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Channel: 旅はブロンプトンをつれて
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冬の京都1泊2日にブロンプトンをつれて(その4)

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(前回からの続き)

京都三弘法のひとつである神光院からは紫竹西通りを南へ下ります。

北野通りを越えて、大徳寺の脇へ出るつもりで自転車を走らせます。

ちょうど通勤、通学時間なのか、同じ方向へ向かう人々や自転車がちらほらと見えるようになりました。

予定通り大徳寺の裏手にぶつかりました。

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大徳寺は臨済宗大徳寺派の総本山です。

1325年、鎌倉の建長寺で臨済宗の印可を得た播磨国出身の宗峰妙超(1382-1338)は、同郷の武将、赤松則村からの支援を受け、この地に小堂をこんりゅうしたそうですが、これが大徳寺の起源とされています。

その後、花園上皇や後醍醐天皇から保護されて勢力を伸ばした大徳寺でしたが、建武の新政が失敗に終わり室町幕府が成立すると、将軍家である足利氏から重用されず、都における五山十刹の第9位までランクダウンしていました。

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ところが、足利氏の庇護を受けた他のお寺が世俗化するのに抗して、座禅修行に専心するための道場として差別化したことが功を奏し、お弟子さんのなかからかの一休さんを排出し、のちの世で千利休や小堀遠州などの茶人や文化人が参禅することで、身分を問わない様々な人々からの支持を受けるに至りました。

塔頭が多いことに特徴があり、大徳寺納豆でご存知の方もいらっしゃるかもしれません。

塔頭のひとつ、大仙院には尾関宗園というユニークなお坊さんがいます。

本もたくさん書いているのですが、烏丸北大路あたりの書店に行かないと入手できないのです。

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今回は大徳寺にも、その中にある大仙院にも寄っているわけではないのですが、せっかくですから大徳寺の近くで昔に買った本から一文を紹介しましょうか。

 

人を育てない人は、一代限りと思え

人を信じない人は、その場限りと思え

自分の身近にいる人を起用するのは、なかなか難しい。

欠点が普段から眼にとまって、なんとなく侮ってしまうからだ。

しかし、彼ができないのは「アレには無理だろう」と思うこちらの心が、彼の能力を押さえているにすぎない。

人を育てるには、その人をまず信じることだ。

“椅子がひとをつくる”という。

これは、認められている自分を信じただけの話だ。

「オレはできる」と思い込んだだけの話である。

どの人もこの人も仏んさんだ。

社員が社長をみたら「うちの社長はものすごく立派だ」。

社長は社長で「うちの社員はさすがや」と思う。

これが信じている姿だ。

これが任せきる姿だ。

『いま頑張らずにいつ頑張る!』尾関宗園著 日新報道刊

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さて、大徳寺を目指してきたのは、写真でもお分かりの通り、朝ご飯を食べるためなのです。

「朝ご飯 ふく」というお店をネットで調べていて、今時朝ご飯専門店なんて面白いなと思ったので来ました。

営業も金曜日から月曜日までの6時半から11時と、本当に朝だけしかやっていません。

しかもメニューはひとつだけ。

2,000円は朝食としては高いですが、評判もよいのでますます興味をそそられました。

それに、小さなお店ですからこうしてブロンプトンで来ているときでもないと立ち寄れないではありませんか。

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新大宮商店街を走りながら、いったんお店の前を通り過ぎてしまいました。

京の町家ってどれも似ているからわかりにくいのです。

でも、そこがまた探す楽しみを提供してくれている気がします。

暖簾をくぐり、ガラガラと格子戸をあけて「おはようございます」と入ってゆくと、お客さんはわたしひとりだけ。

もっともまだ8時前だから当然でしょうか。

私が入ってからこしらえはじめました。

その間、私は本を読んでいます。

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最初にお出汁のスープを出されたのですが、これがまた食欲をそそります。

メインは魚のフライか鮭の西京焼の選択制ですから、当然後者を選びます。

あとでまた出てきますが、京の白味噌のことを西京味噌といい、この味噌で漬けた魚を焼くから西京焼きです。

これに六種の小鉢とご飯にお味噌汁。

でも、ひとつひとつ丁寧につくられていて、いつものような早食いはしないで、ゆっくり美味しくいただきました。

帰りに店の前でブロンプトンを開いたら、「ずいぶん簡単に自転車になるんですね」と店主さんもびっくり。

ブロンプトンで朝の京都をお散歩しているから、こういうお店にもこれるわけで。


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帰りはまた北山方面にのぼってゆきます。

大徳寺の裏手へまわって紫野泉堂町(むらさきのせんどうちょう)交差点を渡ると、今宮神社の脇参道に出ました。

今宮神社は794年の平安京遷都の100年後、都に疫病が流行ったことから1001年に疫神を祀ったのがはじまりです。

疫神とは、ぶっちゃけ疫病神さまのことです。

ただ、今の言葉でいうような疫病神とは違い、鬼神に近いものです。

それを鎮めるための神社ということですね。

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この脇参道には2軒のあぶり餅を売る店が向かい合って建っています。

もちろん、朝の9時前ですから、まだ開店していません。

まぁ、朝からお餅を食べるのはちょっと重いですが。

黄な粉餅を一口サイズに切って串に刺し、焼き鳥やうなぎみたいに店先の炭火で炙って白味噌をつけて食べるわけですが、匂いでやられそうですね。

 
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そこからさらに西へ登ると、史跡 御土居の石柱が立っています。

昨夕は真っ暗だったので気付きませんでした。

御土居とは、豊臣秀吉が外敵の来襲に備えた防塁と、鴨川の氾濫から市街地を守るための堤防と、二役を期待してつくった、鴨川以西の京の街をぐるりと縁取る土塁のことです。

総延長は22.5㎞という壮大なものでしたが、江戸時代になると、幕府は東国で開かれたために用済みになって壊されてしまいました。

現在はここ鷹ヶ峯に残る部分を含め、9か所しか残っていないそうです。

幕末まで残っていたら、蛤御門の変や、天皇を担ぐ薩長と幕府の間の戦争で、物理的障壁になっていたかもしれません。

 
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さて、いったん宿泊施設に戻り、シャワーを浴びて荷物をまとめてチェックインし、ブロンプトンで用事のある四条河原町へ向かいます。

碁盤の目になっている京都ですが、朝の混雑する時間帯に北西から南東方向へと袈裟懸けに移動する自信がなかったため、北山通りを東に向かい、北山大橋から鴨川の右岸を川下に向って走ります。

ここから四条までは川べりを下るだけなのですが、改めて走ってみると鴨川の河川敷はよく踏み固められているものの、舗装はされていません。

それに、関東ローム層のような黒土ではなく、もっと砂っぽくて黄土色に近い、関東の人間には馴染みのない路面です。

それでも北山から四条まで、30分弱で走り切ってしまったのでした。

次回はお昼を食べて、帰りの新幹線に乗るまでの間のブロンプトン散歩をご紹介します。(つづく)


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