今日はブロンプトンのPハンドルについて書いてみたいと思います。
なぜそんな気になったかというと、このブログの中でPハンドルの記事を読まれている方がかなりいらっしゃると気付いたからです。
いや、別にアクセス数を伸ばしたいわけではなく、たまに乗ると、「Pハンドルはかけがえのない、不思議な魅力にあふれた折りたたみ自転車だな」と感じるものですから。
私は二分論というのはあまり好きではありませんが、皆さんは生活を日常・非日常に区切るとすると、旅行はどちらでしょうか。
もちろん、旅に出るというのは日常の生活を離れるという意味合いが濃く、非日常と考える方が大半だと思います。
普段はオフィスや家で目一杯仕事をして、オフになったら旅に出て思い切り羽根を伸ばすという感覚でしょう。
旅の恥はかき捨てとばかりに、旅に出ると羽目をはずす人たちを、たくさん見てまいりました。
しかし、自分の仕事が旅だった時には、私にとっては外出こそが日常でした。
年間100日以上も仕事で旅をしていると、家に帰った休みの日が「非日常」のように思えてきて、旅回りの一座とか、サーカス団の人たちもこんな気持ちだったのかなと思いました。
現代でも、ひと月のうちの僅かしか家に帰れない長距離トラックの運転手さんなど、日常が出先の方々は、家にいて家事をしている時間を貴重に感じる人がいらっしゃるのではないでしょうか。
旅行ばかりしていると、家にいて長い間読みかけで放っておいた本を開く瞬間が、まさに非日常への扉だったりすることもあります。
しかし、日常でも非日常でも、変わらぬ対象を求め、そのために光を観よう、人と接しようと思って生活しているのなら、外出することと家やオフィスにいること、ひとりでいることと、誰かと一緒にいることの区別は、あまり意味をなさなくなります。
たとえば、眠るという行為について考えてみれば、それは家でも出先でも変わらずにとる習慣です。
歯を磨くにしろ、お風呂に入るにしろ、祈るにしろ、それが日常の習慣になっている行為であれば、いつ、どこで、誰とという事項はどうでもよくなります。
特に祈りについて考えると分かりやすいのですが、行為の外形よりも心の姿勢とか状態の方が大事です。
旅に出ると自分を取り戻すとか、誰それと一緒にいると心が落ち着くという状態なら、日常や独りでいるときの自分の感覚を疑ってみるというのも、心の健康管理のうちかもしれません。
さて、ここまで真面目に文章を読んでくださっている方の中には、それがブロンプトンのPハンドルと何の関係があるのかと、訝しく思われる方もいらっしゃるかもしれません。
自分は、日常においてMハンドルのブロンプトンに乗っていますが、ごくたまにPハンドルのブロンプトンにも乗ります。
それが遠い旅先だったりすると、Mハンドルをつれて旅するよりも、ああ旅に出ているのだなという感覚になります。
これは、普段からMハンドルに乗っているという要素も大きいと思われますが、反面、Pハンドルに乗っているからこそブロンプトンだという気持ちになる面があるのです。
いつかも書きましたが、Pハンドルのブロンプトンは乗車姿勢が高くて独特なのです。
外見からすると、Sハンドルならスポーツ自転車、Mハンドルならママチャリ(乗り比べれば、感覚は明らかに違うのですが)に乗車姿勢は似通っています。
けれども、Pハンドルの、あの背筋がしゃんと伸びて立ち上がった乗車姿勢だけは、他のハンドルタイプや自転車と比べようがないのです。
そして、あの他にはないハンドルの形状が、握った時の細さ(特に純正のカバーを外し、バーテープを巻いた状態)も含めて、これまた「これぞブロンプトンの中のブロンプトンだ」という感覚にさせてくれます。
そして、ロードレイジのような怒りとも、いちばん縁遠いのがPハンドルです。
3つのハンドルタイプの中で、いちばんのんびりとした気分になるがゆえに。
それは他人の目から見ても同じようで、ブロンプトンを知らない人たちからも、「変わった形の面白い自転車に乗っているな」という感覚で見られます。
ハンドルが柱時計のねじ巻きみたい(と喩えても、一定の年齢以上の方でないと具体的に思い浮かばないでしょうが)な形をしていますからね。
畳んだときのハンドルの位置や角度から、思わず「これ何がどうなっているの」と通りすがりに覗き込まれる確率も、Pハンドルがいちばん高いです。
前に「使いようのない」と書いたハンドルの下の部分ですが、まだ実験していないので確証はないものの、ヒルクライムのときには役に立ちそうな気がしています。
これまで坂道を下ることばかり考えてきたくせにと言われそうなのですが、最近は体力が昔より衰えたにもかかわらず、寒い時期のヒルクライムなんて悪くないかもと思っています。
そういう気分になったのも、あれこれやってみたいと思わせてくれる、この不思議な折りたたみ自転車のおかげです。
だからこそ、日常、非日常の区別なく、一台のブロンプトンを人生という旅のお供に連れるのなら、私だったら内心の状態をよく保ちやすいPハンドルにします。
一見すると汎用性がないみたいで、実は何に使っても不思議と馴染んだ気分にさせてくれ、しかもハンドルの分重量が増すかもしれませんが、競争するのでもなく、記録を打ち立てるのでもなく、限界に挑戦するのでもなく、強迫的に脂肪を落とそうと試みるのでもなく、気負わないで、世の光をぶらぶらと探しに出かけるのなら、他の自転車では代用のしようのない、特殊な性質をもつPハンドルのブロンプトンが適任だと思うのです。
発明者のリッチーさんも、そういう意味でPハンドルを勧めていたのではないでしょうか。
もし今、自分が一台のブロンプトンを自由に選べるとしたら、P6-LXの赤にして、ハンドルもブルックスのレザーバーテープの赤を巻くと思います。
これらの写真はすべて、とびしま海道ならびにしまなみ海道で撮影したものです。