いまや高速道路網の発達によって台頭してきた高速バスとの競争に価格(運賃)面で不利となり、一部の乗り鉄(鉄道に乗ることに楽しみを感じる人たち)を除いて敬遠されつつある鈍行の旅です。
下の表をご覧いただくと分かると思いますが、JRの各駅停車と高速バスを比較すると、所要時間の面でも、運賃の面でも、鉄道側の完敗です。
もはや鉄道と高速バスとの競争は、特急や新幹線など追加料金を必要とする列車との競争において、時間(速さ)を取るか、経済性(コスト)を取るかの選択に限られてきているような気がします。
私は「コスパ」という言葉が大嫌いです。
安くて早ければそれは正義だという考えだけを推し進めると、大事なものを見失う気がするからです。
旅という切り口で単なる二点間の移動という枠を外してみると、実は隠れていて大切な魅力が出てくると思います。
今回は、その点について書いてみたいと思います。
学生時代、はじめてヨーロッパに行き鉄道を利用したときに驚いたのは、駅に改札口が無いことと、鈍行列車に乗っても特急列車に乗っても運賃しか取られないことでした。
いまは、TGVに代表される別料金の超速達列車があちこちへ走るので事情は変わってきていますが、当時は都市間を結ぶ特急に乗っても座席や寝台を確保するための「指定席券」や「寝台券」は存在しても、日本でいう「特急券」という、早く到着することそのものに対する追加料金は発生しなかったのです。
その代わりに、一等席(日本でいうグリーン車)と二等席(普通席)で料金が違い、長距離を走る鈍行列車も車両の半分でも一等席がついていました。
当時はさらに、それぞれの等級が禁煙席と喫煙席に分かれていたので、一等車の喫煙席は僅かに12席しかないなんてこともありました。
いちばんガラガラに空いているのが一等の喫煙席でした。
ただ、通路としてアクリル板で仕切られたそこを通り抜けるとき、葉巻特有のきつい匂いがしていたのでとても座る気になれず、「こりゃちゃんと分けないと文句が出るわけだ」と思ったものです。
もっとも、こちらはユーレイルパス(二等用と一等席も乗れるパスの二種類があります)で乗っている身分ですから、あんまり関係ないわけです。
ところが、日本に帰ってくると速達列車に乗りたければ急行料金、特急料金を追加で支払わねばなりません。
寝台列車に乗りたければ、さらに寝台券まで買わねばならないわけで、子どもにとってブルートレインが人気だったのは、滅多に乗れない高嶺(値)の花だったという側面もあると思うのです。
そしてあの頃の長距離鈍行列車ときたら、時間調整のため駅で20分以上停車するなんてこともざらでした。
もっともそれだけ悠長に停車しても、競争相手がいなかったから誰も文句を言わなかったし、長時間停車の間にトイレへ行ったり駅弁を買っていたり、ホームの立ち食いそばをすすったりと、なんだかんだで忙しくしている人もけっこういました。
さて現代はといいますと、鈍行列車はあの頃よりも早くなったと思います。
昔は田舎へゆくと機関車が曳く客者タイプの長距離鈍行列車が東北や山陰、四国等で走っておりました。
とてものんびりしたもので、各駅の停車時間も長く、停車駅から出発のたびに「ガチャガチャン」と大きな音を立てた後、そろり、そろりと加速してゆくという具合でした。
今でも貨物列車が同じような音をたてるのですが、首都圏では間近に見る機会も少なくなりました。
ところが、出力を増して軽くなった現代の電車タイプの車両は、乗り心地は客車よりもずっと良く、加減速もかなりシャープです。
運行もすべてIT管理されているのか、駅における停車時間も昔のように悠長ではなくなりました。
たとえば、1978年8月の時刻表を見ると、東海道本線東京発7時25分の伊東行各駅停車は熱海に9時19分到着になっています。
所要時間は1時間54分ですが、現在の東京発7時28分の熱海行きは9時14分到着で、所要1時間46分と8分短縮しています。
たった8分と思われるかもしれませんが、1978年当時の東海道線各駅は、戸塚駅に停車しませんから、実質は10分以上の短縮です。
同様に、1978年8月の上野発7時53分の高崎線前橋行き各駅は、高崎到着9時51分で1時間58分かかっていたのに対し、現在の上野7時51分高崎行きは、終着が9時39分(所要1時間48分)と、途中駅が3つ増えた(さいたま新都心、北上尾、北鴻巣)にもかかわらず10分短縮。
岡谷塩尻間で塩嶺トンネルが開通した中央線に至っては、高尾発6時15分→松本着10時17分の鈍行は、現在高尾発6時14分→松本着9時35分と、実に41分も短縮しています。
さらに各駅停車は、首都圏でいえば湘南新宿ラインの設定や上野東京ラインの開通、中央快速の大月・富士急線方面への延伸、常磐線の品川駅乗り入れなど、都内とその近郊での乗り換えを減らすような努力をしています。
そして、大都市圏を中心に追加料金なしで乗車できる快速列車も増えました。
たとえば、首都圏なら東海道線、高崎線、宇都宮線等近距離電車に快速が設定されています。
これはかつての急行列車が特急に格上げされたことに対する補償の意味も含まれていると思われます。
急行列車が健在な頃の国鉄で快速列車といえば、関西の「新快速」しか思い浮かびませんでしたから。
高速道路が開通することで、高速バスの所要時間は飛躍的に短縮したことに比べれば、JR線の各駅停車の時短など、全く目立たないようにも思えるのですが、鉄道の定時制ということを考えたとき、こうした努力は大変なものだと思うのです。
ところで、高速バスは停留所が駅よりも自由に設定できるため、家や目的地のすぐ近くまで連れて行ってくれるという利点があります。
でも、これは鉄道網が発達していない地方や、たまたま高速バス停や、インターを降りてすぐの場所に目的地がある場合なら良いのですが、降車予定地が終着地点に近い場所であればあるほど、直行して欲しいのに手前でぐるぐる回り道をして時間ばかりかかるという状態になりかねません。
東京の中心部などの場合、そのままバスに乗ってあちこちのホテルを回りながら自分の宿に到着するくらいなら、手前の高速道路上にあるバス停で下車して近くの鉄道駅から電車に乗ってしまった方が早く到着する場合が多くあります。
しかし、たとえば大渋滞に巻き込まれてしまい、車内で気が変わってバスを手前で下車しようにも、もしトランクの奥の方に荷物を入れてしまっていたなら、そうそう簡単にバスを降りられません。
また大荷物を持ったまま移動して他の交通機関に乗り換えるのも、現実的には難しいと思われます。
その点、鉄道の場合は途中から早い列車に乗り換えるのも、並行する別路線に乗り移るのも、各駅停車に乗車している分には自由です。
さらにブロンプトンをつれていれば、このブログで時々ご紹介しているように、「エクストリーム乗り換え」や、万が一故障や事故に遭っても自走してしまうという手が使えます。
そして高速バスになくて鉄道にある最も有利な点は、途中下車ができるということだと思います。
旅は道草が楽しいのです。
飛行機はその最たるものだと思うのですが、目的地までまっしぐらという旅もあって然りとは思えども、そこで途中を省いているということを意識する人は少数なのではないでしょうか。
これは京都まで歩いて行った時も、ヨーロッパへ行った後にシルクロードを旅したときにも同じことを感じたのですが、途中を飛び越えるという行為は、実は旅の本質である距離感を失わせてしまうのです。
それも、ただ時間のかかる交通手段を選ぶとか、自分で運転するというだけではなくて、途中を自分の足を使って触れるという経験が大切なのです。
そうしているうちに、その途中途中の断片を自分の足で繋げてみたくなります。
推理小説のお題ではありませんが、点と線の旅の違いを、私はブロンプトンに教えてもらいました。
だから、途中下車が可能な鉄道の旅は、より速く、より安く目的地までゆけるという高速バスとは違った価値があると思います。
ブロンプトンをつれて途中下車の旅をしてみると、そのことを強く感じます。