彦根城へ行ったときにひこにゃんを見かけました。
人垣の中で、持っているおもちゃの刀で演武?らしきことをしていたのですが、もちろん動作は緩慢で、やる気があるんだかないんだかよくわからない動きをしていました。
最後は刀を元の鞘に収められず、困惑しながら終了です。
マイクで解説しながら、彼をいじっている職員もわざと冷たい感じを演出していて、ゆるキャラの面目躍如?といったところでしょうか。
ひこにゃんは、ゆるキャラブームの嚆矢のような存在です。
ゆるキャラグランプリの第1回が2010年で、ひこにゃん登場(2007年-彦根城築城400年祭)の3年後ですから。
![イメージ 1]()
なぜキャラが猫なのかといえば、彦根藩の事実上の2代藩主井伊直孝が世田谷で鷹狩をしていると、寺の猫が門前で手招きしたため、この寺で一休みすることにし、和尚から茶の接待を受けている最中に雷雨になったため、「猫のおかげで濡れずに済んだ」といってその寺を井伊家の菩提寺とした、いわゆる「豪徳寺のまねき猫伝説」がモティーフになっているのは周知のとおりです。
(彦根城は関係ないじゃん。)
頭に被っているのは関ケ原の戦いなどの場面で描写される、直孝のお父さん、「井伊の赤鬼」こと井伊直政の赤兜です。
司馬先生の本にはよく書かれていますが、1576年に武田氏が織田・徳川の連合軍によって滅ぼされたあと、徳川家康はひそかに武田の遺臣を大量にめしかかえ、これを譜代の家臣である井伊直政につけました。
武田の武者は真田氏の兵でもよく見られるように、当時黒が主流だった鎧兜を朱色で統一する「赤備え」をファッションにしていましたから、同様に「井伊の赤備え」として徳川の精鋭部隊を指す言葉になりました。
(しっかりカメラ目線ですが、手には刀・・・)
浪馬のブロンプトンも赤ですが、いわゆる赤色は情熱の色と呼ばれるように、相手にこちらの勢いを伝える効果があると言われています。
それくらい目立つのでしょう。
サラリーマンで営業しているころ、契約をまとめたければネクタイは赤にしろとか言われていたものでした。
広島カープもまたしかりなのですが、幕末の頃、長州征討の先陣を切って芸州(安芸国)口から周防へなだれ込んだ彦根藩の赤備えは、小瀬川(広島県大竹市)で長州藩のアウトレンジ戦法(長州藩の銃の方が射程が長かったうえに、赤は格好の標的になってしまった)に敗れて壊滅的な打撃をうけ、河口付近が鎧兜と血潮で真っ赤に染まったという故事を知っている身としては、「広島で赤ヘルねぇ、怨念かしらん」と首をひねってしまうのでした。
(別に野球チームには何の感情もありません)
(彦根城天守)
この長州征伐に失敗したことが、幕府の威信を著しく傷つけました。
それから1年半後の1868年に、鳥羽伏見の戦いで幕軍が大敗する原因の一つになったのが、戦場を見下ろす龍雲寺の高台を守っていた彦根藩兵が、開戦前ひそかに大山弥助(巌)率いる薩摩の砲兵に陣所を明け渡していた行為です。
薩軍はそこに大砲を並べて麓の奉行所付近に陣を張っていた会津藩や新撰組に対して撃ちかけたものだから、土方歳三らは横の軒上から砲弾を雨あられのように落とされる格好となり、戦線を支えきれませんでした。
ここから幕府の崩壊が始まるというときに、またもや彦根藩が関係していたというのも、関ヶ原の因縁のような気がします。
関ケ原の撤退戦で薩摩藩は彦根藩に対して遺恨がありましたからね。
何でこんな話を持ち出し方といえば、旧東海道の旅の桑名宿で、幕府と薩摩の因縁話が出てくる予感がしたからなのですが(笑)
(ゆるキャラの 体型みても 抱腹できず)
ゆるきゃらに話を戻しますと、この殺伐とした世相に、「歴史的経緯やそれに対する想いはともかくも、せめて架空のキャラくらいゆるくていいんじゃないか」というアンチテーゼが入っている気がします。
何でも杓子定規に考えていたら、張りつめていた糸のようにぷっつりと切れてしまいますから、さいしょからゆるくしておこうというのも、悪い考えではないと思います。
経済効果がどうのこうのという浅ましい考えはさておいて、そういう意味においては、ひこにゃんも鎮魂なのかもしれませんね。
こう考えていると、桜田門で殺された直弼も含め、歴代藩主の面々が泉下で苦笑いしているような気がしてきました。
こんど仕事の帰りに豪徳寺に寄って、そこにひこにゃんがいるかどうか確かめてみましょうか。
それにしても今回、ひこにゃんをテーマに文章を書こうと思ったものの、話があちこちに飛んでかなり苦労しました。
(玄宮園の池に映る彦根城)
人垣の中で、持っているおもちゃの刀で演武?らしきことをしていたのですが、もちろん動作は緩慢で、やる気があるんだかないんだかよくわからない動きをしていました。
最後は刀を元の鞘に収められず、困惑しながら終了です。
マイクで解説しながら、彼をいじっている職員もわざと冷たい感じを演出していて、ゆるキャラの面目躍如?といったところでしょうか。
ひこにゃんは、ゆるキャラブームの嚆矢のような存在です。
ゆるキャラグランプリの第1回が2010年で、ひこにゃん登場(2007年-彦根城築城400年祭)の3年後ですから。
なぜキャラが猫なのかといえば、彦根藩の事実上の2代藩主井伊直孝が世田谷で鷹狩をしていると、寺の猫が門前で手招きしたため、この寺で一休みすることにし、和尚から茶の接待を受けている最中に雷雨になったため、「猫のおかげで濡れずに済んだ」といってその寺を井伊家の菩提寺とした、いわゆる「豪徳寺のまねき猫伝説」がモティーフになっているのは周知のとおりです。
(彦根城は関係ないじゃん。)
頭に被っているのは関ケ原の戦いなどの場面で描写される、直孝のお父さん、「井伊の赤鬼」こと井伊直政の赤兜です。
司馬先生の本にはよく書かれていますが、1576年に武田氏が織田・徳川の連合軍によって滅ぼされたあと、徳川家康はひそかに武田の遺臣を大量にめしかかえ、これを譜代の家臣である井伊直政につけました。
武田の武者は真田氏の兵でもよく見られるように、当時黒が主流だった鎧兜を朱色で統一する「赤備え」をファッションにしていましたから、同様に「井伊の赤備え」として徳川の精鋭部隊を指す言葉になりました。
浪馬のブロンプトンも赤ですが、いわゆる赤色は情熱の色と呼ばれるように、相手にこちらの勢いを伝える効果があると言われています。
それくらい目立つのでしょう。
サラリーマンで営業しているころ、契約をまとめたければネクタイは赤にしろとか言われていたものでした。
広島カープもまたしかりなのですが、幕末の頃、長州征討の先陣を切って芸州(安芸国)口から周防へなだれ込んだ彦根藩の赤備えは、小瀬川(広島県大竹市)で長州藩のアウトレンジ戦法(長州藩の銃の方が射程が長かったうえに、赤は格好の標的になってしまった)に敗れて壊滅的な打撃をうけ、河口付近が鎧兜と血潮で真っ赤に染まったという故事を知っている身としては、「広島で赤ヘルねぇ、怨念かしらん」と首をひねってしまうのでした。
(別に野球チームには何の感情もありません)
この長州征伐に失敗したことが、幕府の威信を著しく傷つけました。
それから1年半後の1868年に、鳥羽伏見の戦いで幕軍が大敗する原因の一つになったのが、戦場を見下ろす龍雲寺の高台を守っていた彦根藩兵が、開戦前ひそかに大山弥助(巌)率いる薩摩の砲兵に陣所を明け渡していた行為です。
薩軍はそこに大砲を並べて麓の奉行所付近に陣を張っていた会津藩や新撰組に対して撃ちかけたものだから、土方歳三らは横の軒上から砲弾を雨あられのように落とされる格好となり、戦線を支えきれませんでした。
ここから幕府の崩壊が始まるというときに、またもや彦根藩が関係していたというのも、関ヶ原の因縁のような気がします。
関ケ原の撤退戦で薩摩藩は彦根藩に対して遺恨がありましたからね。
何でこんな話を持ち出し方といえば、旧東海道の旅の桑名宿で、幕府と薩摩の因縁話が出てくる予感がしたからなのですが(笑)
ゆるきゃらに話を戻しますと、この殺伐とした世相に、「歴史的経緯やそれに対する想いはともかくも、せめて架空のキャラくらいゆるくていいんじゃないか」というアンチテーゼが入っている気がします。
何でも杓子定規に考えていたら、張りつめていた糸のようにぷっつりと切れてしまいますから、さいしょからゆるくしておこうというのも、悪い考えではないと思います。
経済効果がどうのこうのという浅ましい考えはさておいて、そういう意味においては、ひこにゃんも鎮魂なのかもしれませんね。
こう考えていると、桜田門で殺された直弼も含め、歴代藩主の面々が泉下で苦笑いしているような気がしてきました。
こんど仕事の帰りに豪徳寺に寄って、そこにひこにゃんがいるかどうか確かめてみましょうか。
それにしても今回、ひこにゃんをテーマに文章を書こうと思ったものの、話があちこちに飛んでかなり苦労しました。