あるとき、ブロンプトンに乗っていたら、妙な感覚をおぼえました。
リア(後方)の方が、なにか「うにょうにょ」するような感覚を、微かに感じ取るのです。
このずれるような雰囲気は、もしかしてリアタイヤのパンクか!と思い、自転車を脇に寄せてリアタイヤを詳細に調べてみます。
ところが、空気が抜けているわけでもありません。
道すがらの自転車屋さんにポンプを借りて、パンパンに入れてから走り出すのですが、やはりどことなくずれている感覚がぬぐえません。
とくにカーブにさしかかった時、タイヤが横滑りしているようなしていないような、ゴムがわずかに横方向に撓(たわ)んでいるような気がするのです。
こんな状態が、一日おきに乗るような日々で、10日から2週間ほど続きました。
それでも、かすかな感覚ではあるし、問題なくちゃんと走るので、そのまま乗っていたのです。
そして、横浜市内の自宅から新宿まで走り通しているある日のこと、渋谷を過ぎ、山手通りを走りながら、代々木八幡駅のそばを通り抜け、脇道に入って坂を下ります。
そこは下り坂のS字カーブになっており、歩行者や対向車が来ないのをカーブミラーで確認しつつ、スラロームよろしくひらりひらりと身軽におりてゆきますと、途中で後ろの方から、「パチン」と音がしました。
嫌な予感がして一旦停止ししてみますが、パンクはしていません。
再度走り出そうとすると、ガリガリと音がしてペダルが固まってしまいました。
ペダルが回らなければ乗れません。
おりてスタンドをたてて、自転車の後ろに回り、真後ろから離れて眺めると、何かがおかしいのです。
ん?どことなく自転車曲がっていないか?
そこで、リアだけ畳んでみようとすると、ぐらりとくるではありませんか。
あれ?と思ってよくよく見ると、リア・フレームと後輪をつないでいる部分のうち、右側が外れています。
よくここまで走ってきたものです。
まだ始業までには1時間半あるし、これはここから押し歩き+電車で新宿三丁目まで行くしかありません。
こんな事態を想定して、1時間から2時間早く家を出ているわけですが、それにしても、もう少しのところまできているのに。
その地点からいちばん近い駅は代々木八幡(距離;160m)でしたが、逆方向へ戻るのも癪だと思い、時間もあるから参宮橋駅(〃:1,080m)まで押しながら歩くことにしました。
ブロンプトンって、小さくて軽いから、電動アシスト自転車などとは違い、押し歩きするのも楽しかったりするのです。
ところが、ペダルの回らない自転車を押し歩きしているのに、リア・フレームがいまにも外れそうで、そっと前へ進めねばならず、けっこう神経を使います。
まぁ、映画「さびしんぼう」のヒロキさんみたいに、後輪を浮かせて押さなければならないよりはましですが。
しょっちゅう走っている道なのに、こうして歩行スピードになっただけで、あそこの鉢植えの花が咲いたんだとか、ここのスーパー、セールをやっているんだとか、発見があります。
そして、15分ほど押し歩きして参宮橋駅に到着しました。
駅前で、おはようございますと挨拶をしている区議の脇で、これまた慎重に自転車をたたみ、上りホームへ。
参宮橋駅は橋上駅になった代々木八幡駅と違い、道路から改札を通ってホームまで階段が無いのを知っているから、こちらまで来たというのも理由のひとつです。
それにしても、自転車なら10分ほどで新宿中心部に出られる場所なのに、かなりの通勤の人たちがホームに並んでいます。
ここに住んだら便利だろうし、夜遅くまで新宿で飲んでもタクシーなら2000円しないだろうし、宵っ張りにはいいのかもしれません。
でも、夏は熱そうです。
参宮橋駅って、童謡の「春の小川」のモデルになった宇田川(渋谷センター街の下を暗渠で流れている川)の最上流部にあたるのです。
もちろん「姿やさしく色美しく」どころか「姿無きゆえ色もこれ無く」状態で川から涼など求むべくもありません。
小田急線各駅停車はかなり混雑していますが、折り畳み自転車を持ち込んでは迷惑というほどでもありません。
きっと手前の代々木上原で千代田線にお客が乗り換えた分、スペースが空いているのでしょう。
2つ先の新宿駅は地下ホームに到着するのですが、よく考えたら小田急線の新宿駅に東口はないのでした。
自宅沿線じゃないから、勝手がわかりません。
そこで畳んでカバーのかかったブロンプトンを曳きながら、JR線乗り換え口から出て、JR線の新宿駅東口中央改札から出ます。
(JR線の構内を通っても、入場料がかからないようになっています)
新宿は高野フルーツパーラー近くで地上に出て、またもや慎重にブロンプトンを展開し、新宿三丁目方面へと押し歩いて目的地に到着しました。
この間、故障してから45分。
大変でしたけれど、ちょっとした非日常を味あわせていただきました。
こうしてブロンプトンを押し曳きしながら歩いていると、スティーブンソンが「旅は驢馬をつれて」の中で、頑固相棒である驢馬のモデスチンに腹を立てなかった理由が、わかるような気がします。
いや、むしろたまに故障してこのように手間を掛けさせてもらった方が、却って愛おしかったりするものです。
故障が無くて経費がさしてかからないこと(それでも自転車の数百から数千倍もするわけですが)が自慢でも、運転する人の自尊心をくすぐり、渇望を煽るような現代のクルマという乗り物よりも、逆のベクトルで数万倍も愛おしいのです。
後日、LORO世田谷さんに持って行って、修理してもらいました。
幸い、フレームが折れたわけではないので、修理費は安価で済みそうです。
原因は、駐輪やたたむときに、後輪を折りこむときの、地面への衝撃のようです。
そっとたためばよいのですが、急いでいるときなど、どうしても乱暴になってしまっていたようです。
以前、チタンモデルのリア・フレームを破断させたときに懲りたはずなのに、また手荒くなっていたようで、「いそがなくても、すぐにたためるブロンプトン」(“No rush, to fold your bike”)という標語でも貼っておこうかしらん、いやいや、「祈るような気持で」(“Make me a channel of your peace.”)畳むのだなどと思うのでした。
「ブロンプトンは畳んで開くたびに陰徳を積むことができます」なんて、マニ車をまわすみたいなこと言ったら、宗教がかっていて、怪しいことこのうえないですからね(笑)