聖高原駅(36.455039, 138.047625)から17:17発の村営バスで聖湖へと向かいます。
麻積村営と書かれたマイクロバスで、日野リエッセでしょうか。
交付金の関係なのか、地域のコミニティバスではよく見かけるタイプです。
乗車したのは私を入れて3人。
一日2便で夕方は帰宅のためのバスですが、この利用率では大変でしょう。
お年寄りが利用するにしても、朝と夕だけではいかんともしがたい気がします。
でも、最近高齢の方が運転中に事故をおこしたり、高速道路を逆走したりと、いろいろ問題になっていますよね。
私は地方の公共交通機関には、がんばってもらいたいと思っています。
そういえば電車が駅に着いた時、迎えの車が何台か駅前に停まっていて、高校生なんかはみなそれらに乗り込んであっというまに駅前が無人になっていました。
駐輪場から自転車で帰った人は少なかった気がします。
あまり若いうちから車に乗るのは、どうかとは思うのですが、いまは安全の面からも、徒歩や自転車で帰宅する学生が、とくに地方において少なくなっているのでしょうね。
車社会の問題って、地方の方がディープですね。
バスに乗車した他の2人は、駅を出ていくつか目のバス停でそれぞれ降りてしまいました。
自転車でのぼったらどんなものだろうと思っていたので、途中聖高原までの国道403号線の状況を観察していました。
駅を出て市野川(36.478012, 138.060399)という集落までは自転車でもなんとかのぼれそうでしたが、そこから上の林間をつづら折りで登る国道は、ブロンプトンなら押し歩きかなと思うような急な坂が続きます。
また、集落を外れた場所から上の北国西街道は文字どおりハイキングコースですから、マウンテンバイクでも無理でしょう。
国道も街灯の無い植林された杉林の中をくねくねとのぼるので、夜来たら真っ暗でしょう。
ちょっとこの道を自転車でのぼるのは、あぶないかもしれません。
時刻表では17:34に聖湖(36.486966, 138.064969)到着予定となっていましたが、途中から乗ってくる人もおらず、後半は私と運転手さんだけだったため、17時半には着いてしまいました。
駅からここまで10分ちょっとです。
運賃は100円で、ちょっと申し訳ない気になります。
もし、ブロンプトンを漕いで登ったら、若い人でも40分は覚悟でしょう。
棚田からここまで自転車でのぼったら…考えただけでもゾッとします。
けっきょく麓の稲荷山駅から頂上の聖湖までおよそ50分340円の小旅行でした。
いや文明の利器というものはありがたいですな。
バスを降りると築堤の向こうに人造の湖が広がり、その向こうにスキー場が見えます。
湖はボート小屋があって、その向こうの桟橋では数人がつりをしています。
バブルの頃の負の遺産なのか、何年も営業していない廃墟ホテルがバス停の前に建っていて、寒さに加えてうら寂しい感じが余計にします。
スキー場も、ここが東京近郊ならいざしらず、長野県内でやってゆくにはあの高低差でリフト1基では県外からの客は呼び込めないだろうな、と思うほどに規模が小さいものです。
ただ、スキーやスノボの練習には良いかも知れませんね。
なお、4月末から10月末の間、スキー場のリフトが稼働していて、レールスライダーを楽しめるようですが、営業時間が8:40~17:00のため、夕方のバスで来ても終わっています。
気温は駅よりさらに低くて、13度。
じっとしていると寒いです。
バス停とは反対側の聖湖対岸が猿ケ馬場(さるがばんば)峠(36.489967, 138.065935)なので、ほとんどのぼらずに国道を下ることになります。
猿ケ馬場峠とは、面白い名前です。
聖湖はため池ですが、もとは猿ヶ場池といい、かつては沼地だったようです。
山のてっぺんに沼地?と思われるかもしれませんが、頂上近くに田代と呼ばれる沼があることは、それほど珍しくはないのです。
これ、山をやっている人なら知っていることだと思います。
猿ケ馬場峠には、悲し話があります。
戦国の昔、甲州の武田氏を滅ぼした織田信長は、旧武田家の支配地域だった信濃の統治を家臣の森長可(もりながよし1558-1584)に任せます。
しかし、北信濃の豪族たちはあの信玄でさえ手を焼いたつわものぞろいで、新しい支配者に心から服従したわけではありませんでした。
そこで長可は自身の居城である海津城下に、家臣となった地元の豪族たちの妻子を住まわせるようにしました。
いわゆる裏切りに備えた人質です。
ところが織田信長が本能寺で突如横死し、それが信濃の国人衆に知れ渡りました。
当然、不穏な空気になります。
長可は美濃方面に撤退すべく、城下の人質を連れて猿ケ馬場峠までのぼってきて、ここで人質をひとり残らず殺してしまいました。
森長可って、信長のお側衆で有名な森成利(蘭丸)のお兄さんです。
鬼武蔵ってあだ名で、勇ましくて豪快な人物として歴史小説に描写されますが、若いころにこんなエピソードもあったのですね。
当時の彼は20代半ばで、信長から手腕を試されたのでしょう。
のちに秀吉に仕え、小牧・長久手の戦いで戦死します。
峠の方は、下りはじめの右側に、廃業したガソリンスタンドがあり、そのすぐ下が旧北国西街道の入口になっていますが、6月の時点で草が背丈まで生えていて、とても入り込む気になれません。
ここから稲荷山宿まで、街道そのものは山道を下りますが、国道とは離れた山深い道のため、もし歩くのでしたら防寒具に熊鈴と食料、虫よけなどの山用の装備が必要と思われます。
旧街道も脇往還となると、整備され、大勢の人が歩く旧東海道とは比較になりません。
さて、国道403号線は、峠から1.2㎞くらいは斜面をトラバース(横切る)ように、ゆるく上り下りします。
6月なのに走ったら手がかじかんで、手袋が欲しくなります。
ただ、その後急な下りにかかり、植林されたカラマツ林の中を一気に下ってゆくと、寒さもどんどん和らいでゆきます。
途中ゴルフ場(36.492038, 138.079024)を通過するあたりで、気温は気にならなくなりました。
なお、冬は積雪、凍結のある寒冷地の山岳三桁国道ゆえ、路面はかなり荒れています。
小径車で下るときは、ゆっくり安全第一で、途中の景色を楽しみながらゆきましょう。
調子に乗ってスピードを出すと、もし転倒したならヘルメットを被っていなければダメージが大きいですし、パンクする確率も高くなると思います。
ただ、急な斜面をつづら折りで下ってゆくため、東側にひときわ高く目立つ冠着山(姨捨山)と、棚田よりずっと上から見下ろす善光寺平は、写真のとおり素晴らしい眺めです。
猿ケ馬場峠から5.9㎞下った、右手に展望台になっている場所(36.505578, 138.085075)で右折して長野自動車道の姨捨サービスエリアの方へ下ります。
折り返して長野道をくぐると、間もなく姨捨駅のすぐそばへおりてきます。
時刻は18時12分。
聖湖からここまで、およそ30分でした。
日は既に傾き、棚田は山の影にはいっています。
ふもとの善光寺平は夕陽に照らされています。
月はというとまだみえません。
この明るさで果たして月が撮影できるのでしょうか。
もう一度下りて、稲荷山から姨捨まで電車に乗る必要があるかと思うと、もう、田んぼに映る月は諦めて、空の月が撮れればいいやという気分になってきました。
次回は棚田の夕景から夜景についてご紹介したいと思います。