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Channel: 旅はブロンプトンをつれて
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なぜ脱いだ靴を揃えるようになったのでしょう

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昔修学旅行の添乗をやっていたときのこと、ある朝に旅館で高校生の朝食の数がクラスごとに合っているか、確認をしておりました。
やがて朝食の時間になり、生徒たちがドヤドヤとやってまいりまして、広間の座敷に座ってゆきました。
私は入口で「オハヨウゴザイマス」と挨拶していたのですが、ふと見ると廊下にはもの凄い量のスリッパが散乱し積み重なっております。
それで、皆が部屋に戻りやすいようにとスリッパを並べていったのです。
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(大型旅館でも、靴を脱いで入る宿は多いと思います)

皆が揃って「いただきます」をする際に、学年主任とおぼしき先生がマイクを使ってひとこと述べました。
「お前ら、廊下を見てみろ」と。
「誰があのようにスリッパを並べてくれたのか、お前たちは見ながらそのまま座敷に上がってきただろう」
『あちゃー、そんなお説教の題材にしなくてもいいです、こっちは仕事柄やっているんですから』と内心思いながら隅で畏まっておりました。
その日の夕食から、生徒が自主的にスリッパを揃えて座敷にあがるようになったのは言うまでもありません。
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(赤坂宿大橋屋さんの上がり框)
 
しかし、自分がそのような習慣をつけたのはどうしてだろうとあとで考えてみたのです。
生徒さんたちのように、先生から注意されたから身についたのでしょうか。
自分が学生時代、そのような指導を受けたことがあったかもしれませんが、とんと記憶にありません。
記憶にないということは、言われても忘れてしまっているということです。
むしろもっと子どもの頃、そのようにしてもらった体験が影響しているのではないかと考えました。
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(宿の方との会話を楽しむなら、中小旅館から民宿がお勧めです)

自分が小さいころ、旅先の宿泊施設や食事場所には靴を脱いで上がる場所が今より多かったように思います。
旅館は仲居さんたちが玄関先で「まぁまぁ、遠いところをよくおいでなさいました」と三つ指ついてご挨拶され、その脇で半纏を羽織った下足番の方が、靴を下足入れに黙々と仕舞っていました。
部屋までスリッパで行って、「どうぞこちらです」と案内した仲居さんがまずすることは、お客さんが今脱いだスリッパを揃えて廊下へ向けることでした。
翌朝会計を済ませて出立する際には、ピカピカに磨かれた靴が玄関の三和土にきちんと自分たちの家族分だけ並べられていて、下足番の方は玄関先で打ち水をされているといった具合でした。
お正月に家族揃って成田山に詣でたときも、中庭があるようなうなぎ屋さんの座敷に通される際、下足番の方から木製の番号札を渡され、食べ終わって両親が帳場で会計をしている際に、子どもたちがその木札をおじさんに渡して靴を並べてもらうのをじっと見つめているという塩梅でした。
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(玄関でブロンプトンをたたむ行為は、どことなく靴を脱ぐのに似ている気がします)
 
いつのまにか自分で脱いだ靴を揃えるようになり、ついでに玄関先に散らかっている靴や突っ掛けがあったら並べておくという習慣がついたのは、あの下足番のおじさんや、仲居さんの働く姿をみて、自然に「そういうものだ」と真似をしているにすぎなかったのではないかと思います。
彼らはお客さんへ「おもてなし」としてしているだけかもしれませんが、子ども心にその姿を「美しい」と感じたから真似をしたくなったのだと思います。
そのとき、彼らの仕草には、「してあげている」なんて態度は微塵も感じられず、ごく自然に立ち振る舞っているといった様子でした。
子どものわたしとその人たちとの間には、大人特有の「こっちはお金を払っている側だから」などという邪心が無く、旅館で下働きしている人たちも、こうしてお客で訪れた自分たちも、皆平等で、旅先で出会った人という感覚があったのだと思います。
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(下足番の方たちは実は番頭さんで、ご案内ばかりでなく客の呼び込みなどもしていたのでした―草津温泉)
 
いま、駅前旅館がビジネスホテルに変わってしまい、そこで働いている人たちに「おはようございます」の挨拶も返せないお客さんがいるのを見かけるにつけ、あの人たちを失ったのはもったいないと思います。
私はホテルやペンションでアルバイトした経験があるから、ルームクリーニングの方の苦労も少しは分かります。
学校の先生の教育的指導を否定するものではありませんが、それができるのも、ごく自然に下働きする人がいればこそです。
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(到着時のおもてなしのルーツは、足を洗うことなのかもしれません―旧東海道二川宿)
 
躾とは、たんに言って聴かせるだけではなく、自分で実践して自然にやってみせて、はじめて相手に対して伝えることが叶うのではないでしょうか。
あなたがもし、子どもに脱いだ下足を自分で揃えるような人になって欲しいと望む親であるなら、自からが自然体で愉快に下足を揃えるような人間になれば、何も言わなくても伝わるのではないか、そんな風に思うのです。
もし子どもにスマホばかりいじっているのではなく、本を読む人になって欲しいと望むなら、まず自分がスマホを鞄にしまって、好きな本に夢中になることです。
それも子どもの前でわざとらしくではなく、普段からごく自然にです。
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(とある旅館のかわいい玄関番)

「子どもは親の言う通りには育ちません。その代わり、親のする通りに育ちます」という渡辺和子先生の言葉は、そういうことだと思うのです。

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