をするときと同じように、日本語の本を読むときも、わからない単語や表現が出てきたら、辞書をひくのは読書の基本です。
そういう風に学校で教わりませんでした?
それが面倒くさいから、辞書要らずの訳文を考えてくれって、広告のパンフレットやまとめサイトの文章を考えるのならいざしらず、書籍としての文章にはどうも筋違いのような気がしてならないのでした。
それに、厳密にいうと漢字をひらいただけでも意味が変わってきてしまう場合だってあると思うのです。
ためしにこのブログ全部平仮名にして読んでみてください。
多分、漢文を読むのと同じくらい疲れるし、意味不明になるとおもいます。
この点、和作文をしているとかな交じり文の日本語って、便利だなと思います。
(単に私が頑迷なだけかもしれませんけれど…また「頻出」「羽目」「頑迷」など、口語では使わない漢字表現を入れてしまいました)
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(食後に読んだら、寝入ってしまうことも)

そこで、今回はブログ上で漢字テストを作成してみました。
さいきん、戦前の哲学書を読んでいて、繰り返して出てきた表現の中から出題します。

1.次の漢字にふりがなをふり、現代の言葉と共通でないものは、現代語に直しなさい。

(1)斯く
(2)而して
(3)了う
(4)仮令(副詞としての接頭語)
(5)畢竟

2.「漸く」「悉く」「暫く」
(1)上の言葉のうち、仲間外れはどれでしょう
(2)上の漢字それぞれに同音の漢字をつけて二字熟語をつくり、意味を述べなさい

どうでしょう。
辞書をひき引き意味を記憶し、読み慣れてしまえばどうってことは無いのですが、この歳になって物覚えの悪さも手伝って、間をあけると忘れてしまいます。
今であれば、たとえば通勤電車の中であっても、電子辞書を使うか、スマホ取り出してネット辞書で検索すれば(それでも読みが分からなければ入力しようがないのですが)わかりますが、昔は学校や図書館まで行って辞書をひかないと読み方すら分からないわけで、読書中に「あ~めんどくさい」と頭をかきむしって本を読むのをやめてしまうことも、多々ありました。
とくに、聖書の文語体や岩波文庫の青帯にそのケースが頻発していた気がします。
「蓋(けだ)しこの言(ことば)彼等に隠されてその言わるる所を暁(さと)らざりしなり」(ルカ十八:三十四)
ルビ打っても、いまいちよく分かりませんよね。
いくら名著に触れるといっても、意味が分からなければ手も足も出ません。
しかし、今になってかつて投げ出した本を読み直していると、あのとき辛抱強く辞書をひいていればよかったと思うのでした。
いや、今からでも遅くはないでしょう。
こういう難しい漢字の出てくる本を忌避するところから、脳の老化ははじまるのだと思います。
やわらかい食べ物ばかり食べていると、歯が弱くなるのと同じだと思います。
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(それでも、あちこち場所を変えて読書するのは楽しいものです)

では、答え合わせです。
1(1)かく→現代語:このように
(2)しこうして→現代語:そうして
(3)しまう→現代語はそのまま
(4)たとい→現代語:たとえ
(5)ひっきょう→現代語:つまるところ、結局

2.(1)これは3つの読みがわからないと解けません。「ようやく」「ことごとく」「しばらく」なので、前後ふたつが時の経過をあらわすのに対し、真ん中はすべてにおよぶことをあらわす副詞ですから、仲間外れは「悉く」になります。
(2)「漸次」ぜんじ:だんだんと なお「漸時」とは書きません。
「悉地」しっじ:仏教の修行を修めて成就した悟り
「暫時」ざんじ:しばらくの間
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(ずっと走るわけでないし、電車の中でも読めますから)

読みにくかった本ほど、読めるようになった時の喜びは大きく感じますし、世代を超えて本が版を重ねているということは、それだけ内容が深く時代を違えても大切なことを伝えているという事実を示しているわけです。
ということは、噛みくだきにくかった本ほど、中身を消化したときには読者の骨となり肉となるということではないでしょうか。
良書をじっくり時間をかけて読むという行為は、お金もそれほど使いませんし。
なにより、仮に同じ時代に生きていたとしても、とても言葉を交わすべくもないような別世界の人たちと、こんな風に読書を通してキャッチボールができるなんて、大変幸運なことでしょう。
一生涯読書を通して、人格を陶冶してゆきたいと願うなら、耳に心地よい文章ばかりでなく、手間暇かけて少しづつ意味を解してゆくような読書も必要だと思うのです。
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(表紙に写真やカラー絵なんて、昔の岩波文庫の装丁を知っている身からすると、すごい変化のしようです)


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