潮見坂は上から木が被さっている関係で、絞りをうまく調節しないと海が撮れません。
ということで、お隣にある別荘地の坂のうえから海を撮影。
なんだか、鎌高前とか七里ヶ浜高脇の坂道に似ていると思うのは私だけでしょうか。
以前にも書きましたが、東海道から海を眺める絶景は、数えるほどしかありません。
昔の旅人も、海の青さに癒されていたのでしょう。
潮見坂の上にある版画と同じ景色の場所。
広重の魅力のひとつに、視点の自由さがあるわけですが、絵の構図と同じ映像を得ようとすると、白須賀中学校のプール上空にドローンを飛ばさねばならず、そんなことをしたら結果は明らかなのでやめましょう。
なお、夏場は緑が生い茂って、ここまでの眺望は得られません。
かつて(新)白須賀宿の入口にあった自転車屋さん。
屋号が「鍵屋」ということは、錠前屋さんが自転車屋さんに変身したということなのでしょうか。
「基本はツーロック」って、そんなこと言われていた時代もありましたね。
折りたたみ自転車に乗るようになってから、ロックするシーンが激減してしまい、懐かしいのでした。
こちらは江戸方の鍵形手前に存在した床屋さん。
あのバーバースポール、もとは外科のシンボルで、動脈、静脈、包帯を表していたという説があるそうです。
医療における権力闘争ドラマで「○○教授の総回診です」といいながら、おつきがあれを回していたら笑える絵になったのに…。
それにしても、年季が入っています。
白須賀宿の中心付近。
左のお酒屋さんと、右の呉服用品店はいまも残っているはずです。
国道1号線に出ると、速度自動取締路線の看板下をくぐります。
たしか2枚出てきてそのあとに、真打ちのオービスが登場するのがお約束でした。
「これより豊橋市 事故多発取締強化中」の看板が。
やはりスピードが出てしまう道なのかもしれません。
夏、道路際の畑に咲く、アガパンサス種の花。
退屈で日影のない国道の歩道に、色彩を与えてくれています。
二枚目の看板登場。
このあたりは天伯原(てんぱくばら)台地といって、土壌ペーハーが酸性に傾きすぎて、野菜の栽培には向いておらず、中世はもっぱら陶芸用の粘土を採集していたのだそうです。
戦後の土壌改良と、豊川用水の通水でいまのように畑作ができるようになりました。
コオロギを生産しているそうです。
ギスギスした国道の看板よりも癒されそう。
しかし、200匹以上からの小売りで、M@7円、L@8円って、買って帰って宿の部屋で脱走したら悪夢です。
ありました。
速度超過を自動で取り締まるオービスが。
さいきん滅多に車に乗らないし、こうして歩道をゆくと完全に他人事です。
警告!即死現場って、車やトラックには警鐘になるのかもしれませんが、歩行者や自転車にとっては「くわばらくわばら」と死者の冥福を祈って通り過ぎるしかありません。
それにしても旧東海道のこの区間、そんなに人の命を奪っているのであれば、わざわざ旧道跡をバイパスにしなくても良かったのにと思います。
また、学生の頃夜を徹してオートバイで東京から下道を走ってくると、この辺りから豊橋、岡崎にかけて、もの凄い眠気に襲われた記憶がよみがえります。
いまこうやって生きて東海道をゆけることに、感謝です。
新幹線の車窓からもみえる立岩。
このアングルからみると、映画「未知との遭遇」に出てきたデビルズ・タワーみたいです。
登ってみたいと思いながら、いまだに行ったことがありません。
麓には神社と喫茶店があって、県道を挟んでお向かいには、椀かせ岩という名の、ゾウのような大きさの岩が畑の中に鎮座しています。
この岩は、立岩の白キツネが蹴り落としたといわれ、この岩のある田の持ち主が、日待の際にお椀を用意しなければならないとぼやいたところ、翌朝この岩の上に椀がのっていたという伝説から、椀かせ岩というそうです。