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Channel: 旅はブロンプトンをつれて
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二川本陣資料館にブロンプトンをつれて(その1)

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旧東海道二川宿(愛知県豊橋市二川)にある、二川本陣資料館に立ち寄った際の記録です。
一度目は徒歩、二度目はブロンプトンで京都まで到達した後、じっくりと見学したいと考え、再訪しました。
旅の途中では、どうしても先を急ぐ関係から、じっくりと見てはいられないので。

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昔は道路に面した間口の広さで税金が決まったため、町家は奥へ長細くなったといいますが、本陣はこの通り、間口というか、旧東海道に面している長さが半端ではありません。
二川宿内を散策していても、裏を走る東海道本線の車窓からも、甍の波がランドマークのように目立ちます。

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敷地西側、駅よりの自動車駐車場の脇に、ちゃんと屋根付きの駐輪場があります。
職員用の駐輪場はあっても、来客用の駐輪場が無いという施設は、意外に多いのです。
自転車に乗った旅人を想定している施設が少ない中、好感がもてます。

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資料館のうち、二川本陣遺構部分へは勝手口から靴を脱いで入る形になっています。
手前が勝手側で、土間になっている通路を挟んで向かいの奥が、玄関や座敷になっています。

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勝手側にあった、この障子戸付きの衝立、おしゃれです。

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これが本陣の玄関です。
この玄関を使用できるのは、一定の身分以上の人とそのお付きの人たちのみでした。
この家紋の正式名称は「臥蝶に十六菊」呼称は「伊豆蝶」で、お隣吉田宿の城主、大河内松平家の家紋である旨は前にご紹介した通りです。

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玄関の前の板状の濡れ縁は、式台と呼ばれていました。
なぜ式台かというと、ここで送迎の礼式を尽くしたからなのだそうです。
そういえば、昔の旅館は到着時に女将や女中が三つ指ついてご挨拶しましたし、出発時も同じように玄関先で座ってお見送りをされていましたが、あれが作法だったのかもしれません。
いわゆる「座礼」というやつです。
大まかには上体の傾きで浅礼と最敬礼なのですが、細かくは指建礼(しけんれい)、折手礼(せっしゅれい)、拓手礼(たくしゅれい)、双手礼(そうしゅれい)、合手礼(ごうしゅれい)の五段階に分かれるそうです。
着物を着ていると、袖の部分がどれくらい床に接しているかで分かりやすいようです。

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玄関を入ってすぐのところに、繭でつくられた飾が展示されていました。
繭玉というのか、繭飾りというのか。
豊橋というか、東三河は、その昔養蚕業を背景とした繊維産業が盛んだったようです。
ヨトタ自動車も、もともとは紡績機メーカーですから。

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庭まで開け放たれて風が通る座敷。
真ん中の間あたりで大の字になってひっくり返ったら気持ちよさそうです。

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舞阪宿の茗荷屋脇本陣よりも立派な上段の間です。
床の間も、幅と奥行きで格式が違うようです。
向って左手の腰壁上の障子は、家来が御用を訊くところでしょうか。
お殿様とはいえ、あの座布団の上に行儀よく座っていなければならないのも、けっこう辛いのではないでしょうか。

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乗り物です。
これは新居町の関所にあったタイプよりも、ずっとグレードの高い貴人の乗る大名籠のようです。

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上湯殿です。
これも舞阪宿の脇本陣よりひとまわり広いものです。
床板が両側から中心にかけて傾斜をつけており、水が中央の溝におちて流れてゆく仕組みになっています。
この湯殿、檜の匂いがすごそうです。

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こちらは雪隠です。
正確には「せっちん」ではなく「せついん」と読みます。
ところで、なぜ雪に隠れるという字なのでしょうか。
これは唐のお坊さん、雪竇禅師がひたすら厠掃除をすることによって陰徳を積んでいたところ、「雪竇がいなければ、厠を探せ、そこに彼は隠れているはずだ」ということからきている説があります。

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すごい、大用と小用が別々にあります。
これを利用した貴人たちは、はたして陰徳を積むことができたのでしょうか。
トイレ用の掃除道具を入れるところは、もちろん見当たらないのでした。
(つづく)

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