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Channel: 旅はブロンプトンをつれて
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大弛峠にブロンプトンをつれて(その8-水ヶ森林道)

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乙女高原の最上部にて、クリスタルラインを右に分けて水ヶ森林道に入ります。
よく考えると、クリスタルって、昔流行った言葉なんですよね。
「なんとなくクリスタル」から出たクリスタル族ってやつです。
著者ご本人も言ってましたけど、ブランドに身を包んだ空っぽの女子大生って、中身が無いからブランドで固める必要があるんでしょ、と当時から思っておりましたよ。
かくいう今の私なんか、「なんとかクラシテル」のクラシテル族ですが(笑)
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冗談はさておき水ヶ森林道に入っても、しばらく登りは続きます。
汗をかいているため、低速で登坂していると虻が寄ってきて閉口します。
大弛峠へ登っていたロードバイクさんたち、薄着だったのに大丈夫なのかしらんなどと思いながらつづら折りを過ぎると、ようやく尾根の背部に出て道が平らになりました。
ここれ、熊鈴をブロンプトンに装着します。
クリスタルラインと違って、水ヶ森林道はハイカーもいなければ、通り抜ける車もぐっと少なく、カーブを曲がった先で水ヶ森のくまさんにばったり鉢合わせはしたくないもので。
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前にも熊鈴をどこへ着けるかで悩んだお話をいたしましたが、ハンドルにつけないと干渉して鳴らないのです。
走りはじめると、ブロンプトンはチリンチリンとハイジに出てきた子ヤギのユキちゃんみたいな音をたてます。
これ、逆に熊が寄ってくるんじゃないかなぁなどと思いながら走ったわけですが、この林道は前線緩やかな下りだと思っていたのに、けっこう上りもあることに気が付きました。
おかしい、この林道は走りはじめの標高が1651mで、中間の弓張峠が1383m、終点の太良峠は1173mですから明らかに下り優勢のはずなのに、カーブを切るごとに下り、上りが交互するような感覚です。
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それでも帰ってから検証してみたら、延長20㎞の林道を1時間12分で走り切ったので、出だしの急な上りも勘案すれば、まずまずのスピードが出ていたことになります。
地図を見てもらえばわかりますが、所々がかなりの馬の背状の痩せ尾根(両側が急斜面で落ちている)で、尾根上には瘤のような峰も存在して、林道は地形に合わせて峰々を迂回しているため、距離がかなり長くなっています。
もっとも、ある程度の高所で夏でも木陰が多くて涼しく、自転車のトレーニングには快適なのかもしれません。
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40年近く前に訪れたときには、水ヶ森林道は舗装されていませんでした。
尾根上の樹木も、林道開削工事からそれほど時を経ていないせいか、伐採されている場所が多く、今よりもずっと見通しが効きました。
特に尾根の西側、甲府盆地を挟んで向かい側に見える南アルプス連峰は、夕方から夜にかけてみると、夜景の向こうの稜線のうえに星が出て、幻想的な風景だったと記憶しています。
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後に「風林火山」という大河ドラマのオープニングで、合成ですが南アルプスを背景に騎馬武者が駆け抜けるシーンを観て、あの背景は角度からして水ヶ森から帯那山にかけてから見た南アルプスに違いないと思いだしました。
(手前の騎行自体は長野県にある長門牧場で撮影されていますけれどね)
この前ご紹介した信濃大町の鷹狩山同様に、この尾根からは南アルプスの見え方に特徴があるのです。
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ところが、今回水ヶ森林道を走ってみると、樹木が育ってしまって見通しは殆ど効きませんでした。
途中東側、僅かに雲の上に頭を出した富士山が見えたくらいです。
その代わり、植林中の様子はあちこちで観察できました。
全国的に山間部における鹿の食害が問題になっていますけれど、植えたばかりの木の苗を、樹木シェルターと呼ばれる筒状のポリプロピレンで覆っている様子を、あちこちで見かけました。
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また、かつてはスカイラインのような尾根上に続く一本道であったはずが、ところどころ尾根から下る支線ができておりました。
これは地図で確認すると麓へはおりることのできない、行き止まりの林道です。
なかには、作ったところまではよかったものの、その後放置されたのか入口に通行止めの柵が設けられたまま荒れている支線林道も見かけました。
林業は輸入される南洋材に太刀打ちできず、採算がとれなくなってからずいぶんと経っているはずですが、いまや商売どころか荒廃を食い止めるのに必死なのかもしれません。
そう考えると、こんな山奥にまで林道を通して生態系を破壊している人間は、罪深い存在だなと思います。
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ランニング感覚でカーブの連続する水ヶ森林道を走り抜け、太良峠(太良ヶ峠とも)に到着したのは13時50分。
もうすぐ14時です。
本来なら手前にある帯那山牧場に立ち寄って、かつて見た南アルプスの景色を眺めるつもりだったのですが、水ヶ森林道から牧場への入口に「牧場は旧牧中です」の札が掛かっていました。
ここ、知る人ぞ知るアルプスの絶景が楽しめる高所牧場だったのですよ。
もっとも、清里みたいな観光の気配が全くなくて、売店もなければアイスクリームも売っていない、ただ山々を背景にのんびりと牛が草を食む、それだけに素朴で良い牧場でした。
これも帰宅してグーグルアースで確認すると、ちゃんと下草は刈ってあり、牧場そのものが荒廃している様子はないので、次に行く機会があったら牛がいなくても立ち寄ってみようとは思います。
その場合、真夏よりも春か秋の方がよいと思われます。
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さて、太良峠は甲府武田神社の裏手にあたる積翠寺(せきすいじ)、と山梨市の八幡地区を結ぶ山越え道です。
水ヶ森林道は、ちょうどその峠のてっぺんに、北の山の上から下ってきて突き当たる形になっていて、このままどちらかへ下りずに稜線をさらに辿ると、北奥千丈ヶ岳からの眺望でご紹介した、棚山とか兜山に至ってJR春日居町駅付近で尾根筋は尽きて甲府盆地へと落ち込みます。
左へ下れば中央線の東山梨駅、右へと下れば甲府駅へと降りることができます。
そもそもこの峠道は武田氏のつくった軍用道路であったという話が伝わっています。
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小説やドラマなどでお馴染み、武田信玄の居城躑躅ヶ崎館は現在の武田神社にありました。
この館は背後に要害山という、いかにも武田騎馬軍団の根城らしいお名前の山を背負っておりまして、そのお山には要害山城という砦がございました。
これはいわゆる後詰めの城、すなわち万が一本拠地である躑躅ヶ崎館に敵が攻め寄せても、この要害山上に立てこもってそこから弓矢や丸太、大岩などを落とせば、敵は屋根の上から攻撃されるも同然の状態になり、館を占拠し続けることができないのです。
武田信虎(信玄のお父さん)が1520年にこの要害山城を築いたその年に、駿河今川勢の福島氏に甲府へ攻め込まれ、正室の大井夫人は要害山城に避難した際に嫡子である晴信(=信玄)を出産したそうです。
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この要害山城には、現代でいう通信施設の烽火台が置かれ、秩父盆地やその北の関東北部に危急が迫った時には、奥秩父の主稜線にあたる雁坂峠からいくつかの烽火台を経て、直ちに躑躅ヶ崎館に異変を知らせる役割をしていたといいます。
そして甲府盆地を南へ迂回するよりもはやく、雁坂峠や大菩薩峠方面へ兵馬を送るために、太良峠を越える道を開いたのだそうです。
峠の東、山梨市側直下にある集落を戸市、そのすぐ下の集落を切差といいます。
戸市はともかく切差なんて難読地名ですよね。
「せっさ」、それとも「きりさし」でしょうか?
正解は「きっさつ」です。
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戸市は砥石が転訛したといわれ、刀を研いだ場所、そして切ったり差したりした戦場がその下、さらに北に山を越えて牧丘町塩平付近には、血で芝が赤く染まったという「赤柴」、落ち武者が待ち伏せに遭って捕えられた「生捕」(いけどり)、命乞いをして平伏した「膝立」(ひじゃって)という集落名があり、これらの名前は山梨市市民バスの山梨循環線、牧丘循環線の停留所名に今も残っております。
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地名の由良を知ってしまうと、山梨市側に下ってもみたくなります。
そちらには、有名な「ほったらかし温泉」があるのですが、マイカー族で混雑しているし、峠道からはいったん下ったあとに再び登りなおさねばならない場所にあるため、今回は甲府市側の積翠寺温泉へと下ることにしました。
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