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Channel: 旅はブロンプトンをつれて
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冬の京都1泊2日にブロンプトンをつれて(その8-きぬかけの路・鞍馬口通)

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京都三弘法のうち、神光院と仁和寺をまわって、残るは東寺だけです。
しかし、東寺は大人なってから行ったこともあるし、京都駅からも近くていつでも行ける寺という感覚があって、帰りの新幹線の時刻とにらめっこしながら、今回は別の場所に行くことにしました。
それは、おととし位に本を読んでから、どうしてもそこに行ってみたい思いを強くしていた場所があったからです。
目的地は北白川。
スマホの地図で確認すると、京都大学のある百万遍からさらに東へ、銀閣寺入り口の白川通今出川交差点を目指します。
現在地が仁和寺前で、京都の北西にあたり、北白川は北東ですから、地図でいえば碁盤の目の上(北部)を、左から右(西から東)へブロンプトンで移動する形になります。
イメージ 2
(きぬかけの路)
 
もしも私が京都市中に馴れていない新米のタクシー運転手なら、来た一条通を戻って一方通行を避けながら北野白梅町駅前へ出て、今出川通をまっすぐ行くでしょうし、ベテランなら、いつも流れている北大路通を東へ突き当りまで進み、右折して白川通を南下するでしょう。
しかし、そこはブロンプトン。
信号が多くて路線バスもうじゃうじゃ走る大通りは参りません。
まずは、門前の「きぬかけの路」を東へ進みます。
きぬかけの路とは、京都の北西、山野辺に沿った御室仁和寺から北山鹿苑寺(金閣寺)までのおよそ2.6㎞の区間をいいます。
 
この間には、石庭で有名な龍安寺があり、仁和寺の200m下に駅のある嵐電に乗って太秦や嵐山へと、京都市は個人旅行客向けの観光コースにしたいようですね。
しかし、嵐電に乗らずに「きぬかけの路」改め一条通を自転車でそのまま西進すると、時代劇でお馴染みの広沢池(夏はマムシが出るので注意だそうです)や、佛教大学の宗教文化ミュージアム、瀬戸内晴美先生の寂庵が近い化野(「あだしの」と読みます)念仏寺とか、もっと個人旅行客向けのディスティネーションがあって、渡月橋付近の喧騒よりも、ずっと京都を感じられる気がします。
こんど時間があったらゆっくりそちらを回ってみましょう。
イメージ 1
(広沢池)

走り始めてすぐ気がつきますが、山野辺の道といっても、山の中腹に走る道路で、ブロンプトンで走るとけっこうアップダウンがあります。
「きぬかけ」の名前の由来は、仁和寺のところで出てきた宇多天皇が、夏に雪見がしたいと衣笠山に白絹を掛けさせたという故事からだそうです。
前にも説明した通り、色々権力闘争に巻き込まれて心労がたたるのはわかりますが、民衆の窮乏をよそにこんなことをやっているから、上皇になったあとも親子喧嘩に発展してしまうのではないでしょうか。
せめて仁和寺の境内でやればいいのに。
 
龍安寺を左に見て、右の樹間下に立命大の施設を認めながら直進すると、「きぬかけの路」は鏡石通と名を変えて、金閣寺の前に出ます。
おお、京都の三大名所(ほかは清水寺と御所)だけあって、外国人、とくに中国人観光客を乗せたバスが集結しています。
中国人は「金色」が好きだというのは、何かで読んだことがあります。
五行思想で高貴をあらわす色だからだそうで、浅草に行ってもビールの泡に、日光に行っても陽明門の飾りに反応するそうですから。
それでかどうか知りませんが、東武鉄道のスペーシアが金色になっていましたね。
ならば、三十三間堂なんか行かなくても光景が見える気がしますし、彼らが金沢に行って何に反応しているのか想像がつきます。
イメージ 4

 
日本人は、金色というと下品とか成金趣味に見る人も多いと思います。
足利義満がここに舎利殿をつくって住んだ時代から、経済力の象徴みたいにみられていましたし、京都のどこ行ったの?と聞かれて「金閣寺」と答えたら、「えーいまさら」と返されることが多いと思います。
もし鹿苑寺へ金閣目当てにゆくのなら、冬の朝、それも前の晩に雪がしこたま降って、朝は日が出たときがベストといわれています。
鹿苑寺は9時が開門時間ですが、そんな日はカメラマンが並んでいるでしょうね。
因みに境内は三脚が使えないので、インスタ映え狙いもほどほどに。
 
今回は金閣寺前を通り過ぎて、鏡石通を少し北東へ進みます。
鹿苑寺のお隣にあるのは、カルメル会修道院の建物。
カルメル会は12世紀、日本でいうと鎌倉時代のちょっと前あたりに、イスラエルのカルメル山で発足した修道会です。
日本でいうと、遠藤周作先生のお友だちで、法然に関する著書もある井上洋二神父の属する修道会です。
男子と女子をきっちりと分ける修道会ですが、ここは女子修道会でカトリック教徒司教区の墓苑もこの場所にあるみたいです。
たしかやはり周作先生の知り合いで京都出身の作家、高橋たか子さんも一時ここにいらしたような気がします。
女子修道会というと、近寄りがたい雰囲気ですが、函館のトラピスチヌ同様に、クッキーを売っているようですよ。
鏡石通よりかなり上の方にあるので、相当ブロンプトンを押し歩きしないとたどり着けないみたいですが。
イメージ 3
(右に少しだけ映っているのが、住吉大伴神社)
 
私が目を惹いたのは、修道院よりもその上にある大文字です。
同じ日に鷹峯で見上げた舟形の大文字より、かなり近くに見えます。
これが左大文字です。
五山の送り火は毎年816日にわれますが、史料に登場するのは近世に入ってからだそうで、盂蘭盆や施餓鬼の行事として行われていたということです。
死者の魂が帰ってくる盂蘭盆はともかく、施餓鬼は説明が必要ですよね。
それは後日改めて。
京都は如意ヶ岳の「大」文字、松ヶ崎の「妙法」、船山の「舟形」万燈籠、ここ北山の左「大」文字、そして先ほど話題に出てきた化野曼荼羅山の「鳥居」形松明、と京都の北東から北西に向って、時計とは反対まわりに20時より5分おきに五山に点火されてゆきます。
イメージ 5
(左大文字が山の上に見えています)
 
この中で、自分の立っている場所はともかく、他の4山がすべて見渡せるのが、如意ヶ岳(=大文字山)の右大文字だそうです。
以前は816日の夜にも登山できたそうですが、いたずらが多発したため、今は禁止になってしまいました。
この大文字山からみると、足元の右大文字の灯火の向こうに、残り4山の送り火、そして京都市内のあちこちで、カメラのフラッシュが瞬き、それは幻想的な眺めだったらしいです。
Youtubeの映像でみると、塔婆を燃やしていますね。
なるほど、お焚きあげも兼ねているんだ。
右大文字の如意ヶ岳は普段はもちろん登山可能です。
登るには、これからゆく北白川、銀閣寺の左側から入ってゆき、徒歩だと右大文字の火床まで40分かかるということです。
グーグルマップで見るかぎり、途中の千人塚までは細い車道が通っているようで、そこからなら右大文字までは徒歩10分ですから、今度見通しのきく秋か春に京都へ行くことがあったら、ブロンプトンで突撃してみようと思います。
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(船岡温泉)
 
左大文字を見上げた後、金閣寺正面まで戻ります、そこから鹿苑寺を背に鞍馬口通を下ります。
鞍馬口通は、最初こそ中央分離帯のある金閣の玄関口然とした道ですが、130m先の金閣寺前交差点からは、鴨川まで順行の一方通行路になります。
しかも、ここから鴨川右岸の出雲路橋西詰交差点まで、千本通、堀川通、烏丸通を横断する3か所にしか信号機はついていません。
ほかに一時停止は1か所だけ(大宮通との交差点)ありますけれど、正面から来る車はいませんし、冬場なら偏西風が背中を押してくれるので、気分良く走れます。
これが先ほどタクシーの運転手ならと述べた今出川通を走ったら、鴨川の手前今出川河原町交差点まで北野白梅町から15か所も信号があります。
しかも向こうの通りは車やバイクに追い立てられ、路線バスとランデブーを繰り返しながらの走行になりますから、ストレスフルです。
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(さらさ西陣)
たしかに今出川通のように、北野天満宮や同志社大、御所といった京都らしい名所脇は通りませんけれど、鞍馬口通だって船岡温泉(http://funaokaonsen.net/dish.html)というレトロな銭湯や、さらさ西陣(https://www.cafe-sarasa.com/)というこれまたレトロな銭湯をそのまま利用した喫茶店があります。
だいたい、鞍馬口通を走っていて左手に見える船岡山は、健勲神社入口に伏見稲荷大社の親神である義照稲荷神社があり、この山を中心線にして平安京は定められ、稲荷=INRIとして秦氏が伝えたキリスト教ネトリウス派とか、日猶同祖論の舞台になる場所です。
日猶同祖論に関しては、荒唐無稽という説もあるそうですが、否定するにも説明のつかないこともたくさんありますよね。
因みに、最近読んでいた本では、日本語とバスク語の共通点が多くて、フランシスコ・ザビエルが日本語を習得する際に驚いたという記述がありましたが…。
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(出雲路橋)
 
さて、鞍馬口通を東へすすんで鴨川を渡るのが出雲路橋です。
鞍馬口ならわかるけれど、なぜに出雲路なのでしょう。
別に山陰方面の入口でもないのに。
答えは、この橋の手前に出雲氏が住み、出雲井於(いづもいのへの)神社があったから。
出雲氏は出雲国造の称号を受け継ぐ古代氏族の名門で、平安京というニュータウン(笑)でも一目置かれる存在だったのでしょうね。
先ほど登場した秦氏が、どこかインドやその向こうの西アジアの匂いがするのとは、対照的です。
なお、現在の出雲井於神社ですが、比良木社という通称で、目の前の鴨川を渡った先にある下賀茂神社の境内内に移っていますよ。
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今回の経路、きぬかけの路の龍安寺手前には大伴氏を祀った住吉大伴神社かありましたから、大伴氏、秦氏、出雲氏と古代氏族を祀る神社巡りをやっても良かったのかもしれません。
あ、長くなってしまいました。
なぜ北白川に向っているのか、説明は次回ということで。

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