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Channel: 旅はブロンプトンをつれて
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カトリック雪ノ下教会と鎌倉国宝館にブロンプトンをつれて

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先日、鎌倉の国宝館へゆきました。
私のお寺のご本尊が、収蔵庫改修のため一時的に国宝館内に展示されているからです。
年3回しかご開帳されないご本尊は、お寺に出入りしている私でもじっくり眺めることができないのです。
ご本尊は衣を着ている木像で、そのために肩の部分が木製の鎖になっており、それが弘法大師と鎖でがっちりと結びつくという信仰になっているとききました。
ああ、たしかに大師信仰は四国のお遍路さんを持ち出すまでもなく、同行二人ですからね。
でも住職は鎖の部分をよく見たことないそうです。
どうしてですか?と訊いたら、過去一度だけあった衣替えの時には、手前の護摩壇で護摩修行をしていたから、見えるものではなかったとのこと。
それもそうだと合点がゆきました。
もっとも、密教は神秘主義だから、あまり細かいところまで暴き立てない方が良いのかもしれません。
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(大船と北鎌倉の間にある素掘りのトンネル。頭上注意です)

日曜日だったので、いつも行っている渋谷の教会と鎌倉は逆方向になってしまいます。
そこで大船まで電車で行って、そこから鎌倉まではブロンプトンで走り、カトリック雪ノ下教会のミサに出てから国宝館へと向かうことにしました。
(カトリック信者はミサのことを「ごみさ」とか「おみさ」と呼ぶのですが、文章なのでミサにしておきます)
本当は浪馬が尊敬していた先生が生前に通っていた、よりこじんまりしている由比ガ浜教会のミサに出てみたかったのですが、時間が合いませんでした。
とはいえ、若宮大路にある雪ノ下教会も鎌倉では目立ちますし、前からミサに出てみたかったのです。
カトリック信者になって教会を無視できなくなってから、日曜日でも都合がつく限り行く先々の教会にいってミサに出るのが楽しみになっています。
全然知らない初めての教会でも、旧知の人たちの間にいるような感覚なのです。
たぶん、お寺の檀信徒さんたちの間と同じなのでしょうが、あちらは同じ宗旨宗派のお寺にいってそのお寺の人たちと勤行しても、同じ感覚になれるのだと思います。
具体的な機会があるかはともかく、大師信仰とか観音信仰、念仏講という点でいえば、そうなのではないでしょうか。
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とはいえ、東京の教会と神奈川の教会では(それぞれの教会にもよりますが)教区も違うので、ミサの形式は全く同じですが、歌われる聖歌が違います。
今回も知っているのは典礼聖歌も含め一曲しかありませんでした。
でも、それがまた普段と違う雰囲気で良いのです。
雪ノ下教会は10年前までレデンプトール修道会の管轄でしたが、その後横浜教区に移管されています。
鎌倉へ遊びに来る人であの会のレデンプトリスチン修道院の存在を知っている人は少ないと思います。
雪ノ下教会からだと、裏手の滑川の向こう(高時腹切りやぐらの下あたり)にあるのですが、鎌倉に住んでいた私は、あそこで昔からクッキーを売っているのを知っていました。
でも、函館のトラピスチヌ修道院みたいに宣伝しないから、全然知られていないのです。
たまには豊島屋さんの鳩サブレじゃなく、そちらを買って帰るのも面白いと思いますよ。
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(ミサに出席する人なら、駐輪票がなくても駐輪できるそうです)

ミサをたてていたのはインド人の司祭でした。
ボーッとしていたので途中まで気付かなかったのですが、後ろに座っている司祭のお顔には見覚えがあります。
誰だったかな~と考えていたら、思いだしました。
今から15年以上前のことです。
その頃、私はもちろんカトリック教会とは全く無縁でした。
毎週行っているある会合が、その日はビルの都合で行えなくなり、仕方なく近所のカトリック教会がやっている幼稚園のホールで行わせてもらうことを頼みに行ったのです。
無宗教の非営利活動とはいえ、内容が誤解をうけやすい会合だったので、神父さまは「じゃぁ信徒代表の方を交えて話しましょう」ということになりました。
約束の日の夕方に向った先は教会ではなく近所の焼き鳥屋さん。
そこで、ビールを飲みながら「ふーん、そんな集まりがあるんだ、大変だねぇ」と信徒代表の方ともども話を聞いてもらって、快く承諾してもらいました。
そのとき、カトリック教会って厳しいというのは、私の思い込みだったのかなと感じたものです。
クリスマスのあとだったか、飾り付けられた部屋で行った会合は、不思議な雰囲気で、終わって銀杏の木の枯れ枝越しに星が瞬いていたのをよく覚えています。
神父さんとあったのは、その2日限りでした。
その直後に人手不足から幼稚園は廃園となり、その神父さんも横浜にある教区本部へ移ったというのは聞いていました。
でも、雪ノ下教会で主任司祭をやられているというのは、全く知りませんでした。
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ミサのあと、教会の前の階段で声をかけさせてもらいました。
あのあと娘がカトリックの小学校に入学し、そこで聖書講座に参加するうちに仲間の父母がみな洗礼を受け、最後のひとりになるのが嫌で5年前に洗礼を受けたこと、そこで私と同じ読書魔の神父さんに出会って、アウグスティヌスを読んでいること、事情があって、今は鎌倉のお寺でお手伝いをしていること、洗礼を受けたおかげで仏教への理解も深まっている等々。
神父さんは遠くを見るような目で、「そんなこともありましたね。けれどよかったですね」と仰っていました。
お礼を述べてから教会をあとにして、国宝館へ行ったのですが、このような邂逅もお大師さまの功徳なのかと思うと、妙な気分でした。
ちゃんとお礼もしましたし、ご本尊様が明治よりも以前にいたという鶴岡八幡宮にもお参りしてから帰りました。
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(鎌倉国宝館)

帰りがけに、鎌倉って東京から一番近い首都圏における宗教都市なのに、もっとできることはないのかなと思いました。
去年の3月11日、東日本大震災から7年を迎えるにあたって、鎌倉大仏で有名な高徳院では、鎌倉の神道、仏教、キリスト教関係者が一堂に会して、合同慰霊祭を行いました。
浪馬のお手伝いするお寺の住職も参加されていて、送迎をしたのですが、これだけ大きな行事の割には観光客の反応はいまひとつの感じがしました。
神主さんと、お坊さんと、牧師さんや神父さんが集まって祈りを捧げるなんて、滅多にない機会なのに。
私はそれぞれの人が着ている宗教服だけでも、面白いなぁと思って駐車場で眺めていました。
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(八幡さまの舞殿では結婚式をしていました)

ある意味で、日本は宗教に寛容な国といわれています。
日本人の宗教は本来の宗教とはいえないものだという批評もあります。
しかし、私は国内と海外を旅行して、日本人は間違いなく信心深い民族だと思っています。
でなければ、こんなにその土地毎に氏神様が残っているはずがなく、飛鳥時代に伝来した仏教が、大乗仏教としてここまで発展することはなかったでしょう。
様々な葛藤があり、政治的な要因もあったにしろ、これだけの数の寺院が残ることもなかったはずです。
明治になって西洋を知ろうという動機はあったにせよ、ここまでキリスト教神学や哲学の書物が自国語に翻訳されている国をわたしは他のアジアの国に見出せません。
ですから、これだけの先人たちの努力を受け継いだ私たちが、遺産を野晒しにして無に帰してしまうのは、とても申し訳ないような気がするのです。
そんなことを考えながら、またもやブロンプトンで大船まで走り、そこかた帰宅しました。
あ、最後になりましたが、今年はここ雪ノ下カトリック教会にて東日本大震災復興祈願祭と鎌倉宗教者会議が下記の日程で行われる予定です。
2019年3月11日 14:35~16:00
月曜日の午後ですが、教会にひびく懺悔文や修祓も、悪くないと思いますよ。
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(春の横浜山手カトリック教会。横浜教区の司教座聖堂です)

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