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Channel: 旅はブロンプトンをつれて
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高尾山薬王院にブロンプトンをつれて(その2)

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(その1)からの続き
大垂水峠に向かうつもりが、間違えて小仏行きのバスに乗ってしまった私。
おかげで、谷間に咲く樹木と雪のコラボレーションを見せていただきました。
嬉しい誤算とはまさにこのことです。
早めの昼食であるおそばを食べながら、どうしてバスを乗り間違えてしまったのだろうと考えるのですが、高尾駅北口で相模湖駅行きのバス停が簡単には見つからなかったことが、原因であるとしか考えられません。
そこで、食後に高尾駅北口までブロンプトンで戻り、バス停を探してみることにしました。
さきほど小仏バス停で下車したとき、周囲の景色はまさに厳冬の趣だったのに、わずか5㎞ほど自転車で坂を下っただけで、季節が一カ月半進んでしまったような感じです。
こんな経験も滅多にできるものではありません。
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駅の改札を背にして左手に「西東京バス㈱高尾駅北口のりば案内」という看板があります。
1番乗り場と2番乗り場に10~8系統の行き先が書いてありますが、目を皿のようにして探しても相模湖駅行きは見当たりません。
仕方なく、西東京バスの運転手さんをつかまえて、「あのう、神奈中バスの相模湖駅行きのバス乗り場はどちらでしょう?」と訊いてみました。
すると彼は気の毒そうな顔をして、「そのバス停は、甲州街道へ出て右に行って、コンビニと交番の先なんですよね」と答えるではありませんか。
たぶん、私からだけではなく、よく尋ねられるのだと思います。
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教えてもらって合点がゆきました。
西東京バスは京王系のバス会社ですが。神奈川中央交通は小田急系のバス会社です。
きっと高尾駅北口広場には、テリトリーの関係で乗り入れることができないのでしょう。
言われるままに甲州街道へ出て八王子方向へ戻ると、駅から130mほどのところにバス停をみつけました。
ちゃんと3番乗り場の③と屋根にあります。
八王子市のコミュニティバスと、京王八王子駅~高尾山口駅間を走る京王バス(山01系統)、それにお目当ての神奈川中央交通八王子駅~相模湖駅(八07系統)の3路線だけが、このバス停を使用しているようです。
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なんと、バス停のポールは京王バスのロゴが入り、「高尾駅入口」となっています。
あれ、神奈中バスのホームページでは「高尾駅前」だったのに…。
たぶん、地元のひとしか使わないから、暗黙の了解なのでしょう。
しかも、神奈中バスの時刻表には張り紙がしてあり、「本日は、八王子市内で開催される駅伝大会のため、八07系統の午前中の便は、八王子駅~高尾山口間で運休となります」と書かれているではありませんか。
ネットで時刻表は確認していても、このお知らせまでは知りませんでした。
ということは、今朝私が大垂水峠に向かうべく時間通りにこのバス停に辿り着いたとしても、お目当てのバスは運休しており、あわてて高尾山口までブロンプトンをヒーコラ走らせるという羽目に陥っていたはずです。
高尾駅から大垂水峠へのバス乗車、難易度が高すぎます。
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こうしてよくよく考えてみると、あそこで勘違いして小仏行きのバスに乗ったのも、そこで雪のかかった梅林を眺めたのも、すべて偶然が重なっての結果だったわけです。
こういうことがあると、人間、自分の意思だけで生きているわけではないのだなという思いを強くします。
自分でプランを立てて旅をしているつもりでも、計画通りに行かないことはよくあって、想像していたのと全く違う景色に出会ったり、思ってもみなかった経験をしたりするわけで、そうした現実に対して感謝するのも、思い通りにならないと不平を述べるのも、すべて自己の心の在り方ひとつです。
これは何も旅に限ったことではなく、日常生活でも思いもかけない出来事に遭遇することがあります。
ちょうど過去を思い返すべき時期ですが、大きな災害を被った時に、その経験をあとのプラスに変えるのか、負の遺産として積み重ねるのかは、すべて自分次第です。
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そんなことを考えていたら、つい新約聖書の後ろの方についているパウロの書簡を思いだしました。
彼の手紙は、力強い励ましの言葉が多く、読んでいて勇気づけられることが多いのです。
聖パウロは「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリストイエスにおいて、神があなたに望んでおられることです」(聖書 テサロニケの信徒への手紙一 5章16-18節 新共同訳)という言葉を残しています。
このような経験があるたびに、本当にその通りだなと感じます。
人生万事塞翁が馬で、たとえ突如として不幸に襲われ、自分の意図と違う状況になっても、それが良いのか悪いのか、自分では評価できない面がありますから。
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しかしながら、そうは理解していても、たとえば意図的な意地悪やあからさまな圧力を受けたようなとき、同じ言葉を思い出すとさすがにカチンときます。
「いつも喜んでいなさい」って、お人好しの阿呆がすることではなかろうか、と。
でも直前にお願いとしてこうも書いてあるのです。
「すべての人に対して、忍耐強く接しなさい。だれも悪をもって悪に報いることのないように気をつけなさい。お互いの間でも、すべての人に対しても、いつも善を行うよう努めなさい。」
ここでは、「あなたと仲の良い人」とか「気が合う人」が対象ではなく、「すべての人」になっています。
私には、どうもこの辺りが前回祈祷殿で問題になった、ロードレイジなどの人間のもつ避けられない怒りや憎しみへの、聖書の回答のような気がしています。
キリスト教では神の前ではすべての人間は罪びとであり、同時にすべての被造物には神の善が宿っているのだから、たとえ悪を為す者に対しても、人間が自分勝手に同じ人間を裁き、意趣返しすることはゆるされないという考え方がります。
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いっぽう、創造主を設定しない仏教では、三界にて生死を繰り返し輪廻する衆生は、人間の努力(修行)と仏の慈悲によって涅槃に達し、そこから解放される(解脱する)というのが、私の拙い理解の大枠なのです。
そういえば、禅宗のお坊さんの偈に、「人生は訓練である。わたくし自身の訓練の場である。失敗もできる訓練の場である。生きていることを喜ぶ訓練の場である」という言葉がありました。
生きていることを喜べない人が、どうして感謝の気持ちを持てるだろうかと思います。
であれば、人生を喜ぶということはどういうことなのでしょうか。
自分はお金持ちになって享楽的な生活を送ることでも、偉くなって他人を見下すことでもないと思います。
もちろん、気に入らないからといって他人に毒づいたり、やられたらやり返せとリベンジしたりすることでもありません。
そういう枠組みで考えると、車やオートバイを運転しているときよりも、いまこうしてブロンプトンに乗っている時の方が、何か嫌な思いをしたとしても、心が平らでいて、かつ喜んでいられる時間が多いようにも思えるのでした。
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そんなことを考えながら高尾山口駅まで戻り、線路高架下の無料駐輪場にブロンプトンをとめます。
そこから430mを歩き、清滝駅へ。
先日の夕方にみかけた金の像は、某大物演歌歌手のものとわかりました。
なぜに?と思いましたが、その回答は山の上で与えられます。
いざ乗車と思っても、ここでは山上までケーブルカーとリフトという2つの方法があります。
運賃は、片道往復とも全く同じです。(片道480円往復930円)
ケーブルカーは15分間隔で運行されており、所用時間は6分。
これに対し、リフトは空いて入れ、随時乗車可能で、所要時間はケーブルカーの倍の12分、ただし、こちらは確実に座れます。
2月の寒い時期でしたら、大半のお客さんはケーブルカーに乗っていました。
しかし、雪が所々に残る斜面を見ていたら、ついついスキー場を思いだしてしまい、ここではあえてリフトに乗車することに決めました。

今回の参詣の目的、「仏教における間癪封じとは」(笑)について、聖書から考えていたら、少し長くなりましたので、次回はリフト乗車から続けたいと思います。
(つづく)


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