寅、巳、申、亥年の10月中旬の3日間開催とのことですから、3年に一度の珍しいお祭りなんですよ。
こっちは金谷駅から帰りの電車の時間が迫っていたので、祭りの見物どころではありません。
駅前を抜けて大井神社前まできたときに、大名行列を追い抜きました。
現代の東海道歩き旅人が、わき目もふらずに京を目指して仮装の大名行列を追い抜いてゆく様は、ちょっとシュールでもありました。
こんどゆっくり見物したいものです。
といっても、次回開催は来年(2019年)の10月中旬ですから、年号すら明らかでは
ないのでした。
どうも大名行列が祭りのメインだったみたいです。
大善寺(浄土宗)の前にて。
「回り道ほど発見がある」
おお、ブロンプトンをつれた旅にぴったりの言葉ではありませんか。
最短距離をコスパ重視でなどと、要領が第一と考える人に、発見の尊さなどわかるまいて。
それにしても、ネットで毎日プリントアウトしたものを貼り出すお寺も多い中、板書書きとはすばらしい。
黒板にチョークで太字を書くのは、ちょっとコツがいるはずです。
旧東海道沿いに残る大和屋旅館。
ユニットバスではない、浴室やランドリーのある旅館は、自転車・徒歩旅に助かるのです。
今風のビジネスホテルにはない、昭和の旅を思い起こさせるところも素敵です。
70年代後半から80年代初頭にかけて売っていたホンダのR&Pを店先に並べていたこのお店も、まだ無事の様です。
大井川の川越茶屋。
今はないのですが、2007年当時はふくろうが表にでんと構えていたのでした。
なぜふくろうなのでしょう。
幸運を呼ぶから?
本編では触れなかった八重枠稲荷神社。
不思議な名前の由来は、蛇籠に石を詰めて大井川の堤を強化して、村を水害から守った故事からだそうです。
大井川の堤防へ続く道。
縁をわざと蛇行させているのは、車に徐行運転を促すためでしょう。
堤防上を走る車と競争になってしまうのは、このさき堰堤道路を右折すると、大井川橋のたもとで渋滞が発生しているから。
少しでも時間を節約したい気持ちはわからないでもありませんが、写真のように子どもが遊ぶ場所の路地ですから、車には飛ばしてほしくありません。
堤の上からみた対岸。
中洲も大きいし、川の本流までが遠いため、対岸も彼方にみえます。
大井川橋の向こうに見えるのは、左の山肌が剥げているのが粟ヶ岳(532m)。
あの部分には、「茶」の字が茶の木で描かれていて、小夜鹿あたりまでゆくと旧東海道からでもよく見えます。
その右隣りの変則的な双耳峰(585.4m)は地元では「たけやま」と呼ばれていて、山岳会が「岳山」と命名したものの、正式な名前ではないそうです。
大井川橋は土木学会選定の土木遺産になっていて、このようなプレートがたもとに設置されているのですが、先を急ぐためゆっくり読んだ試しがありません。