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Channel: 旅はブロンプトンをつれて
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江の島の常立寺にブロンプトンをつれて

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(江の島道に面している常立寺)

旧東海道の藤沢宿から江の島道をたどってゆくと、終点江の島のすぐ手前、湘南モノレール江の島駅近くに日蓮宗の常立(じょうりゅう)寺はあります。
江の島だと同じ宗派で日蓮上人が法難に遭った龍口寺のほうが有名です。
あそこは鎌倉時代は処刑場でしたから。
こちらの常立寺は、その龍ノ口で処刑された元の使者の慰霊碑があるのです。
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(本堂)

第一次日本侵攻となる文永の役(1274年)まで、たどり着けなかった分も含めれば計6回元は日本に使者を送っています。
しかし、その際には臣下になるよう仄めかし、恫喝も含んでいたという国書を黙殺はしたものの、使者を斬るようなことは鎌倉幕府もしませんでした。
第一次日本侵攻が失敗に終わり、翌年の1275年春、元のクビライは七度目の使者を日本へ送ります。
内訳は、正使の
杜世忠(蒙古人・今でいう外務官僚)、と副使の何文著(唐人・軍務官僚)、それにウイグル人の法務官僚と書記官、高麗人の通訳の計5名でした。
この五人はいまの下関に上陸してからの見聞を詳細に記録しており、スパイとして疑われたといわれています。
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五人は2月に出立して4月に来日、8月まで大宰府で拘禁されたあとて9月に鎌倉へ送られ、同月27日に斬首されました。
正使の杜世忠は34歳で、送り出してくれた家族に生きて会えずにこの世を去る無念さを辞世の漢詩に残しています。
鎌倉幕府としても、文永の役において対馬や博多でひどい目に遭っているので、使者たちに憎しみを抱いていたのでしょう。
それにしても、五人のうちモンゴル人は一人だけで、あとは今の中国人、ウイグル、朝鮮人と多国籍だったことは意外です。
大陸を席巻していた元の勢いをあらわしているようです。
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(6つある気が・・・)

常立寺の本堂に向って右側にある大きな髭題目を背にして建っている五輪塔が伝元使塚ということです。
ここにはモンゴルの大使も慰霊に訪れるし、もう25年も続いている大相撲藤沢場所が開催される際には、モンゴル人の力士たちは必ずお参りに来るそうです。
五輪の塔には青い布が巻かれていました。
これはモンゴルにおいてオボーと呼ばれる標柱に巻き付けられるものと同じで、モンゴル人の信仰する空を表しているそうです。
モンゴルって、社会主義になる前はチベット仏教が盛んでした。
なんでもチベットを征服したら、逆にチベット人に教化されてしまったのだそうです。
おそるべし、チベット仏教。
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(「一天四海皆帰妙法」=全世界はみな妙法に帰す。ここでいう妙法とは、法華経というよりは普遍的な法を指すそうです。世界が信仰のうちに平和になりますようにくらいの意味でしょうか)
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