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Channel: 旅はブロンプトンをつれて
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そもそも何で横浜だったのかって話なわけ(今昔横浜名所図会;開港広場)

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と、今日のお題は某コメンテーターの口調を真似してみました。
さいきん、テレビ観ていなかったので知らなかったのですが、横浜問題っていうのがあるそうですね。
何でも横浜市民はプライドが高いのだとか。
自分は横浜をよく知らないくせに知っていると思い込んでいたくちで、プライドが高いと思われていたなら、無知を曝していたようで恥ずかしいです。
「日本ではじめて」の多い横浜ですが、それが自己満足に聞こえるのでしょう。
私の感覚からいえば、外国から入ってきただけの話で、「はじめて」にそれほど意味があるようには思えません。
昔にあった進取の気風が、舶来趣味みたいに見えて、鼻につくのかもしれませんね。
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(大桟橋側からみる開港広場)
 
さて、横浜を市内観光するにあたって、街のはじまりから出発するとしたら、どこが適当でしょう。
そう問われれば、殆どの人が「開港広場からはじめると良いでしょう」と答えると思います。
日米和親条約が締結された場所で、歴史に横浜の名前が登場するのがここからになりますから。
そこで今日は、なぜそれまで無名だった横浜で和親条約が締結されることになったのか、その経緯に焦点を当ててみたいと思います。
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(日米和親条約締結の地碑)
 
話しは条約締結の9か月前までさかのぼります。
1853(嘉永6)年78日、マシュー・ペリー率いるアメリカ合衆国海軍の東インド艦隊4隻が浦賀に来航しました。
いわゆる黒船来航ってやつです。
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(浦賀湾 造船所があるせいでしょうか。なぜか瀬戸内と同じ感じがします)

この時ペリーは日本に開国を促す大統領の親書を手渡すのですが、親書を受け取るのか受け取らないのか、受け取るとしてもどこで手交するのかで、揉めました。
親書の受け取りを拒絶しても、あるいは、受けとれば回答を求められ、かりに開国拒絶と返事をすれば、いずれにせよ武力で恫喝されると分かっていた幕府は、日本人お得意の引き延ばし工作に出ます。
いわく、いまは担当者不在だとか、ここでは受取れないから長崎の出島へまわってくれとか、長崎が遠すぎるなら伊豆の下田でどうでしょう等々、まるでちょっと前のお役所と同じようなことを言っていたのです。
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(真ん中は噴水になっているはずですが、なぜかフラワーポットが置いてあります。壊れたのでしょうか)
 
そこでペリーさん、「ガキの使いじゃあるまいし」と言ったかどうかは別にして、かなりお怒りになって、空砲を打ったり、浦賀から江戸湾をいまの横浜市金沢区の沖合にまで北上して測量をしたりと、けっこう強引なことをやりました。
誰だって、他人が勝手に家の敷地に入って花火を打ち上げたり、測量はじめたりしたら怒りますよね。
たいていの日本人はこうした黒船の振る舞いを見て、傲慢だと思ったはずです。
しかし、結局幕府には対抗手段がないため、受け取ることに決め、「浦賀では勘弁してください」という頼みだけはペリーがのんで、久里浜で親書を渡すことで双方が合意しました。
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(噴水は羅針盤としてデザインされていて、たぶん横浜からの方角と距離の場所に、姉妹港のプレートがはめこまれています)
 
浦賀と久里浜ってお隣同士で、違えることに意味がないと思われるかもしれませんが、浦賀は奉行所もある古くからの港町で人目もたくさんあります。
対して久里浜は人も少ない漁村でしたから、幕府としてはできるだけ受け取った事実を公にしたくなかったのでしょう。
浦賀は見物人でごった返していましたし、それらの人々の中には「黒船を追い払えない幕府は腰抜け」と感じていた人も大勢いたのではないでしょうか。
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(こちらは広場下からでてきた水道の遺構。こうしてのぞけるようになっています)
 
いまでも北関東あたりの豪農の蔵から、浦賀に行って描いてきた黒船のスケッチとかが出てくるそうです。
日本人ってほんと物見高いですよね。
そして、久里浜に臨時の応接所をたてて、そこで親書の受け渡しが行われました。
1853年7月14日のことです。
最初は与力(奉行の下で働く身分)にうけとらせようとしたのですが、「身分が高い者に対してしか国書は渡せない」とペリーがはねつけました。
けっきょく
「幕府の高官である」として受け取ったのは浦賀奉行でした。
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(久里浜のペリー上陸記念碑)

当時の浦賀奉行は決して身分の低い地位ではありませんでした。
江戸湾に入ってくる船を臨検する役目で、幕府直轄の奉行所ですから、旗本の中からしかるべき身分の者にしか勤まらなかった職務ですが、江戸城に詰めている役人ではありません。
ペリーも将軍拝謁(このとき徳川家慶は病気)は無理としても、せめて老中位の地位の者に渡したかったのではないでしょうか。
このときつくられた急ごしらえの接待所と、受け取った奉行の地位を、ペリー側も見抜いていて、「来年、その回答をもらいに来るので、今度はしかるべき人物がしかるべき場所で応接することを希望する」としっかり釘をさしてから帰ってゆきました。
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(旧イギリス領事館 いまは横浜開港資料館になっています)
 
それから幕府は攘夷と開国の間で板挟みになり、あわててあちこちの海岸に台場(砲台)をつくって各藩に警備を命じたり、西洋式帆船を起工したり(それも浦賀で)、ともかく準備はしていますよ、というポーズだけはとりました。
でも、どれも付け焼刃的な政策で、遅きに失した感がありました。
すると、ペリーは将軍(家慶)死去という混乱に乗じ、一年の約束を繰り上げて、半年後の18541月~3月に江戸湾へ押しかけます。
今度は倍以上の9隻で前回測量した金沢区の沖合までいきなり入ってきました。
そこで、浦賀にまわるよう説得し、再び話し合いがもたれました。
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(広場の脇に置いてある、居留民保護のための大砲と、大桟橋にあった時計塔のミニチュア)

条約の内容は、船舶への燃料や食料の供給、難破船への救済など人道的で穏当な内容だったので、(砲艦外交はともかく)不承不承ではあるものの、締結することになったようです。
そしてやはり今度も、条約締結の地をどこにするかで駆け引きになりました。
できるだけ江戸から遠い場所にしたい幕府側は、江戸の近くということであれば、鎌倉か浦賀でどうかと提案しました。
しかし、ペリーは前回(久里浜)よりも江戸に近い江戸湾内でという条件を頑として譲らず、聞き入れなければ羽田や品川沖まで軍艦を進出させると脅しました。
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(奥にある噴水。手前の羅針盤型の噴水とあわせて、海を表現しているのだそうな)
 
ペリーは、以下のような条件を提示したそうです。
(1)江戸から近い場所であること
(2)沖合に艦隊を整列させて、軍事力を日本に誇示できること
(3)交渉場所が艦隊からの射程距離におさまっていること
(4)汽車の模型や電信機を日本側に見せて、米国の工業力を誇る広い場所があること
 
幕府としては、東海道の宿場だけは勘弁してもらいたいところでした。
庶民の目にさらされやすく、そこで見聞されたものはあっというまに全国に広がってしまうので、幕府の権威も地に落ちてしまいます。
当時の横浜村は海に突き出した半島で、旧東海道とは浜続きではなく、横浜道も整備されていなかったため、野毛山の裏側を越えて大岡川の入り江をまわってゆくか、神奈川宿から舟で渡るかしかない辺鄙な場所でした。
つまり、長崎の出島のような条件を自然に備えていたわけです。
そこに目を付けた幕府側から「横浜村」と提案があり、米国側の条件にもかなっていたため、即座に決定しました。
ペリーとしては、横浜沖に軍艦を並べれば、東海道からでも見えると判断したのかもしれません。
要するに、横浜に決定したのは、双方の思惑による妥協の産物だったわけです。
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(奥の噴水から大桟橋の方をみると、一直線に中心線がのびています

128日午前中の会議で横浜に決定し、その日の午後には日米双方が黒船で移動して横浜村に上陸し、下見を行いました。
上陸後に双方が「ここにしましょう」と決めて目印の棒を立てた場所が、いまの開国広場です。
突然黒船が現れて上陸してきたのを見た横浜の村人たちは、戦争がはじまるものと勘違いして文字どおり右往左往したようです。
また、下見に同行した米国側の通訳ウィリアムズは、脇の方に下肥や堆肥が積んであるのを一瞥して、その強烈な匂いに閉口したといいます。
今回の日本側代表は老中阿部正弘から全権を委任された林大学頭です。
大学頭(だいがくのかみ)って、昌平坂学問所の長官で、いまでいえば東大の総長みたいな身分のお方ですが、やっぱりお偉いさんは直接出てきません。
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(テレビドラマのロケなどにも使われます)
 
こうして1864331日に、日米和親条約が締結され、横浜は日本の鎖国体制終焉の地であるとともに、開国の地になりました。
しかし、場所は妥協で決まったためか、横浜開港資料館所蔵の「ペリー提督・横浜上陸の図」を見ても、田舎で突然挙行されたセレモニーって感じです。
いかがでしょう。
そもそも「たまたま」だったと分かれば、のちに何を誇ったところであまり気にならないのではないでしょうか。
もしかしたら、千葉県の浦安あたりが貿易港になって、横浜には「神奈川ディズニーランド」ができて、文字どおり舞浜と改名されていたかもしれないのですから。
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