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Channel: 旅はブロンプトンをつれて
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キリストの生まれた時と場所

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クリスマスの直前くらいはイエスさまのことを書こうかなと思ったのですが、いざ書こうとするとキーボードを打つ手がパタリと止まってしまいます。
この季節になると、電飾する家が多くなりますが、教会をみると意外にもツリーに電飾している教会は殆どありません。
イルミネーションの起源は、教会でいえば東方の三博士にキリストの誕生を告げ知らせて彼らをエルサレムに導いたベツレヘムの星です。
クリスマスツリーの一番上に大きな星をつけると思うのですが、あれです。
だから、ひとつの灯りだけを、ひときわ強く輝かせれば良いわけであって、やたらと賑々しくする必要は全くありません。
しかしながら、自分がゴビ砂漠で見た星は、文字通り夜空を隅々まで埋め尽くすような数でしたから、三博士が道中に目印とした星は、幾万もの星の中にひときわ輝く文字通りの八芒星だったのかもしれません。
イメージ 1

 
「ああ、ベツレヘムよ」という讃美歌が12月になるとあちこちでかかります。
日本語の歌詞は以下のようなものです。
やはり「星」がキーワードです。
 
ああベツレヘムよ などかひとり
星のみ匂いて ふかく眠る
知らずや今宵 くらき空に
常世の光の 照りわたるを
 
ひとみな眠りて 知らぬまにぞ
御子なるキリスト 生まれ給う
あしたの星よ 歌いまつれ
「神にはみ栄 地に平和」と

 
恒例によってアメリカの聖公会聖職者フィリップス・ブルックス(1835-11893 Phillips Brooks) の作詞した原詩を和訳してみました。
古語や宗教的解釈の入る言葉が混じっているので、あまり簡単に訳してはまずいとは思うのですが、当たらずとも遠からじくらいかなと思います。
 
O little town of Bethlehem                       ああ、小さき街ベツレヘムよ
How still we see thee lie                          汝はひっそりと我らが前に横たわり
Above thy deep and dreamless sleep         夢さえ見ぬほど深き眠りの天空に
The silent stars go by                              黙々と星々は往き過ぎぬ
Yet in thy dark streets shineth                 これより汝が路傍の闇に輝くであろう
The everlasting Light                               こそは、永遠に輝く不朽の光
The hopes and fears of all the years          人の世の続く限りの希望と畏敬を
Are met in thee tonight                            今宵、汝は見出さん
 
For Christ is born of Mary                        乙女マリアより生まれしキリスト
And gathered all above                             引き寄せられしすべての者たちと
While mortals sleep, the angels keep       未だ知らずに眠る者らの間に、
                            主のみ使い達は
Their watch of wondering love                   驚くべき愛を深めつつ、
O morning stars together                           暁の星々は、互いに
Proclaim the holy birth                              降誕を告げ、主なる神の栄光と
And praises sing to God the King               地上の人々の平和とを
And Peace to men on earth                       賛美する。
 
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キリストの生年月日は、実は分からないというのも、聖書講座で教わりました。
日本においては来年の平成31年は4月30日で終了し、5月1日からは新元号になるわけですが、ローマ帝国の皇帝名で記された暦も同様に、一年の途中で代替わりがあれば加算されてゆくうえに、西暦の前に標準とされたユリウス暦には誤差もあって、記録を照らし合わせることによって遡ることがそう簡単にはできなかったのだそうです。
ただ、最新の研究では紀元前6年~8年までの間に絞られてきているようです。
聖書にはヨハネとマリアが住民登録するためにベツレヘムへ行き、宿がどこもいっぱいだったので、厩に泊まっているときにキリストは産まれたことになっています。
ベツレヘムはエルサレムの郊外で、降誕教会がある場所がそれです。
グーグルアースを見るとわかるのですが、けっこう乾燥した土地のようです。
上記の歌にケチをつけるつもりはありませんが、生まれた場所はベツレヘムというのも伝説で、出身のナザレではないかという説もあります。
現代のナザレをテレビで見たことがありますが、こちらは一転けっこう緑の多い、湿潤の地で農業も盛んなようでした。
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しかし、エルサレムからみるとナザレは遠い地方のど田舎で、キリストの話すアラム語も、かなりガリラヤ訛りがきつかったようです。
キリストというと、映画や漫画で見るロン毛で優男のイメージですが、実際の風貌は毛深くて田吾作みたいなさえないおじさんだったという説もありますね。
それに、彼の生きた足跡を丁寧に辿れば辿るほど、生前は浮かばれない人というイメージが色濃く滲み出ます。
どうしてそんなぱっとしない悲惨なキリストに興味を持つようになったのかといえば、それは「自分も含めた人間とは何か」「人はなぜ生きるのか」という問いへの答えが聖書には含まれているような気がしたからだと思います。
そんなこと、考えたって分からないから仕方ない、どうでもいいとは、若いうちからとても割り切れなかったんですよ。
そう白状すると、教会の人からは「あんた、ずいぶんと引っ張られているんだねぇ」とからかわれるのですが、当の自分は、いつかは顔と顔をつき合わせて神さまとお話しできるかなぁなどと、暢気に構えています。

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