こちらは金谷坂をのぼり、諏訪原城址まで参りました。
いまだ立ち寄れない自家焙煎で有名な珈琲アルムさん。
アルムって芋なのか、地名の方なのか、いちどお尋ねしたくて前を通るたびにウズウズしているのです。
これはふじの国茶の都ミュージアム付近で撮影した写真です。
お茶の木のところどころに白いものが見えますが、これが茶の花です。
茶の木はツバキ科ツバキ属に属するので、茶の花もツバキの花を小さくしたような形をしています。
花期は10月から11月のはじめですが、ご覧の通り、咲いているのだかいないのだかよくわかりません。
遠目に見るとゴミがついているみたい。
茶花を「ちゃか」と発音すればこの花を指し、「ちゃばな」といえば、茶道の際に活ける花をさすそうです。
お馴染み、粟ヶ岳の頂上付近に「茶」の字が見えることを知らせてくれています。
秋に菊川坂を下ると、コスモスが石畳の間のそこかしこから出ています。
かなり大きくて、根が浅いから倒さないようにそっと通り抜けるのですが、ブロンプトンを押し歩きしていると、けっこう神経を使います。
この写真は、石畳道に並行した車道から菊川の集落を見下ろしたものです。
お向いの山に旧東海道屈指の難所、小夜鹿への上り坂が全貌をみせています。
最初に歩いた時は、その坂の恐ろしさをしらなかったのですが、二回目からは菊川坂を下るたびに、「あれを登るのか…誰か橋をかけて~」と憂鬱になるのでした。
中納言宗行卿とは、鎌倉時代初期の公卿、葉室宗行のこと。
承久の乱(1221年)で北条義時追討に失敗し、北条方に捕えられて鎌倉へ送られる途中、駿河の国藍沢(現在の御殿場市新橋にある藍澤五卿神社)にて処刑されます。
ここ、菊川の里会館前には、彼の辞世の漢詩が石碑になっているので、このバス停のデザインなのでしょう。
「昔南陽県菊水 汲下流而延齢 今東海道菊河 宿西岸而失命」
「むかしは南陽県(中国・河南省)の菊の水を飲むと寿命が延びたそうだが、いまわたしは東海道の菊川を渡った西岸で命を失うのだ」
古いジムニーにひきよせられてしまいました。
しかもオープントップだし。
この写真は午後夕方近くに撮ったのですが、ヒルガオでしょうか。
週末や祝日に街道を歩いていると、祭礼に出くわすことが多くなります。
撮影時期から考えると、菊川神社の秋祭りです。
朝一番の東海道線を乗り継いで金谷駅で下車し(8:20着)、ひと山越えて小夜の中山へののぼりにかかったときの写真。
時刻は10月初旬の9時半少し前。
この時間帯だと、光線の加減でお茶畑がストライプ模様に見えます。
同じ日の小夜鹿付近からみた粟ヶ岳。
「茶」の字もくっきり見えます。
牧ノ原越えは、歩くにしても自転車にしても、秋から冬にかけての朝一番がもっともコンディションが良いと思います。