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Channel: 旅はブロンプトンをつれて
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旧東海道へブロンプトンをつれて 43.四日市宿から44.石薬師宿へ(その1)

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四日市あすなろう鉄道の赤堀駅近くの旧東海道を、京へ向かいます。
四日市あすなろう鉄道は、20143月いっぱいまでは、近鉄内部線・八王子線といいました。
軌間(線路の幅)が762㎜で特殊狭軌と呼ばれるサイズです。
これは一般的なJR在来線や、大多数の私鉄線が採用する1067㎜よりかなり狭く、世界で主流、日本では新幹線や一部私鉄に使われている標準軌(1435㎜)の半分くらいしかありません。
昔は地方で見られた軽便鉄道の生き残りです。
名前のいわれは「明日に向って」と「なろう=Narrowゲージ」の組み合わせらしいです。
私なんかこの名前を聴くと大学生のときに読んだ、井上靖の「あすなろ物語」を思いだしてしまいます。
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(落合橋 旧街道らしい堅固な石橋です)

車両の全幅は2160㎜で車内幅は1920㎜しかありません。(近鉄260系)
車両が小さいことで有名な都営大江戸線(線路幅は1435㎜)の車両全幅が2498㎜であることを考えると、いかに幅狭の車両かわかると思います。
ちなみに、世界で一番狭い軌間は15インチ(381㎜)で、路線長(23㎞)から、イギリス・ケント州にあるロムニー・ハイス&デチャーム鉄道が有名です。
線路の幅だけ確認したければ、伊豆修善寺の虹の里に同サイズの「ロムニー鉄道」があるので、ご覧になってはいかがでしょう。
ちゃんと屋根付きの客車が走っていますよ。
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(この帯は1984年のもの。とんでもないことってどんなことでしょう)
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(大宮神社)
 
歩いているとき、たまたま赤堀駅でいったん終了となり、その次の機会に新幹線と近鉄線を乗り継いで当時の内部線に朝乗車したのですが、通学時間帯と重なって、首都圏の通勤電車並みに混雑しておりました。
しかも車両が小さくて狭いから、まるでエレベーターの箱に定員オーバーで無理やり詰め込まれたような状態です。
周囲を女子高校生の集団で塞がれた私は、聞こえよがしに「痴漢とかっているよねぇ~」などと囁かれ、両手をホールドアップ状態で耐えるしかありませんでした。
すると高校生のころ、同じように通学の電車内で他校の女子集団に囲まれて、「〇〇(←浪馬の学校名です)の制服ってダサいよねぇ」と呟かれた記憶が蘇りました。
学校へ行って同級生の女子に話すと、「かまってもらえるだけマシじゃない。女の子なんて興味なければ無視だよムシ」と言われ、「はぁ、そんなものですかいのう」とポカンとしたものでした。
今回もまた、なんで三重県くんだりまできて、オジサンになってもなお古典的な通学ネタを思い出さなきゃいけないのと、臍を噛むのでした。
(なんだか話が「あすなろ物語」風になっています)
その数年後、近鉄内部線が、廃止の危機ときいてびっくりしました。
きんとラッシュは一時だけで、昼間は空気を運んでいたのかもしれません。
幸い、上下分離方式の一種である公有民営方式で存続したみたいですが、今もサイクルトレインなどイベントをうっているところをみると、経営は依然厳しいのかなと思います。
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(犬矢来)
 
沿線に天然温泉や共同浴場が複数あるし、内部線の終点から先の采女(うねめ)には、史跡がいっぱいあるので、ブロンプトンでのお散歩には持って来いだし、鈴鹿川までの適度な丘陵地は、軽いトレーニングには持って来いだと思います。
私が注目しているのは、内部川上流にある小山田という場所です。
ここ、Googleのストリートビューを見る限り、鶴見川の源流にあたる町田市の小山田とそっくりです。
町田の方は宅地化が進んでかつての自然を失いつつありますが、こちらの方はまだまだなので、自分が自転車で走り回っていたころそっくりです。
これからの季節、こうした里山はお散歩には楽しい場所です。
四日市あすなろう鉄道ですが、現在軽便鉄道で営業運転しているのは、こことやや北にある三岐鉄道北勢線、そして富山の黒部峡谷鉄道だけですから、ぜひ残ってほしいと願っています。
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(天白川に架かる橋から下流方向、石油化学コンビナートの煙突群が見えます)
 
さて、旧東海道の旅をはじめます。
赤堀駅のすぐ南(34.959333, 136.610980)から、旧東海道を南西へと辿ります。
100m先の落合橋(34.958717,136.610025)で落合川を渡るのですが、右手をみると並行している四日市あすなろう鉄道の可愛らしい橋が見えます。
さらに220mゆくと鹿化川を渡ります(34.957306,136.608137)。
うん?なんて読むのだと橋をみると「かばけばし」とあります。
さかさまから読んだら、「しばけばか」あ、そうは言わないですね、「しばけあほ」ですよね。
ちなみに、私は高校生のころまで「しばく」=「縛る」だとばかり思っていました。
鹿化橋を渡って140m先右側が大宮神明社(34.957069, 136.605793)。
昔は四日市あすなろう鉄道八王子線の西日野駅付近まで入り江であり、この場所には舟付明神があったというから、港だったのでしょう。
由緒書きによりますと、伊勢神宮内宮を創建した倭姫命がこの地に滞在したとのことです。
四日市に入ってから、俄然伊勢神宮がらみの史跡が多くなった気がします。
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(日永神社)
 
その先の左側、大きな家の腰壁には、犬矢来がしつらえてありました。
これ、祇園でよくみる造作物ですが、デザインだけではなく犬の小便除けだったんですね。
関東(というか京都以外では)滅多に見かけませんし、旧東海道でもここは初出だと思われます。
こんなところからも、だんだんと京都に近づいているのだなと感じます。
大宮神明社から490mさき右側が、浄土真宗興正寺(34.953042, 136.603513)。
手前の山門は1669年建立で、四日市市の中でも最古のものだそうです。
興正寺から70m、鹿化橋から700mで天白川を渡ります。
ここからおよそ3キロ上流の四郷地区(四日市市室山町・八王子町)は、かつて製絲業が盛んでした。
今では僅かな建物にその痕跡を残すのみだということです。
東京の八王子も養蚕と関係ありましたが、八王子という地名はお蚕さんと関係があるのでしょうか。
天白川から320mさき右側にあるのが、日永神社(34.949670, 136.601399)です。
日永(ひなが)とは、文字通り日が長いこと。
しかし、この地名の由来はよくわかっておりません。
創建は慶長年間(15世紀初頭)とのことなので、それほど古くはありません。
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(名残の1本松)
 
さらに200m先、旧東海道からは甍がちらりとしかみえませんが、道から40m東に浄土宗実蓮寺があります(34.947942, 136.602917)。
なんでも、16世紀から17世紀にかけて、ここは二度にわたって皇室関係の姫が尼として入寺したそうです。
当時は滝川一益などの庇護もあって、かなりの寺勢だったそうですが、いまは衰退して小さなお寺になっています。
お寺もどなたが住職になるかで、色が変わるわけです。
そのあと、第二次世界大戦で寺宝がことごとく灰燼に帰したという浄土真宗西唱寺(34.947115,136.601624)、日永の一里塚跡(34.946486, 136.602005)、名残の一本松(34.943163, 136.601223)の前を抜け、天白川から1.77㎞で旧東海道は、国道1号線と合流します(34.936874, 136.598380)。
 
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(国道1号線に合流します)

国道を横断せず右側を140mゆくと日永の追分(34.935581, 136.598171)です。
追分とは分岐点のこと。
左(国道1号線)が参宮街道、右(三重県道407号線)が旧東海道です。
国道と県道の間には鳥居が建っているので立ち寄ってみましょう。
この鳥居は地元の有志がお金を出し合って、東海道を往き来する旅人が、伊勢まで立ち寄らなくてもここで参拝ができるよう建立したものです。
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(合流地点の歩道橋上からみると、追分は目と鼻の先です)
 
国道と県道に挟まれ、周囲は住宅街のこの場所で水が湧きだしていて、ポリタンクに水を汲みに来ている人を良く見かけます。
私たちのような旅人が通りかかると、水汲みを中断して飲ませてくれます。
水質調査がなされていて、飲用は一応自己責任でということです。
井戸水を子どものころから平気で飲んでいた私ですが、最近はもっぱらペットボトルの水ですから、生水は危険かもしれません。
でも、一人で海外旅行などしていると、飲まないなんて言っていられない場合もありますから、かなり鍛えられました。
それでも、日本に帰国すると、また体質が戻ってしまいます。
安全な水を常時飲める国とか地域というものは、どこにでもあるわけではありません。
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十返舎一九の「東海道中膝栗毛」に登場する弥次さん喜多さんは、ここから参宮街道へ入って伊勢神宮に参拝し、そこから奈良に抜けて京都へ北上するというルートをたどっています。
お伊勢参りが目的のひとつだったわけですが、伊勢神宮まで南下してしまうと、ここまで戻って再び東海道をゆくよりも、伊勢本街道(現在の国道368369号線)を使って奈良県の桜井市から奈良盆地へ出て、初瀬街道、奈良街道を経て京へ向かった方が、ロスが少ないと思います。
ただし、「膝栗毛」は伊勢神宮の内宮と外宮を参拝したところから、京への道程は省略されています。
 
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次回はこの日永の追分から石薬師宿に向けて旧東海道の旅を続けましょう。
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