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Channel: 旅はブロンプトンをつれて
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大弛峠(北奥千丈岳)にブロンプトンをつれて(その6)

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朝一番のバスで大弛峠へ到着し、国師ヶ岳、北奥千丈岳への登頂を果たした後に、大弛峠まで戻ってきた私。
時刻は1045分です。
頂上で調理パンやカロリーメイトを食べて来たのにもかかわらず、ついつい峠小屋の扉を開けて、昼ごはんの続きをいただくことにしました。
今日は武蔵中原443分発の電車に乗るために、4時前に起きているから11時前に昼ご飯を食べてもよいのです。
というか、これから先甲府駅までブロンプトンで山道を下るのに、よほど駅の近くまで行かなければ、食べ物屋さんにはありつけないことは容易に想像ができます。
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それに、早立ち旅の基本は、食事からなにから全部前倒しにすることです。
これは、団体旅行のプランニングをしていたときに思ったのですが、宿泊つきのグループ旅行になると、どうしても宿の出発時間は9時ごろになってしまうのです。
そうすると、宿を出て3時間もすれば昼食です。
移動時間を考えると、観光や見学をする場所は1~2箇所が限界です。
原因は、朝食時間を前倒しにできないからです。
もし前倒しにしたら、起床時間を早めねばなりません。
飛行機の時間がある海外旅行であれば、団体客であっても各部屋にモーニングコールを掛けて早朝に起きていただくこともありましたが、宴会などがついている国内団体旅行では、それがやりにくかったのです。
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これに対して、個人旅行はフレキシブルでした。
昔は山旅で民宿などに宿泊した際、チェックイン時に「明日の朝食は要りません」と伝えておけば、おむすびを持たせてくれるようなサービスは一般的でした。
ハイキングや登山客がメインの宿なら、朝早くの出発は珍しくありませんから。
そんな気遣いがなかったとしても、早く出発すれば、見学個所は団体客が押し寄せる前でガラガラだし、お昼も早い時間帯に空いている場所でゆったりと取れます。
目的地やお店の人の対応も、戦場のような12時以降よりも、口開けのお客さんはその日一日の商売を左右することが多いので、丁寧に対応してくれます。
俗にいう、「早起きは三文の得」というやつです。
 
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そんなお昼を早く食べて、午後はどうするのかって?
旧東海道の旅と同じですよ。
朝早く出発したなら、昼を早くに食べて午後早目に宿に入るのです。
宿泊の場合ならチェックイン時刻に到着して、空いているお風呂を独り占めするなり、宿の施設を満喫してから文字通りの夕食に向かうわけです。
そして、夜はかつての団体客のような振る舞いは決してせずに、明日の朝に備えてさっさと寝る(笑)。
日帰りなら、山の行動と同じく午後三時には撤収して帰宅の途につくわけで、今回もその予定です。
こう考えてみると、旅は日常生活を映す鏡なのかもしれません。
日ごろから毎晩のように飲み歩いている人が、旅に出たからといって早寝早起きに変身できるとは思いませんから。
いつもテレビばかり見ている人、スマホばかりいじっている人が、旅に出て興味深い史跡や素晴らしい景色そっちのけで、やはり部屋ではテレビを漫然と視聴し、昼間はスマホが手放せないのと同じです。
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大弛峠小屋の中ですが、玄関を入ってすぐの場所が食堂になっています。
無垢材を使用したテーブルに、アラジンストーブ、壁には山の写真と地図、それに柱時計がかかり、天上からはランプがぶら下がっています。
この雰囲気は、昔スキー場の中にあった山小屋そのものです。
これでランプを灯したなら、チンチンと音がして、さぞかし風情があるんだろうなぁ。
ああ、厚手のセーター着こんで、読めもしないのにセーレン・キェルケゴールの本を眉間に皺寄せながら読んでいた昔を思い出しました。
最近もう一度挑戦してみようかなと思っているのですが、哲学書を読むなら山の宿がぴったりですね。
海辺の宿で読むならメルヴィルの「白鯨」とか、ヘミングウェイの「老人と海」(ベタだな)でしょうけれども。
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中には汗だくのサイクリストがおりましたので、少しお話をいたしました。
きけば3時間半かけて下から登ってきたとのこと。
山のてっぺんまで登るのですか?と伺ったら、休んでから考えるとのことでした。
まずヒルクライムの達成感は相当なものでしょう。
バイクだって何度も撃退されてようやく峠へ到達でき、越えられたときはものすごくうれしかったですから。
自分は何を食べようか迷ったのですが、結局うどんにしました。
カレーが一番無難だし、山梨であればうどんでなくてほうとうですが、山小屋ですから贅沢はいえません。
山を下り終えたときは体が熱かったのですが、気温は低いままだったので少し落ち着いてから食べるうどんは格別でした。
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さて、腹ごしらえを済ませて、車とバイクであふれた大弛峠の様子を少し観察です。
時刻は11時過ぎですが、駐車場はとうに満車で、路肩駐車の列が長野側、山梨側へ伸びています。
山側に縦列駐車するのは、このあと雨が降った場合に路肩もろとも車が谷側へ落ちないようにということでしょう。
その縦列駐車を横目でみながら、甲府駅を目指して下ります。
時刻は1118分。
こんな時間に下ってゆくのは私だけです。
ブロンプトンを使った山行きで、一番のメリットは帰りの時間を拘束されないという点です。
天候によって、疲労によってと事情は人それぞれでしょうが、スキーと同じく山もまた「もう一度来よう」と後ろ髪引かれる程度がちょうどよいのです。
ほら、雪山賛歌のさいごにも「山よ、さよなら、ご機嫌よろしゅう。また来るときには笑っておくれ」あるじゃないですか。
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だからといって、即行で下るのは考えものです。
時間もあるし自転車レースの真似事をするわけではありませんから、周囲を観察しながらゆっくりとした速度で坂を下ってゆきます。
峠越えの林道は、頂点に近い区間が最も急こう配で、下れば下るほど傾斜はゆるくなってゆくものです。
また、この付近(山梨県の秩父側山地)は、道路は舗装路であっても細かな白砂が浮いていることが多く、コーナリングの際に自転車のような細いタイヤでバンク角を取りすぎると、すぐにズルっと滑ってしまいます。
まさかブロンプトンでカウンターをあてるわけにも参りませんし、ブラインドコーナーの連続ですから、対向車が来ることを前提にしなければなりません。
 
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途中、林道から金峰山方面が良く見えたのですが、少し下ってきてしまうと五丈岩などはほとんど見えなくなります。
私と同じバスでやってきたハイカーたちは、もうすぐ金峰山に着くでしょう。
また前回ご紹介した兜山が見える場所もありました。
季節が秋だったら、富士山が見えるのかもしれません。
見通しのきく場所が減ってきて、カラマツ林の中をゆくと鶏冠山林道の入口を通り越します。
まもなく琴川をまわりこんで越えれば柳平という場所で、右手の荒川へと下る廃道跡を認めます。
入口には黄色い柵がされて「全面通行止」「危険‼進入禁止」の文字が。
国土地理院のウオッちずを拡大してみると、ここから谷底へ3㎞くだった先に地図記号で鉱山のマークがあり、括弧書きで廃坑とあります。
 
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これが1981年に閉山した乙女鉱山跡です。
この鉱山ではタングステンをはじめ、モリブデン、鉄鉱石、マンガン、水晶が産出されていました。
そして、男性によって採掘された鉱石を年老いた女性が選別し、若い女性が運ぶ役割だったから乙女鉱山という名前がついたという説があります。
朝にのぼる際に見た乙女湖の名前は、この鉱山名から来ており、もしこの説が本当だとすると、これからゆく乙女高原も含め、ロマンチックなイメージがひっくり返ります。
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私がバイクで走り回っていたのは、閉山直後ですが、その時に地元の人に聞いた話では、この鉱山への道を上り下りする硅石を満載したダンプのうちの一台が、谷底に転落してドライバーが亡くなったことが閉山の原因だと聞きました。
ダンプを運転していたのが女性だとは聞きませんでしたが、対岸に通っている行きどまりの荒川林道(奥に水晶峠という地名があります)もその時点で厳重に閉鎖されており、一般人が水晶を求めてこれらの林道に入ると、よからぬ事態に陥ると噂されていました。
この辺りは武田の隠し金山のうわさもあって、文字通りの山師が横行しているのでしょうか。
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山梨は江戸時代から産出された水晶を研磨する技術が蓄積し、それが現在の宝石研磨の技術に躍進したとききました。
実は有名ブランドのブローチやペンダントも山梨で加工されていて、あるルートを通すとノーブランドですが同等の製品を安く入手できるといいます。
林道が厳重に閉鎖され、入る人を躊躇させるような噂が立っていたのも、もしかしたら人を寄せ付けたくなかったのかもしれません。
私は山が好きでも宝探しや砂金取りには興味がなく、むしろ廃坑がどうなっているのか気になりましたが。
今ならネットで検索すれば、石英を採取しに行った人のレポートが出てきます。
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そんなことを考えていたら、間もなく1150分に柳平の川上牧丘林道入口ゲートに到着です。
ここは往路にマイクロバスからワゴン車に乗り換えた場所です。
昔はこのゲートの前で通せんぼされ、何度涙を飲んだことか。
もしかしたら、かつては乙女鉱山で働く人たちが住んでいたから、柳平は分教場が設けられるくらい人が住んでいたのかもしれません。
ここまで大弛峠から14㎞を32分で走ったわけですから、平均速度は26.25/h
ゆっくりといいながら、結構速いペースで降りてきています。
次回はここ柳平の集落(跡?)から乙女湖をかすめて乙女高原へと登ってゆきます。
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