高尾山でリフトに乗ったら、シーズン終了までにどうしても雪国に行きたくなってしまい、スキーの動画を撮影に行って参りました。
また自転車同様試行錯誤ではありましたが、できあがったらYoutubeでご紹介できると思います。
思えば自分にとってはこれが平成最後のスキー行になるわけです。
平成が始まったころ、社会人になってスキーが出来なくなり、その間にスキー場を取り巻く環境もずいぶん変わったと思うと、感慨深いものがありました。
また、もし自分がスキーをしていなかったら、ここまでブロンプトンを活用できたかと思うと、巡り合わせのようなものも感じました。
天候ですが3日間のうち晴れたのは帰宅日のみでした。
今年は雪が少ないと聞いていて、初日に積もった雪をみると、あきらかに雨を含んだようで黒ずんでいました。
きけば、数日前に降雨があったとのことです。
到着日から雪が2日間降ったため、表面はどんどん白くなってゆきました。
雪景色というものは、住んでいる人たちには申し訳ないのですが、旅人にはよいものです。
特に自分のように聖書を読んでいる者にとって、雪は罪や穢れを洗い清めてくれる象徴のように思えるのです。
プロテスタントの讃美歌(251番)には、そういう歌詞の繰り返しです。
元となった詩編の51には「わたしが清くなるように。わたしを洗ってください。雪よりも白くなるように」という文言が入っています。
イザヤ書にも「論じあおうではないか、と主は言われる。たとえお前たちの罪が緋(ひ=あか)のようであっても、雪のように白くなることができる。」とあります。
もっとも、キリスト教でいうところの「原罪」(=人間であるがゆえの罪)が分からないと、「わたしのどこに罪があるのか?わたしは無害(innocuous)だ」となってしまいますが。
今回は、ストックは置いてカメラを片手に滑ることが多かったので、自然に身体をカバーするような動きが入り、自由には滑れませんでした。
自撮り、他撮りについて、それぞれどうしたらいいのかをカメラのプロと相談しながらまとめたので、機会のある時に書きたいと思います。
昨年、オートバイで転んで大けがした膝や手が痛んだのですが、現金なもので天候が回復すると、痛みも消えてしまうというありさまでした。
しかし、自転車に乗っている分には全く感じない痛みだったので、怪我からのリハビリとは色々と身体を動かしてみないとわからないものだと、つくづく思いました。
さて、毎度スキーをして思うのは、旅で運動すると旅の印象が格段に違うということです。
これは、ブロンプトンをつれていって現地で乗る旅にも全く同じことがいえるのですが、旅の最中に身体を動かした旅と、そうでない旅では、全く印象が変わってしまいます。
たとえば、ずーっとバスに座りっぱなしで、見学個所でも殆ど歩かなかった街というのは、たとえ海外旅行の最中に立ち寄った有名な街でも、あまり記憶には残りません。
また京都に行ったとして、一日観光のバスに揺られるのと、その半分の見学個所を自転車で回るのとは、同じ京都の街が異なった風景に見えるほど見違えるのです。
私にはどうも、「息」が関係しているように思えます。
子どもの頃、口呼吸していた時には、(もちろん細胞が若いということもあるのでしょうが)自分の身体と周囲の環境が濃密に交渉していたような記憶はないでしょうか。
運動生理学はあまり詳しくはありませんが、スキーも自転車も、旅先で運動をするというのは、それだけ周りの空気を体内に取り込み、そして腹の底から吐き出すという、音楽でいえば腹式呼吸のようなことを自然にしていることになります。
アップダウンの続く道を走ったり、急斜面をものともせずに下ったり、運動が激しくなれば、それだけ呼吸も大きく、深くなります。
すると、運動しないときよりもはるかに濃密な、環境とのやり取りがなされます。
これが、どうも実際の運動以上に脳を含む身体によい影響を与えるのではないかと感じるのです。
最近ではホテルに宿泊する出張ビジネスマン向けに、周辺のジョギングコースを紹介した地図を置いているホテルがあります。
欧米などでは、朝の出勤前にランニングをする習慣を持っている人たちが、仕事で旅行に出た先でも走りたいということで、靴や着替えを持ち歩くことも多いと聞きます。
それは、単に身体を痩せたままに保つとか、健康のためというだけではなく、行った先での環境とコンタクトしたいという欲求も入っているのではないでしょうか。
もしブロンプトンを持っていたら、もっと広範囲をみて回りながら運動ができるだろうと思います。
しかし、もし旅先での運動が旅をより濃いものにするというのであれば、たとえば運動部の合宿旅行などはどうなるのでしょう。
私も学生時代何度が参加しましたが、ずっと施設のプールで泳いでいる時は、「こんなのどこでやっても同じだ」と思ったものです。
ところが、外をランニングしているときや、同じ部活の海での合宿は、それとは全然違う旅として記憶に残っています。
たしかに、ただ運動すればよいということであれば、人工スキー場へ行っても同じでしょうし、宿屋にルームランナーを置いて、その上でひたすら走っても同じということになります。
そう考えると、運動する場所の環境が大事ということに気がつきます。
写真をご覧になっても分かる通り、同じ場所でも雪の日と天気の日では、全く環境が違います。
見かけだけではなく、空気も違います。
そして、同じ所を行ったり来たりとか、トラックを何周するというのではなく、運動しながら良い環境のなかを移動するということが大切なのだと気付かされます。
たぶん、山行でテントを背負いながら移動する旅も、同じような要素をもっているのではないでしょうか。
前述したジョギングにしても、ブロンプトンで走るにしても、もし旅先の道路が東京周辺の郊外と全く同じ、チェーン店やロードサイド店の立ち並ぶ道だったら、「なんだ、家の近所と大差ない」ということになってしまいます。
だから、スキーにしても、輪行にしても、それを思い出深いものにしたいと願うなら、TPOを考えねばならないのだと思います。
スキーの場合のTは時間帯、Pはスキー場の選択とコース取り、Oは雪質だと思われます。
やっている人ならわかると思いますが、スキー場はあさイチから午前中早い時間帯がもっともコンディションが良いのです。
雰囲気だけでいうと、夕方もなかなかですが。
この点、コース選択については、滑る技術があれば行ける場所の範囲が格段に広がります。
また、こうしてスキーに行って冬場の雪景色をみているからこそ、若葉の頃や、紅葉の頃の山の表情が豊かなものだと感じられるのではないでしょうか。
自転車で走る場合もまた、ルート選択は大事ということになります。
そうして得られた豊かさとは、お金をかけたら得られるリッチな気分とは全く違うものですが、豪華旅行と違い、「もっと、もっと」という欲望の突き上げが無いところが、何度出かけてもお腹いっぱいになることがなく、にもかかわらず満足が得られ、それでいて「また違う機会に出かけよう」と、次につながる旅になるのだと思います。
リピーター率が低いと悩んでいる観光地は、このあたりが大いなるヒントになるのではないでしょうか。