7月の午前10時ごろに前を通りかかったらたまたま開いておりましたので、立ち寄ってみました。
舞阪宿は今切れの渡しを控えていますから、宮や島田ほど出なかったにせよ、荒天の際には旅人が足止めを喰らった宿場であったはずです。
脇本陣というのは、その名の通り本陣の補助をする宿で、本陣がいっぱいのときに、別の大名が泊りました。
その場合、大名の規模、格によって小さい藩、同じ規模なら親藩より外様の大名がこちらに宿泊したそうです。
身分制度に厳密な江戸時代ならではのエピソードです。
但し、大名行列の宿泊が無い場合は、一般の宿泊にも供されたのですが、その際でもお殿様用の客室や厠、湯殿などは使えませんでした。
提灯を吊るす台は、高さ調節が可能だったようですね。
それにしても、逆さに吊るすのは何か意味があるのでしょうか。
倒福?それとも提灯を均等に伸ばすため?
中に入るとひんやり涼しくて、靴を脱ぐと思わずくつろぎたくなります。
復元建築のため、柱や梁は新しい部材が使われていますが、これだけの太い木材をよく調達したなと思います。
同時に、塗り直された漆喰の壁も、職人さんを手配するのが大変だったのではないかと感じました。
昔の台所、御厨ですね。
こんなにきれいだったら、女房衆も舞い上がってしまうのではないかと。
玄関脇のマネキンに着せられていた、江戸時代の平均的な旅装です。
着物とはいえ、すごく機能的で涼しそう。
見舗装路であれば、現代でも通用するのではないでしょうか。
もっとも、山奥でこんな格好の登山者に出会ったら、幽霊じゃないかと訝しがられそうです。
マネキンの髪型が現代の青年風なのは御愛嬌。
町屋の建物はうなぎの寝床みたいに南北に長いのが特徴ですが、こうして障子やふすまを開け放つと、中庭を通して一直線の空気の動線ができるわけです。
ああ、暑さの中で浜松からペダルを踏んできた身としては、思わず畳水連(※畳のうえで泳ぐ練習をすること=来日外国人観光客がよくやっています)してしまいそう。
誰もいないけれど、監視カメラがあるかもしれませんから、やめておきましょう。
玄関にいちばん近い部屋から上がりかまち越しに街道をみたところ。
こうして往来の気配を感じられながら、なおかつプライベートな空間が確保されるというのは、壁でがっちり隔てられた西洋の建物と違い、日本建築のよいところだと思います。
おそらくは復元の際につくられた建築模型。
材料なんかは新宿の世界堂に売っています。
これ、発泡スチロールにちゃんと色が塗られて、瓦や外壁などのエクステリアだけでなく、室内の柱や梁、襖や障子まで忠実に再現されていました。
男性としては工作心がくすぐられます。
夏休みの宿題におひとついかが?
この映画、観ましたよ。
時代考証に忠実とは言い難かったけれど、なかなか楽しいエンターテイメントでありました。
でも、歴史物のドタバタ劇をどうせやるならJR西日本の協力を得て、筒井康孝の「ヤマザキ」とかやってほしかったです。
読んだ人にしか分からないでしょうけれど。
二階の部屋から街道を望む。
二階で土下座できるようになっていたのは、赤坂宿の大橋屋さんで聞いたとおりです。
格子をよくみると、立ちあがったら街道を見下ろせるようになっていました。
この籠は、わりと一般的なもので、大名籠などと比べると簡素です。
でも、やはり乗って写真を撮る人がいるのか、さわらないでくださいの文字が。
こちらは江戸全図。
上が西で下が東になっています。
こうしてみると、江戸はお城から見て東から北にかけて開けていた街なのだとわかります。
いまの新宿(内藤新宿)など、地図の隅ですから。
(つづく)