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Channel: 旅はブロンプトンをつれて
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“Abide with me”『日暮れて四方(よも)は暗く』(その2)

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先日鷹狩山の展望台に日暮から夜までいたことを書きました。
あの時、携帯音楽プレイヤーなど無い状況で、ふと心に浮かんだのも讃美歌でした。
イギリスでは“Abide with me”で通じる、『日暮れて四方は暗く』という曲です。
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キリスト教では主にお葬式で歌われる曲なので、学校などで歌うこともありませんでしたが、日本語の歌詞とフレーズは知っていました。
通常、アングリカン(聖公会信徒)のヘンリー・フランシス・ライト(Henry Francis Lyte 1793-1843)が作詞した同名の詩を、ウィリアム・ヘンリー・モンク(William Henry Monk1823-1889)の作曲した“Eventide”という曲にのせて歌われます。
たくさんの讃美歌を作曲したモンクはともかく、ライトはこの詩を死の数カ月前の1947年夏に、南西イングランド、コーンウォール半島中部のブリクサムという保養地に近い、ベリー・ヘッドホテル(http://www.berryheadhotel.com/)で書きました。
気管支系疾病(結核とも)で死期が迫っているのを感じて、”Abide with me”なのでしょうか。
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一番の歌詞だけご紹介します。
日本語の歌詞が、名訳になっています。
 
Abide with me; fast falls the eventide;                       日暮れて四方(よも)は暗く
The darkness deepens; Lord with me abide.              わが魂(たま)は いとさびし
When other helpers fail and comforts flee,                寄るべなき 身のたよる
Help of the helpless, O abide with me.                       主よ ともに宿りませ
 
Abideという英単語は、「耐える」とか、「我慢する」という意味の動詞なのですが、古語として“Abide with”で「一緒にとどまる」という意味になります。
「いっしょにお泊りください。もうそろそろ夕刻になりますし、日もはや傾いています」という言葉は、新約聖書の「ルカによる福音書」2429節にでてくる言葉です。
「エマオへの旅人」とか「エマオへの道」と呼ばれる、西欧ではかなり有名な箇所なのですが、かいつまんで説明しましょう。
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イエスが磔刑に処されて葬られてから三日目の朝、マリアたちが墓にゆくと、中はもぬけの殻だったというお話はご存知かと思います。
同じ日、二人の弟子がエルサレムからヨッパ(ヤッファ=現在のテルアビブのすぐ南にある港町)方向へ24㎞ほどのところにあるエマオという村に向って歩いているとき、途中から誰かが一緒にあるきはじめました。
二人がイエスの処刑について論じていると、その同行者になった人は「その話はなんのことですか」と訊いてきます。
弟子たちは、イエスが十字架に磔になって死んだこと、遺体が無くなったこと、御使いが婦人たちに「イエスは生きておられる」と告げたことなどを話して聞かせました。
その見知らぬ人は、旧約聖書に書かれていることを説明しながら、「メシアとはそうなる運命ではなかったか」と諭します。
やがてエマオに着いたものの、途中から話に加わった彼はなお先へ行こうとしたので、「一緒にお泊りください…」という台詞が出てきたわけです。
そこで家に入って一緒の食卓について、彼がパンをとって賛美をささげ、ちぎったパンを弟子たちに渡した瞬間、二人の弟子はさっきから一緒にいる「同行者」がイエス本人だと気がつき、その瞬間にイエスの姿が見えなくなってしまったというお話です。
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有名な復活の場面なのですが、最初に読んだときは、水戸黄門や遠山の金さんみたいで、イエスも身分を隠して弟子たちの話に割って入るなんて、なんだか人が悪いななんて思ったものです。
でも、これは単に暗くてよく見えなかったとか、あまりにも風体が違っていたので勘違いしていたとか、その類のお話ではなく、イエスがどのように人生の同伴者として人の生涯に寄り添うのかを、比喩的にあらわしているお話だと思うのです。
二人は弟子なのに、イエスから直々に旧約聖書の講釈を受けてもなお先生だと気付かないくらいですから、私なんか仮に今、傍らにいたってわかりゃしません。
それに、本物のイエスさまだったら、自分を名乗って登場しないような気がします。
イエスさまのことを、私も当初は「変わった人だな」とか「気の毒な人だな」と思っていたのですが、昔の偉人としてのひとりでしかありませんでした。
それが、旅や読書を続けるうちに、いつのまにやら目が離せない対象となってしまい、気がついたら、こんな状況なら間違いなく「一緒にお泊りください」と懇願する立場になっていました。
弟子の二人はこの後エルサレムに取って返し、自殺したイスカリオテのユダを除く十一使徒らにことの顛末を話していると、そこにイエスが姿を現すというように話は続きます。
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こうした内容を知っているので、夕暮れ時、ブロンプトンに乗っているとき、自然とこの曲の英語の歌詞が口をついて出ます。
英語なら見知らぬ人に聞かれても平気ですし、誰かの悪口を呟いているわけでもないし、違法に自転車を運転しているわけでもないし、それでいて、歌詞が祈りの文言になっていることで、心が平安になれるのならラッキーだと思います。
今では讃美歌をたくさん知っていてよかったと感じています。
それに、こうして歌を通してイギリスの文化に触れるというのも、語学のうちに入ると思います。
だから、次にイギリスにゆくときには、ベリー・ヘッドホテルへぜひブロンプトンで訪れて、夕暮れにこの歌を口ずさんでみたいし、イスラエルにゆくことがあったら、エマオにも立ち寄ってみたいと思っています。
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他にもいくつか候補はあったのですが、結局、信濃大町や白馬で撮影した映像には、この“Abide with me”をあてることにしました。
以前、Bromptonに乗って音楽が聴きたい」という記事https://blogs.yahoo.co.jp/brobura/37992691.html)を書きましたが、映画の中でAndyが言っていたように、心の中に携帯音楽プレイヤーがあれば、イヤホンで耳を塞ぎながら自転車に乗る必要もなく、その点も今になって感謝しています。

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