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旧東海道へブロンプトンをつれて 32.白須賀宿

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湖西市の歴史拠点施設、「おんやど白須賀」(34.682919, 137.509306)から旧東海道の旅を続けます。
施設を背に左へ向かうと、すぐに明治天皇がここから景色を眺めたという、木戸孝允公(桂小五郎さんですね)の筆による立派な碑が道路左側の広場にあります。
この一帯は織田信長が甲斐の武田氏を滅ぼしたときに富士遊覧に出掛け、その帰途にここで徳川家康より茶の接待を受けたという場所でもあります。
二つの出来事を記念して潮見坂公園(34.683590, 137.509024)があったのですが、旧東海道ともども中学校ができたときに潰されてしまいました。
ここから見る海は、なるほど広重を連想させる景色です。
地形的な制約があって致し方なかったのかもしれませんが、学校を建てるために旧街道やその遺跡を潰すというのは、あまり良い話ではない気がします。
事実、そこからの旧東海道は中学校の敷地に沿ってすすみます。
イメージ 1
(歴史拠点施設のなかには展示物の他、潮見坂公園付近ののジオラマがあるのでした)
 
台地の上の縁をすすんだ旧東海道は、国道からの道と合流すると、白須賀宿の街中へと入ってゆきます。
前に説明した通り、宝永地震による津波の被害を受けたあとに移転した街です。
白須賀宿は、本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠27件で総人数及び家数は2,704613軒の、やや小ぶりな宿場でした。
両側に軒を連ねる宿場へと入ってゆくと、曲尺手(かねんて)と呼ばれる鍵型道路があり、その先に酒屋さんや雑貨屋さんなど数軒の商店があります。
やがて信号のある交差点手前左側に農協が見えてきますが、その20m手前右側にある美容院がある場所が、宿場に唯一あった本陣大村庄左衛門跡です(34.688540, 137.500963)
イメージ 2
(DANさんとの旅では、宿泊を伴ったためフロントバッグがいっぱいでした)
 
農協の脇、信号機のある交差点(34.688940, 137.500364)で左折すると、そのまま表浜街道に接続します。
表浜街道というのは、地図をみると分かるのですが、いまの国道42号線で、渥美半島の南岸を西へ向かい、先端の伊良子岬へ向かいます。
そこから伊勢湾フェリーに乗船し、海上およそ20㎞で伊勢湾口を横断すると鳥羽市に到着します。
鳥羽から伊勢神宮まで直線でおよそ11.5㎞ですから、もしこの白須賀宿から伊勢へ行こうとしたら、三河・伊勢の両湾を北へ大きく迂回して名古屋から木曽三川を渡河するよりも、渥美半島先端から海を渡った方が距離は遙かに近くなります。
イメージ 12
(青が東海道で、緑が伊勢参宮道、赤が表浜街道経由です。白須賀宿~伊勢間が妙に近いですよね)

江戸時代に伊勢湾口に渡船が存在していたかどうか定かではありませんが、この後に出てくる国学者親子も、そのルートで伊勢から流れてくる人や物の影響を受けていたのかもしれませんね。
いまでも静岡以東からお伊勢参りにゆくのであれば、混雑する名古屋を避けて、伊勢湾をフェリーで渡るルートをお勧めしますよ。
その方が、車の運転手さんも昼寝ができて楽ではありませんか。
イメージ 3
(台地からの海の眺めと、学校によって迂回を余儀なくされている旧東海道)
 
さて信号の先左手には、夏目甕麿(なつめみかまろ1773-1822)邸祉・加納諸平(かのうもろひら1806-1857)生誕地の石碑がたっています(34.689030, 137.500345)。
この二人、加納諸平が他家へ養子に出た関係で苗字が違いますが、親子です。
前述した通りふたりとも国学者です。
夏目甕麿は本居宣長(1730-1801)の門下生で、地名の語学的研究をしていました。
そういえば、本居宣長も晩年は同じことをやっていたので、それを引き継いだのかもしれません。
イメージ 4
(なるほど、似てます)

 

本居宣長は古事記の解釈で有名ですが、60歳を過ぎてから各地へ旅に出ては、そこで多くの人たちと交流したといいます。
そして、古代の地名の読み方が漢字の音読みと不一致になっている例を抜き出して、法則を見出し、『地名字音転用例』という書物を著しました。
彼が71歳の時の労作です。
自分の感覚だと、国学者って幕末の尊王思想や、戦前の国家神道、その先の「美しい日本」にも通じる源流のように感じていたのですが、こんな地味な研究もやっていたのですね。
今でいう民俗学みたいな部分もあったとは知りませんでした。
イメージ 5
(国道からの坂が合流した先からが、津波被災後に移転した白須賀宿です)
 
本居宣長は三重県松坂の出身で、養子となった家が紙問屋さんでしたが、本ばかり読んで商売しなかったので、実家に戻りました。
なんだか印刷屋さんの息子さんが、印字されたものを片っ端から読んで夢中になり、仕事にならない場面を想像してしまいます。
そして江戸へ遊学に出るため、東海道を旅するのですが、道中の地図や資料があまりにもいい加減なので、自分で図面を書き記して、先々で見聞したものを自分用の資料にして書き溜めていたそうです。
おや、なんだか似たようなことやっている人がここにも一人。
でも国学では食べていけないので、医師を開業し、そのかたわらで賀茂真淵に師事して国学の研究に打ち込んでいました。
とにかく読書魔で書物の取り扱いにはうるさかったそうです。
(そこも似ているかも)
イメージ 6
(曲尺手のさき、商店の集まっているあたりが白須賀宿の中心です)
 
夏目甕麿は蘭学者で絵師の司馬江漢(1747-1818)とも交友があったといいます。
司馬江漢は浮世絵師から洋画の開拓者になった人で、地学や博物学、自然科学に興味をもってさまざまな図をあらわしていますから、こちらはスケッチ魔というか、才能を全開にしていたお方です。
私は国学者と蘭学者って水と油みたいに仲が悪いものだとばかり思っていましたがそうでもなかったようですね。
同じく学問を志す者同士、筋道は違えども目指すところは同じといった感じだったのかもしれません。
そういえば最近キリスト教を深く考えると、仏教や神道の本の内容が良く理解できるのと近いかもしれません。
イメージ 7
(本陣大村庄左衛門跡)
 
会社でも、国内部門と海外部門って、絶対に交わらない人たちだったのに、こだわらない人がいて、上手に外国人のお客さまを国内の担当に委ねていました。
あれからインバウンド(海外からの訪日客)が劇的に増えて、国内部門の人たちを「まるドメ」(「まるでドメスティック」の略)なんて揶揄できなくなっているのと思います。
いまや地方の温泉宿の女将さんだって、英語に加えて中国語や韓国語を習う時代ですものね。
ところで「女将」って中国語でなんていうのか引いたら「老坂娘」とか「女主人」と出るのですが、前者なら若女将ならどうなってしまうのでしょう。
中国からのお客さんを泊めている和風旅館では、「我是老坂娘=(女将でございます)(wǒ shì lǎo bǎn niáng)って三つ指ついて挨拶するのでしょうか。
私の経験から言えば、挨拶は日本語で、その後の説明は中国語でやったら喜ばれると思います。
そんなことを考えていたらあの研究社にこんな題名の本があるのを知りました。
「ホテル・旅館で使う英中韓3か国語きほん接客フレーズ」
面白そう。
イメージ 8
(左;表浜街道との交差点 右;夏目甕麿、加納諸平親子の生誕地)
 
ああ、脱線しました。
いや、白須賀宿って住んでいる人には申し訳けないのですが、移転した関係からなのか、あまり宿場そのものの話題がないのですよ。
でも、訪れる価値がないなんて申しません。
いつ通っても時間が止まったような感覚を受けるし、鉄道駅からも(最寄り駅は4㎞離れた新所原駅)国道からも外れていて、とても静かですから。
制定400周年を記念して、旧東海道は歩行ブームの際色々なものができましたが、ここのように商売っ気の無いまま素朴でいる方が自然です。
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(火防の槙)
 
宿場のなかをさらに進むと、槙の木のたもとに、火防の説明書きがあります(34.689784,137.499760)。
津波を逃れて台地上へ移転した白須賀宿でしたが、水源も少なく、台地上に遮るものがなく、西風が強いため、今度は火災の延焼に悩まされるようになりました。
そこで家と家の間にスペースを空けて、そこに火に強いとされる槙を植えて、いまでいう防火帯を設けたということです。
たしかにこのあたりは川もなく、街の外は畑に囲まれているので、見かけは埼玉県の所沢に似ています。
所沢もたしか、「火は水でなく土で消せ」といわれ、風が強いゆえに火災に悩まされてきた街でした。
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(緩い坂をのぼりきると、県道と合流し笠子神社前に出ます)
 
旧東海道は成林寺(34.693855, 137.496510)というお寺の前を通り過ぎ、緩い坂をのぼると、農協前交差点から800mで村の鎮守である笠子神社の前で県道に合流します(34.694603,137.495110)。
この付近が白須賀宿のはずれです。
次回はこの笠子神社前から二川宿へと向かいます。
イメージ 11
旧東海道ルート図(浜松駅入口~二川駅前)
http://latlonglab.yahoo.co.jp/route/watch?id=1c0fa9a276c470f9763d5ca0e44aa1a0



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