大垂水峠の富士屋さんにやって参りました。
注文してから10分少々で、チャーシューメンが出てきました。
レンゲでスープを一口すすって、びっくり。
出汁無しでじゅうぶんという意味が分かりました。
当世流行りの奇をてらった、或いは打撃系の味ではなく、どこまでもマイルドで奥ゆかしいのです。
これなら、朝からラーメンでもいけます。
また、餃子もニラの入った正統派で、ラーメンともども昭和の美味しいラーメンギョーザはこれだ!という印象でした。
新横浜のラー博で食べたラーメンよりも、懐かしい。
少しだけ女将さんと話したのですが、数日前、都心に雨が降った日、ここでは7cmの積雪があったとのこと。
翌朝、晴れわたった空のもと一面の銀世界と白富士は、神々しいほどに美しかったそうです。
それで日陰には雪が残っているんだ。
昔からスキーヤーの私には分かりますよ、その情景。
なるほど、冬の時期、雨の日の翌日の晴れ間の高尾は銀世界なのかと気がつきました。
もうひとつ。
女将さんと話していて気がついたのですが、物腰や言葉遣いが控えめで物凄く品があるのです。
昔はこういう態度から滲み出る感じの上品な女性は結構いたものですが、最近見かけなくなりました。
(手前に見える観覧車は、相模湖プレジャーフォレスト=旧ピクニックランドです)
あの、もしかして過去に割烹旅館か料亭の女将さんでもやっていましたか?と喉元まで言葉が出かかったのですが、飲み込みました。
ひょっとすると職業柄ではないかもしれず、だとしたら初対面で失礼にあたりますからね。
吉田松陰は、高杉晋作が久坂玄随に伴われてはじめて松下村塾にやってきたときに、遠目に見た姿と聞こえてくる話声で「これは大人物がやってきた」と直感したそうですが、その人格は、言葉を交わさずとも雰囲気から分かることもある気がします。
もっとも最近では装うのだけが上手で、普段は紳士面を装いながら、いったん感情が乱れたり、誰かから唆されたりするとすぐに馬脚をあらわ…、じゃなかったメッキが剥がれる賤しい人物も大勢いますが。
それはさておき、ここの女将さんはお客さんとの間合いの取り方がただ者ではなく、また出された食べ物の味は、作った方の人柄を映していると、不肖の私めでも感じた次第です。
さて、お礼を述べて店を出て、再び富士山を眺めます。
小さいながら、先程は目視できなかった笠雲が山頂上に出てきました。
ということは、富士山上空の風が強まってきたという証拠です。
翌日の月曜は天気が崩れるとの予報でしたので、あの笠雲はいわれ通り、下り坂の予兆なのかもしれません。
そんなことを考えながら、大垂水峠を越えて高尾側へ下ります。
下ってすぐの日陰の路肩には、バスから見た通り薄い積雪が残っています。
しかし、路面凍結はありませんでした。
杉林のカーブを慎重に下ってゆくと、最初に大規模な霊園、続いて廃業して月日が経ったと思しきかつてのモーテルがいくつか現れました。
たしかにバブルの頃は夕方からネオンがキラキラと輝く山中だった記憶があります。
いまや、「つわものどもが夢のあと」のようになっていますが。
さらに下ってゆくと、「水神様(案内川)不法投棄物展示場」の看板とともに、布団、枕、空き缶、傘などの大量のごみが展示…されています。
先程の廃ホテルといい、この先で養豚場でも出てきたら「千と千尋の…」みたいだな、確か製作スタジオは中央線沿線にあったし、高尾山から何かインスピレーションでも受けているのでしょうか。
案内川とは南浅川の支流で、国道20号線の谷はこの川に沿っているのです。
水神様にはどこへ案内していただけるのやら。
あのアニメに出てくるカオナシを見ると、信仰の無いころの自分のような気がしてきます。
そのままカーブの連続する国道を下ってゆくと、突然コンクリートの巨大な建造物が現れます。
圏央道の高尾山インターチェンジです。
圏央道はこの北側にて高尾山の下をトンネルで貫いており、計画段階から反対運動がありました。
懸念されていたのは、地下水脈の断絶と、動植物などの生態系への影響。
たしかに、高尾山は山の低さに対して滝や湧水が多い山で、真言宗総本山の高野山金剛峯寺同様に、水に困らない山なのです。
植生も多彩で、ひと山で1300種の植物種は英国一国のそれに匹敵するともいわれるほどです。
ミシュランがこの山に三つ星をつけたのは、伊達な理由からではなかったのでした。
釣り天狗たちの間には、「ヘラにはじまりヘラに終わる」という格言がありますが、2016年に亡くなった女性登山家の田部井淳子さんが、テレビ番組(確か登山教室のような内容)で、「山登りは高尾山にはじまり高尾山に終わる」と話されているのを聞いたことがあります。
そのときは「中央線沿線の人はそうでしょうけれど…もしかしたら京都の人は高雄山の方だったりして」なんて思ったものですが、子どもの頃に登った山の中でも丹沢の大山とともに印象深い山であることは間違いありません。
それに、私が育ったのは多摩川の河岸段丘と下末吉台地が接するあたりなのですが、鎌倉の裏手の山(三浦半島の主脈尾根)も含め、丘を山の方角へずっと遡ってゆくと、以前このブログでご紹介した「よこやまの道」から七国峠、大垂水峠を経て、前述の(小仏)城山で高尾山の尾根と合流します。
(さらに尾根を上方向へたどると、陣馬山、三頭山、大菩薩嶺、柳沢峠、雁坂峠を経て甲武信ヶ岳で大分水嶺に突き当ります)
丹沢や奥多摩、秩父とは違い、高尾山とその裏手の尾根筋は、自分が育った環境の源流部にあたるわけで、環境や植生も共通項が多いのです。
だから、水が美味しく感じたのかもしれませんが、北の荒川水系や、南の相模川水系ではなく、多摩川水系南岸に育った人には、原風景を色濃く残す場所だと思うのです。
その高尾山の豊かな自然が、便利さと引き換えにこうして欠損してゆく姿を地元の人たちが看過できなかったことや、その時都会に住む私たちがこの運動にあまり興味を示さなかったことへの彼らの苛立ちも、今になると分かるような気がします。
街の人間はお金を稼いで便利で豊かな生活さえ手に入れれば、心も豊かになるに違いないという空しい幻想をいまだに抱いている人が多いですから。
先程の不法投棄だって、捨てる本人は要領よく行動したつもりでも、実際には天に唾しているのと同じことですからね。
実際に山の中腹や山麓の何か所かで湧水が枯渇しているそうです。
圏央道が開通し、車でスキーへ行くのが少しは楽になるかなと考えていた過去の自分が恥ずかしくなりました。
そして、都心の交通量が減ったのは、こうした貴重な自然が傷ついた代償であることも、忘れてはならないと思います。
お子さんがいる方にとって、高尾山周りのお散歩は、自然観察と社会勉強が同時にできる近間のディスティネーションとしては最高じゃないでしょうか。
インスタ映えの富士やらユーチューバーの題材にされる高尾山ですが、内省の山として捉えると深いかもしれませんよ。(つづく)