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Channel: 旅はブロンプトンをつれて
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新居関所にブロンプトンをつれて(その2)

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(前回からのつづき)
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外は初夏の暑さですが、中に入ってみると木造平屋の割には涼しいのでした。
これは屋根裏が広く取ってあることと、細長い建物なので、風が通りやすいからでしょう。
それにしても、先日ご紹介した舞阪宿の茗荷屋脇本陣と違い、華美な装飾は一切なく、質実な建物なのでした。
床の間は空っぽ。
お役所だから当然といえば当然ですが。

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と思ったら、別の床の間には武具が飾ってありました。
これ、現代人が着用したらさぞかし窮屈だろうなと思えるほどの、アーマーなのでした。
昔の人は、よくこんなものをつけたまま戦をしたものです。
ただ、兜から立物と吹返、錏(しころ)を取り払って鉢と目庇だけにしたら、野球のヘルメットと同じになってしまいそうです。
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さて、居並ぶお歴々を今回は順にご紹介してまいりましょう。
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まずはカメラ目線で応えてくださる、番頭の五味六郎左衛門さま。
裃(かみしも)をつけていることからもお分かりの通り、皆さんの中でいちばんえらいのです。
番頭(ばんとう・ばんがしら)さんって呼ぶと商家のそれを思いだしてしまいますが、幕府では騎馬隊指揮官、つまり今でいえば戦車大隊の隊長ですから、当然に佐官クラスの高級軍人です。
五千石以上の旗本、一万石クラスの譜代大名から任命されたということは、江戸の町奉行や大目付よりも格が上で、普段から別室に控えていて、一般人の改めなどには出てこなかったと思われます。
だって「面をあげよ」と言われても、一度で上げてはいけない人ですよ。
審議が煩雑になっていけませんや。
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なにやら書きものをしているのは、給人の石原幸正さま
給人(きゅうにん)とは、馬廻り以上の家柄で、知行地を与えられた武士の身分を指すので、高級役人です。
もちろん帯刀をゆるされています。
こういうお役目を祐筆というのではなかったでしたっけ?
さっきから思っているのですが、月代が異様な青さなのと、銀杏が乱れてますよ。
それに、番頭さまと顔が瓜二つ(笑)
物凄く憂いを含んだ表情をしていた、箱根関所の皆さまよりはずっと表情は明るいのでした。
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下役(したやく)の神田栄次郎さま。
読んで字のごとく、下級役人です。
今なら尉官級といったところでしょうか。
なにやら物騒なものをもっていらっしゃいますが、まさかこんな風に旅人を脅していたということはないと思います。
関係ないですが、「スクール・ウォーズ」というドラマが放映されるよりはるか昔、とある工業高校で試験監督中の教諭が、教壇で猟銃を分解掃除していたという話を聞いたことがあります。
バトルロワイヤルじゃあるまいし…。
さすがの元気な生徒さんたちも、この時ばかりは机にかじりついて目線をあげることはできなかったそうですが、それが笑い話になるほど、昔はのんびりしたものでした。
陰湿、陰険に裏でいじめるよりよほどましだと思ったものです。
今だったら警察沙汰になりますが。
たぶん、彼は鉄砲を調べているのでしょう。
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足軽頭の大谷勇平さま
足軽大将ですから、ここでは下級事務員の長、つまり今の軍隊でいえば軍曹くらいでしょうか。
脇差を指し、小袖には家紋が入っておりません。
手を叩いて誰かを呼んでいる様子です。
その視線の向こうには…。
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足軽の及部藤太夫さま
なにやら長棒をもって立ち上がるところ、ということは、身供を召し捕らえるおつもりか。
へぇ、あっしはぶしゅうたちばなごおりのひゃくせいで、名をろうばと申します。
へっ、てがたでがすか?
このこんじきのめんきょしょうでごかんにんを…(多分引っ立てられます)
しかし冗談抜きで、留置場のような拘禁施設はありませんでしたよ。
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こちらは身体を拘束するための道具。
左から、突棒(つきぼう)、袖搦(そでがらみ)、刺股(さすまた)です。
先端の形状の違いで名前が変わるのですが、こんなに長かったとは。
野戦などの際には、刀より槍や薙刀の方が戦闘力は上だったとききましたが、リーチが長い方が有利なのでしょう。
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そして別棟の長屋にいらっしゃるのが、あらため女さまです。
説明によると、足軽など下級武士の家族がその任にあたったとか。
たしか箱根ではこれ以上ないくらい意地悪な表情をしていたので、私語をしているようですが多少安堵しました。
ただし現実の詮議は厳しかったと思います。
まぁ、どんな世の中で何の役をやって人生を送ろうにも、最後は人柄だと思います。
人をはなからきめつけたり、疑ってかかるような人は、どんな職業についていようとも、ロクなことにはならないと思います。
人を信じないということは、自分も信じていないということなのですから。
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関所の旧東海道側角にある復元された高札場。
当時は宿場の出入り口に設けられていましたが、このように触れ書きを掲示できるのは、民衆の側に読む能力があったからです。
江戸時代の後期ともなると、農民や商家の子どもでの「読み、書き、算」は寺子屋で手習いを受けていて、識字率は諸外国に比べて高かったといいます。
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かなり駆け足で見ても、30分はかかると思います。
また、これは隣接する資料館(写真撮影は不可でした)を含めない所要時間です。
ただ、関所自体は新居町の駅から国道を西へ700mの場所ですから、アクセスはしやすいと思います。
旧東海道に興味のある人もない人も、浜名湖へお越しの際にはぜひ、お立ち寄りあれ。

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