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Channel: 旅はブロンプトンをつれて
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新居関所にブロンプトンをつれて(その1)

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旧東海道を行くとき、早朝が多かったためになかなか立ち寄れずにいた新居関所ですが、舞阪宿の脇本陣と、紀伊国屋(新居宿にある紀州藩の御用宿=旅籠)をセットで見学する機会があり、ブロンプトンでまわったときのものです。
なお、現在の行政区分では、浜名湖東岸の舞阪宿は浜松市西区に属し、西岸の新居宿は静岡県の最西端の湖西市になります。
新居関所は国指定特別史跡で、詳細は以下の通りです。

開館時間:9:00~17:00(最終受付16:30)
休館日:月曜日(祝日の場合は振り替えなしで開館)
料金:310円(紀伊国屋資料館と共通で410円)
駐輪スペース:あり(付属の駐車場はありません)
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新居関所は正式な名前を今切関所といい、開設は1600年(慶長5年)と箱根関所(同1618年)よりも古いのです。
もともと浜名湖の海への出口は川で、東海道と水運が交差する港湾都市でした。
1498年8月に起きた明応地震の際、津波の襲来によって浜名湖開口部が沈下したため、浜名湖は汽水湖となり、翌年の暴風雨と高潮で、現在のような今切と呼ばれる決壊口が形成されました。
1500年前後というと、北条早雲が小田原城を奪取し、相模平定に乗り出したころです。
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江戸幕府の五街道整備(1601年)に先立って行われた関所開設の目的は、やはり「入り女に出鉄砲」でした。
箱根と違って船の渡し場が即関所でしたから、案内人を雇って間道を通り「道に迷った」という理由付けでお目こぼしにあずかるという手は、こちらの関所では不可能でした、というか関所側でも目をつぶろうにもつぶれなかったのではないかと思われます。
それに、女性、入鉄砲に対する詮議はともに厳しかったようで、一説によれば、その厳しさを避けるために浜名湖の内陸側を通る脇往還の本坂越が女性でにぎわい「姫街道」と呼ばれるようになったとか。
もっとも、本坂越にも気賀(きが)関所という関門が設けられていて、こちらも女性に対しては特に厳しかったようです。
ただし、こちらは今切のように舟付場の関所ではありませんでしたから、地元の人々が夜間に便宜上通行するための通路(「犬くぐり」と呼ばれていたそうです)や、お陰参りの時の大規模突破は黙認でしたし、金子を差し出して破るなど、便法がなかったわけではないそうです。
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さて新居関所ですが、最初は今の場所よりずっと東の向島(今はバス停にその名が残っています)と呼ばれる、西浜名橋の西詰付近にありました。
それが高潮やら地震やらによって流されたり倒壊したりして、建て替えられる都度に西へ移転して、今の場所に納まったそうです。
現存している建物は、安政東海地震によって1855年に改築されたもので、明治になって関所が廃止されたあとも、小学校校舎、役場として1951年まで使用され続け、1971年に解体修理されたのち、遺構として保存されているものです。
気賀関所も明治まで残っていたそうですが、あちらはその後取り壊されてしまい、同じく失われてしまった箱根や小仏などに比べても、国内で唯一残っている関所として、大変貴重な建物です。
ただ、その割には東京起点でも京都起点でも、このあたりまでくる旅人はもうペース配分をつかんでおり、のんびりと施設見学などしていると旅費が嵩むことがわかっているので、よほど時間が余っている人でもなければ通過してしまいます。
かくいう私も、「今回は舞阪、新居、二川の遺構を重点的に見る」と決めてこなければ、こんなにゆっくり見学することはできませんでした。
反省的にいわせてもらえれば、東海道の旅に興味のある方は、二川本陣、草津本陣と並んで決して無視してはならない施設だと思います。
そんなわけで、本編と若干ダブるものの、写真の説明をいたしましょう。
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こちらは関所内の雨水を浜名湖へ流すための石樋(いしひ)です。
鴨のくちばしに似ているから、鴨の口と呼ばれていました。
だとしたら、向きが違うような気がします…。
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鳥島へ流れ着いた平三郎さんの話は、本編で詳しく致しました。
ほかに熱田で宝順丸のお話も出てきました。
音吉はロンドンまで行ったけれど、帰国はかないませんでした。
そして先日は白子のところでアリューシャン列島からサンクトペテルスブルグまで行ってしまった大黒屋光太夫の話にもふれました。
彼らに比べれば、鳥島で済んでラッキーだったのかもしれません。
幕府が竜骨のある船の製造を禁止したのが、いちばんいけないと思います。
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葵の御紋と白砂のように白い地面に夏の照り返しがすごくて、なんだかスタジオ照明でホワイトアウトしそうな、時代劇に出てくるお白州のようでした。
あ、でもあの桜を咲かせるための段が無いや(笑)
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縁側の外には、なぜか復元された駕籠が置いてありました。
上の方は握り手が桃色だから女駕籠でしょうか。
そして短くて細い竹の棒は、駕籠かきの杖かもしれません。
下の二台は、もの凄く簡素なつくりです。
サスペンションは竹のしなりと人間の膝くらいしかなかったわけですから、無理して長時間乗っていると、胃下垂になってしまったそうです。
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格子戸の隙間から覗いてみると・・・
箱根の関所同様にお役人様たちが詮議の旅人を待っているようでした。
(つづく)


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