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旧東海道へブロンプトンをつれて 41.宮宿から42.桑名宿へ(その5;佐屋街道 神守→佐屋)

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(神守宿)
お祭りの山車をいれる倉庫が角にある神守町下町交差点(35.174679, 136.771874)を右折して宿場へ入ってゆきます。
神守宿は幕府により五街道が整備されてから30年後に設けられた比較的新しい宿場とされていますが、鍵形を曲がって入ってくるあたりは、きちんと宿場のセオリーを踏んでいます。
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(突き当たって左折したあたりが本陣跡です)

県道から路地に入った途端に交通量が減り、急に静かになった道を270mほど進むと、左手に神守小学校(35.177530, 136.770894)があり、その手前に連格子を連ねた元商家らしき家があるのですが、色に注目です。
これまでの家よりもどことなく色が赤いのです。
その手前にも、板壁が赤い家があります。
これはおそらく「弁柄(べんがら)」でしょう。
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(穂歳神社)

弁柄とは酸化鉄を用いた顔料のことで、インドのベンガル地方から輸入していたためにこの名前がつきました。
鉄の門扉などの塗装に、錆止めの下地を塗ります。
基本的にはあれと同じなのですが、中部・近畿地方以西の木造建築には塗られる習慣があっても、関東地方にはありません。
鈴鹿峠を越えてから登場すると思っていたのに、予想より早く見かけることになりました。
もっとも気が付いていないだけで、すでに弁柄に塗られた建物の前を通過してきたのかもしれません。
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(越津町交差点付近)
 
交差点から360mで突き当りますので、左折して進路を西へ向けます。
右側には憶感(おかん/おかむ 35.177988, 136.772985 )神社と真言宗の吉祥寺があります。
「おかん」とはまた変わった名前ですが、ご祭神は「お神」としか伝わらず、淤加美神(おかみのかみ)つまり水神ということです。
突き当りを左折してすぐの場所が神守宿の本陣跡のようですが、それを示す印はありません。
本陣は1軒のみだったようです。そこから70mほど進むと左側にあるのが穂歳(ほうとし 35.178356, 136.770332 )神社です
こちらは日本武尊の妾腹の子を祀っているとのことですが、ご利益は雨乞いと豊作とのことですから、水が関係しているようです。
もうすぐ大河に突き当りますから、治水で苦労した地域に入ってきているのかもしれません。
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そのまま佐屋街道はゆるやかに蛇行を繰り返しながら突き当りから1.2km先の越津町交差点(35.178085,136.759614)先で、愛知県道68号名古屋津島線に戻ります。
再び交通量の多い道路に出たので、越津町交差点で道路を渡り、左側を走って西へ向かいます。
越津町交差点から400m先の日光橋(35.178089, 136.754397)で日光川を渡ります。
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(日光橋から見る養老山地)

佐屋街道は、金山総合駅入口で左折して美濃路と分岐して以来、中川、中川運河、庄内川、新川、福田川、蟹江川とここ日光川で7つの河川を渡ってきましたが、この先に残っているのは木曽、長良、揖斐の別格に大きな三つの川のみです。
三川の向こうに養老山地の山がまるで大きな壁のように立ちはだかっているのが、橋の上から望めます。
養老山地は、濃尾平野の西に位置して、その背後にある美濃と近江の境にある鈴鹿山地の前衛にあたる山々で、最高峰は北部の大垣市にある笙ヶ岳の958mと決して高くはないのですが、冬などは雪をかぶってかなり迫力があります。
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(旧佐屋街道は外側なのですが、すぐ行きどまりです)
 
笙ヶ岳の麓には、水が酒に変わったという孝子伝説でおなじみの養老の滝があります。
菊泉水とも称される養老の滝の水は、鉱泉水としてはかなり美味しい方で、奈良時代後期にこの地を行幸した元正天皇はこの水のファンになってしまい、元号も養老に改めてしまったといいます。
また、養老町にはかつてサイダーを製造する会社があり、東の三ツ矢、西の養老といわれるほど有名な養老サイダーという商品があったのだそうです。
今年(2017年)の夏にこのサイダーを復活させるためにネットで資金を集め、限定生産したとか。
よほどファンがたくさんいらっしゃるのでしょう。
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(津島市役所前バス停を左折し、)

日光川を渡ってから、佐屋街道はだんだんと市街地に入ってまいります。
相変わらず交通量は多く、暗渠になっている歩道は凹凸が激しいうえに場所によってはひとりが歩くのがやっとという幅ですので、注意しながら車道左側を進みましょう。
左側に大型のショッピングセンターを見ながら進んでゆき、日光橋から1.16kmの埋田町交差点(35.175654,136.742221)を見落とさないようにしてください。
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(すぐ右折します)

その120m先にあらわれる、なんの変哲もない一本目の路地(35.175676,136.740915)を左折します。
角には「津島市役所前」のバス停がありますが、市役所はどこにも見当たりません。
実は、市役所もお向かいの路地を北に50mほど入ったところにあって、県道からは見えないのです。
県道を左折したら30m先を右折します。
このあたりの佐屋街道は消えかかっているため、このように県道の裏路地にかろうじて残っている部分だけでも忠実に走ろうというわけです。
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(埋田追分)
 
裏路地に入ってすぐ、ビジネス旅館手前の両側に石燈篭がたっています(35.175316,136.739890)。
ここが津島神社の一の鳥居があった場所です。
埋田追分とも呼ばれ、津島神社への参道と佐屋街道の分岐点でもあったようです。
津島神社の説明は前に津島道の説明をすることころで触れましたので省きますが、あのような有名なお社の一の鳥居を撤去してしまうなんて、ちょっともったいないですね。
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(この水門の角を左折します)

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暗渠になった水路の両側に続く道をそのまま進み、石燈篭のある場所から260m先の二つ目の十字路(35.175268,136.737020)を左折します。
古川屋さんというお酒屋さんが右手の角にありますし、左手には津島市民病院の大きな建物が見えていますので、目印になると思います。
この交差点を逆に右折して270m北上した東柳原2交差点(35.177723,136.737251)で左折、西へ550m進んだ突き当りが名鉄津島線と尾西線の合流点である津島駅(35.178096,136.731071)です。
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(津島市民病院の前を抜けてゆきます)

七宝町から神守宿にかけて、鉄道の駅が比較的離れており、歩いているときに時間切れになったら名鉄バスの津島線(1時間に2本程度)を利用するしかありません。
ブロンプトンならこの区間は県道68号線から名鉄津島線の各駅までおよそ2.5kmから3.5kmの距離ですから、渋滞にはまりやすいバスに乗るよりも、駅まで走ってしまった方が名古屋に戻るのは早いと思います。
津島線の各駅停車は日中でも15分に1本は走っていますし、1時間に2本は名駅に直通します。
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(右手に愛宕神社の杜が見えたら右折)
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(愛宕神社)

さて、津島市内で左折して進路を西から南へ変更した佐屋街道は、市民病院の角にある橘町3交差点(35.174014,136.736924)を通り過ぎ、そこから620m先の右手に愛宕神社の杜が見えている路地(35.168449,136.736366)を右折します。
神社の裏手を回りこむように70m先を左折して、住宅街の路地を進んで行くと愛宕神社から390m先で愛知県道114号線に出ます。
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(県道114号線を横断)

すぐ右側に西愛宕町交差点(35.166686,136.731876)があるので、その横断歩道で県道114号線を横断し、お向いの路地に入って行くと、120m先で今度は県道105号線に出るので、左右を注意しながら横断します。
この2つの県道を横切る際、西愛宕町信号までいちいち戻らねば横断できず、歩いているときはイライラしていることもあって、「本当に脇往還は大切にされていないし歩くのには向いていない」と感じたものです。
ブロンプトンで横断する際には、ここはかなり田舎で車もスピードを出していますので、十分注意して県道を渡ってください。
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(県道105号線を横断)

そこからほんの少しの間は街道らしいのですが、すぐに整備された直線道路になってしまいます。
県道105号線を横断してから500m南へ向かうと右手に保育園が見えてきますので、その先の突き当り(35.160476,136.730347)を右折します。
広々とした田んぼの中の一本道を西へ向かうと、390m先で名鉄尾西線(複線)の踏切(35.160372,136.726102)を渡ります。
このあたり、遮るものがないため、冬場はもろに偏西風の向かい風を受けてしまいます。
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(尾西線踏切付近)
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踏切から320m先、三本目の十字路(35.160262,136.722540)を左折し、すぐ次の十字路(35.159727,136.722519)を右折、踏切のある道より一本南の道路を走りましょう。
これがかろうじて残っている旧佐屋街道の痕跡です。
その証拠に、この路地に入って250m先の県道423号線に突き当る角に、佐屋街道道址の石碑(35.159622,136.719848)が立っています。
とはいえ、往時のものではなく昭和54年に建てられたものですが。
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石碑の場所を左折してそのまま県道を890m南下し、須依(「すえ」と読みます)交差点(35.151999,136.716570)を右折、440m進んだ先の十字路(35.151183,136.711769)が、佐屋の渡し場跡になります。
次回は、佐屋宿の様子と、ここから桑名までの走行プラン、そして実際に走った感想について書きたいと思います。
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(須依交差点を右折すると佐屋宿はすぐです)

旧東海道ルート図(金山駅入口~弥富駅入口)
https://latlonglab.yahoo.co.jp/route/watch?id=2f8e842b8bdd0b584f5bac60ba8df099



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