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33.二川宿(その1)

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国道1号線を右折し、東海道新幹線の二川ガードをくぐり、梅田川を渡って東海道本線の第二東海道踏切を越えてすぐ左折した場所(34.722174, 137.456959)から続けます。

道はすぐに北側裏手に線路と並行してのびる、宿場然とした街並みに入ってゆきます。

白須賀宿からここまでずっと畑の中に伸びる国道を走ってきて、急に街中にはいってゆく形になり、昔の宿場もこうだったのだろうなと思わせてくれます。

東海道線に乗っていても、新所原駅から二川駅まで冬は枯れた葦の原を走るので、「なんだか広重の版画そっくりだな」と感じます。

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(最初の角が一里塚跡です)
 

二川宿は吉田宿(豊橋市)の陰にかくれて目立たない宿場です。

本陣と脇本陣1軒ずつ、旅籠も30軒あまりという規模は、旧東海道の中でもミニマムの部類に入ります。

しかし、もしあなたが旧東海道に興味をお持ちで関東・東海地方にお住いであれば、ぜひ一度は訪ねてみてください。

なぜなら、ここは本陣の家屋が残っていて、しかも内部が公開されているからです。

これまで日本橋から延々と東海道を辿ってきて、本陣跡として門だけが由比宿に残っていましたが、あとは石柱や案内板のみでした。

旧東海道中、本陣の建物まで現存し、公開しているのは、滋賀県の草津宿とここだけです。

明治になって、人の流れも物流も鉄道へと移ってしまい、本陣がその役目を終えたときに、殆どが取り壊され、あるいは残っていた建物も火災などによって消失した中で、こうして現存し、公開されていること自体が、非常に稀有な例なのです。

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(右;妙泉寺)
 

関東の近くには、同じ五街道のうちの甲州街道において、日野宿(東京都日野市)と小原宿(神奈川県相模原市)に本陣の建物が現存・公開されていますが、甲州街道と東海道では、通過する大名の数や規模が格段に違うので、本陣の建物の規模や宿場の様子も違います。

また、本陣はたんに昔のお殿様が宿泊された施設と思っている方もいらっしゃるかもしれませんが、島崎藤村の「夜明け前」を読むと分かる通り、宿場、すなわち宿駅の駅長さんの役割も担っていたのです。

いわゆる町の顔役であり、大名行列の宿泊手配、応接だけでなく、荷役場の管理運営、宿場人足の手配、調整など、宿場の機能すべてにわたって、統括して管理する役目を担っていました。

だから、当時の宿場の賑わいが最も感じられる場所で、自分のような街道マニアにとってはスピリチュアルな雰囲気漂う「パワー・スポット」なのです(笑)。

イメージ 3
(左;東駒屋と曲尺手 右;東問屋場跡)
 

とまぁ前置きはさておき、さっそく東側から順に宿場をみてゆきましょう。

東海道本線の踏切を渡って左折してから、最初の十字路の右角先が一里塚跡(34.722451,137.455641)です。

日本橋から七十二里目です。

一里塚跡の50m先で右奥をのぞくと、お寺が見えます。

これが日蓮宗の妙泉寺(34.723546, 137.455265)で、境内には芭蕉の句碑があります。

「阿ちさいや 藪を小庭の 別屋敷」という句で、地元では「紫陽花塚」として親しまれているそうです。

イメージ 4
(右;脇本陣跡)
 

両側に町家の続く街並みをゆくと、400m先右手に東駒屋(34.723235, 137.452591)という屋号の味噌醤油醸造の店があり、その前が曲尺手(かねんて)で鉤型に道路が曲げられています。

(どうでもいいことですが、「かねんて」では漢字に変換できませんね)

そこから60mさきの、宿場を模した広場がある変則十字路の、右手前が広場になり、その向かい食料品店のある角が東問屋場跡(34.723410, 137.451627)です。

東問屋場跡から70m西へ進むと、右側に脇本陣跡(34.723684, 137.450709)があります。

さらに40m先に進むと、左側にまず清明屋という屋号の旅籠屋が見えてきます(34.723732, 137.450294)

続いてこの宿場の主である二川宿馬場本陣(34.723655, 137.450047)が圧倒的な迫力で視界に入ってきます。

本陣の裏手が豊橋市本陣資料館で、お向かいが西駒屋(34.723946,137.449832)というやはり味噌醸造の蔵です。

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(左;旅籠清明屋 右;馬場本陣)
 

本陣の70m先で再び曲尺手(34.724186,137.448978)があらわれます。

右手にある和菓子店の前が高札場跡であり、ここが宿場の西の外れだったことがわかります。

ここから大岩町に入ります。

本陣から490m西へいったところで、左から県道が合流します。

その右手奥が大岩神明宮(34.726493, 137.445486)です。

ここは昔から武門の信仰をあつめ、織田信長が陣太鼓を寄進し、徳川家康は御朱印を発行して社領を安堵したとか。

旧東海道は西に向かうにつれて道幅が広くなってゆき、本陣からおよそ1㎞西で二川駅前(34.726190, 137.439196)に出ます。

イメージ 6
(右;西駒屋)
 

とまぁ、東海道本線の踏切から二川駅まで、1700mの間にすべてが収まってしまうほどに、コンパクトな宿場ですが、本陣が残っていることと、宿場の東西の入り口に鉤型道路があることで、大変わかりやすい宿場になっています。

東京方面へ向かう上り新幹線の車窓からも、この二川宿はよく見えます。

一瞬ではありますが、進行方向左手に並走する東海道本線の二川駅の駅舎が見えたあとすぐに、いぶし銀のような色をした三州瓦の広い屋根をもつ本陣の建物が、サッと窓の外を流れてゆきますから。

旧東海道を一度でも歩きとおすと、それからは東海道新幹線に乗っていても、名古屋東京間は思い出深い場所を過ぎることが多くて、居眠りなどあまりできなくなってしまいます。

そういう意味でも、旧東海道を走りとおす旅は、一生の思い出になるでしょうから、ぜひ体験してみてください。

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(西の曲尺手と、高札場跡)
 

二川宿に絞って訪問するときは、豊橋駅前に宿をとると便利でしょう。

もっとも殆どの宿泊施設がシティホテルやビジネスホテルになってしまい、旅情はないですけれどもね。

もっと街道の雰囲気が味わいたいのなら、東であれば弁天島や新居町付近が海も近いし、東海道本線に乗ればすぐなので、条件が良いと思います。

西は今春にご紹介した江戸時代から続く旅籠の大橋屋さんを最後に、街道沿いの宿はほぼ全滅してしまいましたから、ちょっと電車の便は悪いですが、豊川稲荷付近に宿泊してみてはいかがでしょう。

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(左;点滅信号から先が県道になります 右;大岩神明宮)
 

二川宿じだいは交通規制がなされていないために、時間帯によっては、それ違いにも難儀するほどの狭い宿場のメインストリートを車が往来し、そのしわ寄せがサイクリストや歩行者にいってしまうのですが、歩いて回るにはそれほどの距離を歩かずに済みます。

DANさんと輪行したときは年末のため資料館も本陣も閉館していたのですが、後日訪れた際に、その内部へ入ってみましたので、次回は二川宿の本陣と資料館の内部をご紹介しましょう。

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(道が広くなるとやがて二川駅前です)
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旧東海道ルート図(浜松駅入口~二川駅前)
http://latlonglab.yahoo.co.jp/route/watch?id=1c0fa9a276c470f9763d5ca0e44aa1a0




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