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Channel: 旅はブロンプトンをつれて
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旧東海道へブロンプトンをつれて 43.四日市宿から44.石薬師宿へ(その3)

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三重県の名前の由来ともなった、杖衝坂上にある血塚社(34.917138,136.579233)の前から京に向かって旅します。
540mほど旧街道を進むと、右手から坂をのぼってきた現代の東海道、国道1号線と合流します(34.914947, 136.573879)
国道の向こう、ゴルフ練習場越しに、鈴鹿山系の山々が見えます。
一番目立つのは、向かって右側がストンと落ちている御在所岳です。
あの山の山頂付近には、三重県唯一のスキー場があるといいます。
面積は小さいですが、最大斜度が30度といいますから、結構手ごわいのかもしれません。
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山の斜面を知らない人は、30度というと三角定規から想像して緩やかだと思いがちですが、実際に初心者としてゲレンデに立ってみると、25度を超える斜面はスキーにしろ、スノボにしろ、立っていられません。
それまでふかふかでやわらかく見えた雪が、いきなりカチカチの氷でできた板みたいにみえて、いちどひっくり返ったら下まで止まらないのではないかという恐怖を感じます。
山の上にあるスキー場は、風の通り道であり、立木が伐採されていることもあって、雪面が凍っているケースが殆どです。
また、あまり雪が降らない地域のスキー場は、スノーマシンと呼ばれる人工降雪機を使って雪を造るわけですが、この雪が時間がたつとカチカチの蒼氷になるのです。
滑っている方からすると、そちらの方がスピードは出るので面白いのですが、慣れていない人がその上に立つと転んで頭をカチ割るのではないかなんて考えてしまうのです。
でも、実際に頭から転んで打ち所が悪いと大変なことになりますから、危険なことには変わりありません。
あそこのスキー場なら伊勢湾が見えるのだろうな、などと思いながら、合流した国道1号線をゆきます。
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振り返ると、国道1号線の杖衝坂を上から観る形になります。
上下合わせて4車線の車道は広々として旧道の坂よりははるかに緩やかでしょうけれど、そのぶん坂は長くなっています。
それに、信号が少ないせいか、車がかなりのスピードで流れています。
また、両側に歩道がついていますが、えらく狭くて自転車のすれ違いも走ったままではできなさそうです。
景色といえば、両側面とも掘割になっているので、左右には殆ど見通しは効きません。
こんなことろで自転車が走ることを想定していないのかもしれないですが、東海道をゆくのに自転車で国道を走るなんて、つまらなくて危険なばかりの旅になるだろうなと想像します。
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国道脇の歩道をゆくと、トラックなどプロドライバー相手の食堂が神社を挟んで2軒並んでいます。
両方とも「采女」という名前を冠しています。
内部川の南岸のこの一帯を采女町といい、よみは「うねめ」です。
采女とは、天皇やその家族の身の回りの世話をする女官のことで、飛鳥時代から地方の豪族は臣従の印として自分の娘を采女として朝廷に差し出す慣習がありました。
体のいい人質ですが、天皇のおぼえめでたくお手つきなどされて子が産まれれば、その地方豪族は一躍朝廷の親戚になるわけですから、差し出す側にもメリットがあったのでしょう。
古事記には、雄略天皇が欅の大木の下で宴を催していたところ、三重郡出身の采女が盃に木の葉が入っているのに気付かずに酒を注ぎ、天皇の逆鱗に触れて殺されそうになった(その程度のことで怒る方もどうかとは思いますが)ものの、即興で歌を詠んでそれが秀逸だったから許されて命拾いをしたという記述があります。
「三重采女」で検索すると出てくるとは思いますが、欅の葉をどろどろした塩水をかき混ぜて生成した国造り伝説の話にひっかけて歌っています。
たしかに、古事記にはそういう記述があり、一定の教養がないとこの歌をとっさにつくることはできないと思われます。
この采女がこのあたりの出身ではないかといわれています。
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ここは国道よりおよそ500m南に、伊勢国国分寺跡(34.909466, 136.563805)もあり、この地方をおさめる豪族の根拠地であったでしょうから、この話の主人公も、ひょっとしたらこの近所の出なのかもしれません。
それにしても、盃に葉が浮いたくらいで命をかけなければならないとは、人質としての采女生活も楽ではありません。
大きな会社でも、役員クラスの秘書は容姿が端麗だけでなく、頭も切れて気が利かないと務まらないとは聞いていましたが、同じようなものでしょうか。
そういう立場の人とお知り合いになるべく、用をつくってたびたび本社詣出している人の話をきいたことがありますが、社長秘書とお知り合いになれば、ひょっとしたら社長ともお知り合いになれるということだったのでしょうか。
役員の人たちも、そこまで悠長ではない気がするのですが。
 
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さて国道1号線に出てから1.25kmすすみ、国分町交差点(34.914692, 136.560308)で旧道は左へ分かれます。
その間は倉庫やら車のディーラーの立ち並ぶつまらない歩道をゆきます。
食堂があると前述しましたが、もしこのあたりで11時近くなっていたら、店が開いている限り、お昼を食べてしまいましょう。
というのも、この先石薬師宿、庄野宿と旧東海道沿いには殆ど食事がとれる店がありません。
10㎞以上先の、関西本線の井田川駅近くまでゆかないと、食事にはありつけません。
歩いている時は、宿場近くまでゆけば何かあるだろうとたかをくくって進み、石薬師宿にも庄野宿にも商店が見当たらず、キャラメルひとつ手に入れることが出来ずにお腹が減って倒れそうになりました。
旧東海道も三重県まで来ると、かなり人口が少ない地域をゆくことになりますので、覚悟が必要です。
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国分町交差点から国道より左にそれた旧東海道は、畑の中に住宅が点在する道をゆきます。
杖衝坂を登りきってからここまで、下り坂もなく、ずっと台地の上をゆくという感じです。
それが下り坂にかかってゆくと、860mさきの木田町大谷信号(34.911398, 136.551760)で国道1号線に復帰します。
およそ100mさきの自由ヶ丘交差点(34.910582, 136.551044)で国道を横断して右側にゆきたいものの、あいにく両交差点には横断歩道がひとつもありません。
そのための補償なのか、手前の木田町大谷信号には横断地下道が設けられています。
旧東海道を歩く人のためなのか、それともこのあたりの通学路事情でそうなっているのか、よくわかりませんが、駅も何もないところの国道にぽつんと人用の地下道があると、少し気味悪く感じます。
横断歩道よりもはるかに安全なのでしょうけれど。
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さて、国道を渡って自由ヶ丘と名付けられたいかにも戦後に造成された住宅地を右に見ながら国道をゆくわけですが、三重県で自由ヶ丘にお目にかかるとは思いませんでした。
家の方では、自由ヶ丘といえばナボナの亀谷万年堂、洋菓子店のモンブランなど、お洒落な街として有名です。
あちらは自由ヶ丘学園から名前をとっています。
自由ヶ丘学園は自由主義教育を標榜して昭和のはじめに手塚岸衛によって創立された学校です。
自由主義教育というのは、大正デモクラシーといわれる時代に子どもの関心や情動を中心により自由な教育を創造しようという教育運動でした。
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たとえば、海軍兵学校の井上成美校長の批判した、永野修身校長時代のダルトン(ドルトンとも)・プランなどがそれにあたります。
生徒は自分の興味をもとに、それぞれの教科について問題を解いたり先生に質問したりするために用意されたカードを、どこまでやるのか教師と契約(コントラクト)を結び、それに沿って自習します。
所期の学習要領を終えたら、教師からポイントをもらえ、このポイントによって教師はどの生徒が何についてどこまで学習をすすめたかひと目でわかるというものです。
いわゆる大勢の生徒が黒板に向かって教師の話を聴きながらひたすらノートを取る方式の対極にあるような教育方法です。
自分の好きな科目はどんどん伸ばしてゆくことが出来る半面、苦手な部分は後手に回ることや、全員がそれぞれのトピックについて自習しているため、生徒同士が教え合って理解してゆく過程が期待できないなどのデメリットも指摘されてきました。
現在は自由なプログラムも、固定化されたプログラムも、どちらも学びには必要だと理解されているのではないでしょうか。
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ところで、こちらの自由ヶ丘には「名物とんてき創業30年」の大きな看板がかかっています。
お店の名前は來來憲さん(34.911688, 136.549467)
歩いてここまできたとき、お昼を食べていなかったこともあって、立ち寄ろうかどうか散々迷いました。
しかし、來來憲さんは国道から70mほど入ったところにあり、歩いているとそのロスさえ惜しいような気がしてきて、前述の通り、すぐ先にある石薬師宿の中には食事が出来るところが無くてもコンビニくらいはあるんだろうと思って通過してしまったのです。
ところが、石薬師宿はおろか、隣の庄野宿まで行ってもコンビニはおろか自販機もほとんど見当たりません。
日がどんどん傾いて、昼食にありつけなかったわたしは相当ひもじい思いをしました。
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あとで調べたら、とんてきは四日市の名物で、まさにこの來來憲さんが発祥の店だったのです。
とんてきって、豚のステーキの意味ですよね。
地元では肉に切り込みを入れてソテーした姿が野球のグローブに似ているところから、グローブという呼称もあるそうです。
ポークソテーとの違いは、ソースが洋風か和風か、こちらはとんかつ同様にキャベツが大量につけ合わせとしてお皿に盛ってあるそうです。
そうと知っていたら食べるのでした。
いつか食べ物の仇をとりに立ち寄りたいと思っています。
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自由ヶ丘交差点をそのまま西へ向かうと、浪瀬川という細い川をわたり、国道はのぼりにかかります。
その坂の基部に、斜め右に分岐している細い路地の坂が、旧東海道です。
その分岐点に北町の地蔵堂(34.909132, 136.550247)が建っており、ここが石薬師宿の入口になります。
次回はこの地蔵堂から石薬師宿の中へ入ってゆきたいと思います。
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旧東海道ルート図(近鉄四日市駅入口~井田川駅前)
https://yahoo.jp/LNBqWD


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