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熱海温泉にブロンプトンをつれて

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新入社員になって、研修所に入り、そこの卒業旅行みたいな日帰りの研修旅行が熱海でした。

バブルまっただ中、熱海の温泉街は小グループの慰安旅行や褒賞旅行で潤ってはいたものの、このあといつかは必ずやってくるであろう不遇の時代を予感して、戦々恐々としているといった体でした。

なぜそんな風になっていたかというと、熱海の街自体が既に潮の引くような観光客からそっぽを向かれた時代を経てきていたからです。

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その昔、新婚旅行といえば箱根か熱海、伊豆という時代がありました。

1950年代といいますから、終戦後10年ほどが経とうとしたころです。

国鉄がいわゆる湘南電車(1950年)を登場させたことにより、旅が特権階級のものではなく、庶民に広がり始め、近場で温暖で温泉もある熱海がハネムーンの定番になったそうです。

もちろん、新幹線も高速道路もない時代のお話です。

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当時の社会状況からいって、仕事を休んで旅行できるのはせいぜい1泊か2泊だったのでしょう。

結婚式をあげるとそのまま電車に乗り、熱海に着いた後バスで観光、宿に入って初夜というのがスケジュールだったみたいです。

その後、経済的にゆたかになってゆくにつれ、新婚旅行は雲仙、霧島などの九州、そしてハワイへと移ってゆき、熱海は小津安二郎の「東京物語」で描写されたような、くわえ煙草で徹マン(徹夜マージャン)を打つような男性客がくる、場末の歓楽街となってゆくのでした。

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この研修の際、かの時代に熱海駅前に停まった観光バスの車内を映したモノクロ写真を見せられましたが、マイクロバスのような背もたれの低い2人掛けのシートが通路を挟んで並んでおり、そこに判で押したようなカップルが、これまた並んで座っているのでした。

男性は濃い色の背広に地味なネクタイ、頭は短髪だけれどポマードべったりで、黒縁の眼鏡をかけている人がたくさんいます。

そして女性はといえば、みんな帽子からワンピース、ハンドバッグまでミッチー(今の皇后さまでいらっしゃいます)みたいなファッションです。

それが左に男性、右に女性と最後列までこのパターン。

さらにみんな無表情で前を見ていて、お互いに会話を交わしているようなカップルは一組もおりません。

80年代のサイケティックなレコードジャケットみたい。

まるでロボットのようで、外国人じゃなくても薄気味悪い印象でした。

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何軒かの旅館を班別に見学した後、数百人が一堂に会して宴会ができるという、超巨大バンケットで研修成果を発表しました。

そのとき、そこの支配人が、京浜工業地帯の某大型工場の従業員が揃ってここで社長の盃を受けたことを、誇らしげに語っていたのですが、そのような時代はもはや終わりかけているということを、誰もが悟っている状況でした。

他班が熱海の振興策について発表する中で、口が上手そうだから何か喋れといわれて壇上に押し出されました。

仕方ないので、その頃読んでいた宮本常一先生の受け売りで、「いずれハードの時代は終焉するわけですから、豪華で煌びやかな設備に投資するのではなく、熱海に来なければ体験できない何かを見つけていったらいかがでしょう。」などと出まかせを言ってその場をしのぎました。

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大学出たばかりのペイペイが、大旅館の経営者を前にして熱海再興論をぶちあげるなんて、100年早いと内心では思っていましたが、バブルの時代ですから致し方ありません。

いま、あの頃に巡った大型旅館は廃墟になったあと更地になり、その後温泉付きマンションに変貌したり、格安旅館グループに買収されたりして、ほとんど姿を消してしまいました。

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ただ、あのとき適当にでまかせで言った、ソフトで勝負した方がよいという考えは、今も変わっていません。

たとえば、定年退職して悠々自適なご老人が、熱海の温泉&介護付きマンションには大勢いらっしゃるとききます。

かりに大学を定年退官したような著名な先生が、たとえば先日に例示した山田晶先生の「アウグスティヌス講話」みたいな形で、月1回×半年~1年で西洋哲学について優しく解説をしてくれる集まりをもったらどうでしょう。

西洋哲学で気に入らなかったら、京都学派でも、源氏物語でも何でも良いです。

そんなアカデミックなものでなくとも、外国語会話の入門編やデッサンの基礎とか、木管楽器の音の出し方とか、草花の見分け方、一人暮らしの料理とか、何でも良いのです。

食事中やお風呂の中でも雑談のなかで質問ができて、宿泊・講座料込みで15,000円×月数なら、主催側がちゃんと1年なり半年のプログラムを組めば、本当に好きな人は集まりそうです。

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難しいのは先生選びかもしれません。

「俺様が教えてやる」という態度の教師は、現役時代もそうでしたでしょうが、生徒からの評判が悪いのです。

わたしもこれこれを教える代わりに、あなたたちからもなにそれを学びましょう(教育とは元来そのようなものです)という先生がいらっしゃると適任なのですが、そういう人は謙虚だから引退してしまうと周りの人が促しても出てこようとはしません。

信仰でもあって、使命感がある場合は別として、大人同士の学び合い、育ち合いというのは学校よりも難しいとききました。

しかし、人が一生かけて学ぶのは、その謙虚さだと私は思います。

周囲の人間が辟易としているのに、滔々と知識の押し売りをするのは、本人の自己満足でしかありませんから。

 
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そんなことをうすぼんやりと考えながら、海の見える伊豆山温泉のリゾートホテルで、読書していました。

あの頃には気づきませんでしたが、熱海の温泉は塩分が多く含まれているみたいで、出た後に背中がヒリヒリと痛むのです。

冬ならば、保温効果があって身もしまるのかもしれません。

夕食は、熱海親水公園の裏手にある、昔からの歓楽街へブロンプトンでゆきました。

熱海駅までは山腹を平行移動、そこからは海岸に向って坂を下ります。

夕食に選んだのは、路地からさらに奥に入った場所にある、雨風食堂さんです。

https://tabelog.com/shizuoka/A2205/A220502/22029001/

これで「あまから」食堂と読ませるのですね。

お腹が空いているのを察して、ご飯を大盛にしてくれたり、安価で焼き魚を追加してくれたりと、とても気持ちの良い食堂なのでした。

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さて、満腹になったところで、ホテルへ引き上げねばなりません。

熱海駅まで戻ればホテルの無料シャトルバスがあるのですが、ここは海岸沿いに近く、駅までの標高差は70mもあります。

そこは地理オタクのわたくしめが、何とかブロンプトンで駅までのぼる方法を考えます。

ひとつは、今いる場所から駅に向かって斜面を斜め右方向へ登るルート。

もうひとつは、歓楽街の中心を流れる糸川に沿って遡上し、来宮駅方面へ向かってから途中で右へ進路を変えて、斜面をトラバースする方法です。

どちらも山登りでは常套の高度稼ぎ手段ですが、ルートラボで確認すると後者の方が平均斜度は3.7%で押し歩きせずにのぼれそうなのでした。

ということで実験してみましたが、1か所、スタンディングしないとのぼれない短い急坂があったものの、何とか熱海駅へ滑り込むことができました。

しかし、汗をかいてしまい、ホテルに戻ったらもういちど大浴場へいって、身体をヒリヒリさせねばならないのでした。

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