わたしは一昨年までボランティアで英文を和文に翻訳していました。
天気の悪い週末や仕事の合間をみつけては作業をすすめていたのですが、苦労の連続でした。
翻訳ソフトを使用していたので、経験のない人は英語を左に入れれば右に日本語がポンと出るのだろうと想像されるのかもしれませんが、ことはそんなに単純ではありません。
最大の難関は、英文を正確に把握することでした。
翻訳ソフトというものは、「前にその単語にはこの訳語をあてましたよ」くらいは教えてくれますが、自動翻訳機能がそうであるように、文章を主語や述語に分類してきちんとした日本語にしてくれるわけでもありませんし、ましてや行間(記述外に匂わせている、いわゆる含み)なんて絶対に読み取ってくれません。
だから英文の意味を正確に把握できてもなお、その文章がなぜ唐突にそこにあるのか不審に思う時も多々あり、そういう場合(諺や故事の引用に多い)は英文章ごとネットで検索をかけて類似文を探したりしていました。
なにしろ対象が文筆家の書いた文章でしたから、引用や言い回しの改変も多かったのだと思います。
私が日本語の本と同じくらい、英語の本を読みこんでいれば、「あ、このフレーズはあの本に出てきた」なんて勘が働いたのでしょうけれど。
(パソコンは12年前のまま、叩きすぎてキーボードの反応が鈍くなったので外付けしていました)そこで英語の得意な方に同じ個所を何度も訊くようなことをしていました。
著者が文章を書いたときに頭に浮かんだ映像が、私の頭の中にも再現されるようできるだけ努力したつもりです。
ただ、英文を読むのに馴れている人でもなお、「ここで何が言いたいんだ?」とフリーズしてしまう場面が多かったように思います。
さらに人の手を借りて英文を正確に理解してもなお「それは日本語でどう表現したらいいんだ!」という悩みに頭を抱えていました。
参考にできるような訳本や類似本もありませんでしたし、著者の暮らしや人生を経験したことのない私には、カルチャーギャップが大きすぎて自分の想像範囲を超えていたのです。
それでも長い間同じ人の書いた英文に向き合っていると、さすがに鈍感な私でも勘づくことがあります。
どうも著者は心理学、精神分析学、それに聖書を含む宗教や哲学の古典を相当に読み込んでいるなと。
さすがに英文で読むわけにゆかないので、日本語の訳本を読むのですが、あの話はこの本のこの部分の焼き直しなのではないかなんてずっと後になって気付くこともあったのです。
翻訳においても、書くという行為はやはり読むことの裏返しだったのだと思い知りました。
おかげで読書は進みましたが(笑)
(よくブロンプトンで教えを請いに行ったものです)
いつも訊いていた方が、遠くへ引っ越したのを機会に、翻訳作業から手を引くことにしました。
他にも理由があり、ちょっと精神的に参ってしまったのです。
なにしろ12年にもわたって続けたものですから。
ただ、それだけ長きにわたって作業していたため、翻訳作業の手順はオリジナルを確立することができました。
機械訳に手心を加えているだけのように誤解されることもありましたが、そんな生易しいものではありませんでしたから、ここに書き留めておこうと思います。
英文を和文に翻訳をしていた時の手順
1.英文をスキャンして電子データとして取り込む
いまは複合機のスキャン機能を使えば取り込み自体はあっという間ですが、昔は一頁毎にコピーをとり、それをスキャナーにかけてと時間がかかりました。
場合によっては修正液を使って原稿を修正しなければ読めないこともありました。
(とくに分厚くて装丁がいい加減な本)
2.OCR(光学文字認識)ソフトでテキストデータ化し、スペルがおかしな単語を修正します。
ピリオドやコンマ落ち、iや数字の1をl-エル-で誤認識等々多数。
但し、おかしな単語には赤い波線がつくのでわりと容易にみつかります。
3.一文ごとに改行を入れ、段落毎に空の行を挿入する。
英文にも長い長い一文があるのだと知ったのは、この作業を通してでした。
ひどいケースは段落がまるまるひとつの文章だったりします。
受験の英文読解で出てくるような文章も、そこまでは長くありませんでしたから、文の構造を把握するのに苦労しました。
そのまま翻訳ができないことを見越して、この時点で主語や接続詞などをいれて文章を分けるようなことも、場合によっては行いました。
4.仕上がった英文データを翻訳ソフトに投入(この時点でスペルミスが見つかることもあります)
5.翻訳ソフトの自動翻訳機能で機械翻訳
翻訳専用のソフトを使用しても、珍翻訳・迷翻訳、謎の和文創出の連続で、機械訳はそのままではとても日本語として読めません。
受験用の英文法参考書や、英文解釈、プロ用の翻訳のコツを著した書籍には、大概に「まず動詞を探せ」なんて書いてあるのですが、どこをさがしても先頭からピリオドまで動詞が見当たらないなんて文章はしょっちゅう出てきましたし、目的語が無くて「そこは読解力でお察しください」なんて文章もありました。
ごくたまに完璧なまでに意味を倒置した抱腹絶倒の翻訳文が出てくるため、一通り目は通しますが、書いてあることの2~3割がおぼろげながらわかる程度です。
6.一文ずつ翻訳校正
ということで、どんなに短文でも、簡単な単語の羅列でも、裏読みを疑ってかかるため英語の単語を一つずつ引きながら翻訳作業をすすめねばなりません。
ここがいちばん手間と時間をとります。
翻訳ソフトに付随している新英和中辞典などでは事足りず、専用の電子辞書(それも英和・和英だけで4種以上、ほかに英英辞典も2種というかなりの英文専用機)も併用しました。
“get”とか”take”など、誰でも知っている動詞は却って辞書を隅々まであたらないとわからなかったりします。
さらに文の構成がわからなければ、文法書も引きます。
辞書と辞典があれば翻訳できるかというと、教科書やマニュアルはいざしらず、専門書はどうしても訳せない文章がでてきます。
とくに行間を読ませるような書き方がされていたり、有名な古典などから引用が入っていたりすると、背景を知ったうえで特殊な意訳をしなければならないこともあります。
そういう場合は、上述のようにインターネットで英文をそのまま検索し、文章で類似する表現を片っ端から読んでゆくか、それでもわからなければネイティブに聴きます。
ただ、ネイティブもよく本を読んでいる人物に尋ねないと、的を得た答えが返ってきません。
7.出来上がった翻訳文をワード形式でエクスポート
打ち込みのミスや、日本語の体裁がおかしくないかをここでチェックします。
8.もういちど日本語文としておかしくないか再校正
接続詞などについて英文を見ながら直してゆき、日本語として流れのよい、読みやすい文章に仕立てます。
段落の間で齟齬がないか、文章として起承転結の形をとっているかなど全体的にも見直します。
但し、ここで翻訳者の思い入れが入りやすく、著者としてはそこまで言っていないことも加えてしまいそうになるため、そのような場合は個人的な訳注を別途に書き留めます。
本来であれば、ここで段落ごとに英文と翻訳和文を交互に読み、それをバイリンガルの人たちに聞いてもらっておかしい部分を指摘してもらえばよいのですが、そこまで時間が取れることはなかなかありません。
そこで何人かで定期的に集まっては検討をするという作業をしていました。
その時は大学のゼミナールで一年間かけて輪講するような環境がうらやましいと感じたものです。
(高校時代に使った辞書や文法書など、使えるものは何でも動員しました)結果的に350ページくらい翻訳したと思います。
翻訳という作業を続けて分かったことは、自分で文章を書くよりも、謙虚さと冷静さ、それに根気が必要だということです。
できるだけ著者の気持ちに近づくためには、自我を封印することである意味では黒子に徹し、思い込みをしないよう注意を払い続けねばなりません。
今まで作家の方ばかりに目が行っておりましたが、翻訳者って地味で寡黙ながらすごい人たちだと思うようになり、訳書を比較したり、原書にあたったり、訳者あとがきを注意深く読むようになりました。
これがいちばんの収穫です。
(いくらPCの翻訳ソフトを使おうとも、基本はノートの左に英文、右に和文を対比させ、細かく辞書をひきながら何度も検討し直す必要があります)
いっぽう、これだけ長い間翻訳したら、さぞかし英語が上達しただろうと思いきや、全然ダメでした。
英語は、英語として読んで理解しないと英語の読解力がつかないというのは本当です。
なまじ翻訳作業なんかすると、お次は日本語としてどう表現するのかに傾注してしまうので、英語の表現は理解した時点で放り投げてしまうのです。
翻訳なんかする暇があったら、英文を声に出して繰り返し読みながら、何度読んでもわからないところは英英辞典をひいた方がどれだけ言語の学習になったかわかりません。
(どこの国の言葉であろうと幼児や小学生はそうやって本を読む習慣をつけるとおもいます)
なお、翻訳期間中は、できるだけ日本語の本でも読みやすく名文といわれる書籍を意識的に読むようにしていました。
だから、日本語表現は豊かになったかもしれません。
これが反対に日本語を英語に翻訳する作業だったら、もっと英語の勉強になったのかもしれません。
そういう意味では、今の日本は外国語しか喋れないお友だちを作るのが容易なように、英文もインターネットで大量に読めますから、国内にいてお金をかけずに英語を読むチャンスはゴロゴロしています。
お勧めは英語版青空文庫。
ここが有名です。
本ブログの題名もじりになったスティーブンソンの『旅は驢馬をつれて』(Travelswith a Donkey in the Cevennes by Robert Louis Stevenson)もちゃんと全文あがっています。
これで読めそうだなとあたりをつけたら、英文の本を買って読んでみれば、三日坊主にはならないかもしれません。
(ときには気の進まない読書もしました)いま英語でガイドに挑戦して、ボキャ貧どころかどこから手を付けたらいいのかわからないくらい、英訳&英作文が壊滅的な自分に直面しています。
とりあえず、英語で書かれた日本のガイドブックや英文で書かれた日本の旅行記から読んでみるのが穏当な気がします。
パールバックの「私の見た日本人」(The People of Japan byPearl. S. Buck)なんて良いのではないかと思うのですが、お亡くなりになってからまだ50年経っておらず、著作権フリーになっていません。
そこで、イザベラ・バードの『日本奥地紀行』(Unbeaten Tracks inJapan by Isabella L. Bird)なんてわりと平易な英文だから読めそうです。
なお、洋書は大型の本屋さんにも在庫が無く、不本意ながらネット通販に頼ることになりますが、AmazonよりもBook Depositoryの方が安価(特に絵本!)で送料もかかりません。
そこまでわかってはいるのですが、他に読まねばならない本がありすぎていまだ手がまわりません(笑)
(言葉は苦労するものではなく、楽しむものだと思います)