Quantcast
Channel: 旅はブロンプトンをつれて
Viewing all articles
Browse latest Browse all 932

旧東海道点描 見附宿

$
0
0
イメージ 1
旧見付学校前の弥次喜多顔出しパネル。
いまさらながらに気付いたのですが、顔を出す穴が小さいのです。
特に弥次さん。
この位置だと子どもしか顔を出せないからという配慮なのでしょうか。
でも、穴だけ開いているところをみていると、銀河鉄道999に出てきた機械伯爵みたいです。
そのうちアンドロイドの弥次喜多とか出てきて、宿場で案内したりして。
 
イメージ 2
大木戸のレプリカです。
西木戸ということは、ここらあたりが見附宿の京見付ということです。
旧東海道の旅をした方なら、「見付」の意味はご存じでしょう。


イメージ 3
2007年当時は現役だった、おもちゃやさんのこまつやさん。
現在は、建物はそのままに福祉事務所になってしまいました。
昔の子どもは、こんな宮殿みたいなお店でおもちゃを買ってもらったのですね。
できれば日の丸は右側の望楼の上に揚げてほしかった。
 
イメージ 4

イメージ 5
見付学校を模した公衆トイレで、その名も「さわやかハウス」。
真正面からより、横から見た方が本物に似ています。
それにしても、公衆のお手洗いなのに「ハウス」とはこれいかに。
誰が住んでいるのでしょう?

イメージ 6
フジサイクルって、子どもの頃フラッシャー付きの少年向けスポーツ自転車を製造していたメーカーです。
いまの町田市役所がある場所に本社がありました。
日米富士自転車として対米輸出され、のちにペンシルバニア州フィラデルフィアに、フジバイクとして設立された会社が、今は日本に進出しています。
日本の会社は潰れてしまったようです。
なんだかあべこべですね。
 
イメージ 7
これは神道系の新興宗教である禊(みそぎ)教会。
国分寺の前にあったのですが、2018年現在この場所は空き地になっています。
煉瓦塀だけでも残したらよかったのに。
 
イメージ 8
1951(昭和26)年に制定された児童憲章です。
前の3つはその前文に掲げられた文言です。
「我らは、日本国憲法の精神にしたがい、児童に対する正しい観念を確立し、すべての児童の幸福をはかるために、この憲章を定める」という文章が前に来ます。
日本語憲章文のまずいところは、権利主体と客体を曖昧にするところです。
「我らは」とは定めた側、すなわち大人の(児童に対する)観念を確立するための憲章(おきて・きまり)なのです。
とすれば、最後の民生児童委員協議会がつけたしで加えた条文がいかにおかしいかがわかります。
児童に対し「~しなくてはならない」という責任を謳いたいのなら、児童憲章ではなく「児童の義務法典」でもつくったら良いのです。
未成年に義務を負わせるのは、思い切り日本国憲法とバッティングするでしょうけれど。
この辺りにも、立憲民主主義制度に対する誤解が垣間見えます。
義務勝育を「子どもの学校へ行く義務」だと勘違いするのと同じ構造です。
 なお、権利と義務は別々にと申し上げているだけで、権利を主張するばかりで義務を怠って良いとは、これっぽっちも思っておりません。

イメージ 9
「ボケ封じを成す守り」で茄子ですか…。
どうしても「ボケナス」という言葉が浮かび、色つやの褪せた茄子を想像してしまいます。

イメージ 10
字体が時代を感じます。
最近、哲学書を読んでいて「幸福なる死」というのもあるのではないかと思い始めています。
たとえば、ソクラテスは30票差で有罪になり、死刑を宣告されて毒を仰いで死んだのですが、プラトンの描くその死に様は、決して悲劇には見えません。
むしろ満足して従容として死へ赴いたという感じです。

イメージ 11
やや、パテントが…。
(店名をみて)無礼講ということで。

イメージ 12
スペイン語と英語のごった煮になってしまいますが、「歓迎!歓喜の道」になってしまいます。
歩いて通りかかったとき、お買い物案内がポルカみたいな音楽にのってアナウンスされていて、歓喜ってどんな顔すれば良いんだろうと考えこんでしまいました。
やっぱり、ミュージカル俳優みたいな表情でしょうか。

Viewing all articles
Browse latest Browse all 932

Trending Articles