私の同級生の息子さんに、日米ハーフの中学一年生になる子がおりまして、夏休みの間日本に来ていました。
彼はお母さんとは英語/日本語、お父さんとは英語/スペイン語で日常会話をするので、トリリンガルになるのかな。
日本語は幼児のころからあちらで週末に日本語学校へ通っていたので、目をつぶって聞いていたらネイティブと変わりません。
ずいぶん前にゴソゴソ(日本語の)宿題をやっているので覗いたら、四字熟語の書き取りをしていて、びっくりしました。
また、毎日の国際電話でお父さんと話すときはスペイン語オンリーで、受話器を置くと今度は日本人のお母さんと英語で会話するので、この子の言語中枢はいったいどうなっているのかしらんと感じておりました。
彼のお父さんもまた、言葉オタクらしくて、この前会った時は一生懸命古典のラテン語をわたしに英訳解説してくれるのです。
わたし、ラテン語はもちろん英語もそんなに聞き取れませんがな。
それでも、わからないなりに言葉をかけてもらうのは、けっこう大事だと思います。
そうやって話しかけているうちに熱意が通じて、相手も理解しようって気持ちになりますから。
全くしゃべれない赤ちゃんにも、話しかけることが大切だっていいますよね。
あれと同じです。
聖書にもあるじゃないですか。
「はじめに言葉があった。
言葉は神とともにあった。
言葉は神であった」と。
で、その息子さん、顔を合わせるとわざと訛った日本語でおどけてくるので、むかし学校の近くにいた米国人の宗教勧誘の真似をして、「チョッとイイですかァ。アナタは神を信じますかァ」ってふざけたら、面白かったらしくて、いつも会うと「チョッとイイですかァ…」って話しかけてくるのです。
彼によれば、そう話しかけられたときは“I’m not sure I believein God”(神様をしんじているかどうか、自分でもよくわからない)とでも返しておけばいいんじゃない?とのことでした。
(そんな風に英語で答えたら連れてゆかれてしまうと思います)
いまアメリカに帰って友だちに変な日本語を吹聴しているのではないかと心配しております。
ただ、外国語コンプレックスを持っている人からみれば、その能力は「すごい」のでしょうが、そこまでなるのに彼も彼の家族もたいへんな努力をしてきたそうです。
げんに私の周りにはほかにも日米ハーフの子が複数おりますが、彼ほど流ちょうに多言語を操る人は、見たことがありません。
日本にいる外国人のなかには、「私の日本語は初級程度です」と公言されているひとがたくさんおりますけれど、私から見ると「初級というより初歩でしょ」と感じることがよくあります。
そんな彼があるときゲームをやりながら身振り手振りを交えて私に英語を教えてくれました。
お題は”Mad”と”Crazy”と”Insane”の違い(笑)
彼によると、Madは若干だらしなく「ダァハハハハァ~」と笑って見せます。
Crazyは頭を不規則に振りながらわけのわからないことを叫びます。
そしてInsaneは両腕を前にだらりと垂らして痴呆のように無言になってしまいました。
つまり彼によると狂った程度がMad<Crazy<Insaneの順でひどくなるのだそうです。
Madは、まだまともで何かの事情で気のふれたふりをしているとでもいいましょうか。
Crazyはイカれているには違いないのでしょうが、どこかに正気を残しているという感じ。
そしてInsaneは彼の説明によると「死んでいるのと同じ」ということですから、正気を完全に失って、取り戻す可能性もゼロという状態でしょうか。
ああ、それで分かりました。
前に英語を訳すとき、悲痛な叫びとして“I am insane!”というのを「わたしは完全に狂っている!」と翻訳したのですが、もはや自分が狂っていることすら認識できないのがInsaneだとしたら、「俺はいったい何なんだ!」と意訳するのが正解だったのかもしれません。
名詞の“insanity”なんて、どう訳したらいいのでしょう。
たしかに“Are you Mad?”とか“Are you Crazy?” というフレーズは聞いたことがあっても、”Are youinsane?“なる台詞は聞いたことがありません。
だって正気がどうか本人にもわからないなら、訊いたところでらちがあかないですもの。
最後に彼が「Insaneという言葉は、自分以外に使っちゃダメだよ」とそっと教えてくれたのが印象的でした。