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2017年5月 鎌倉観光案内

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先日、ブロンプトンオーナーの方お二人をお連れして、鎌倉をごあんないさせていただきました。

ご希望により、かなりマイナーな場所を選んでまわったわけですが、一味違った鎌倉をご覧いただけたかと思います。

ただ、先日アメリカからの皆さんをご案内したときもそうだったのですが、わたしも即答できなかったり、頭の中で整理しきれていなかったりする場所があって、ここに改めて書いておこうと思います。

(写真は関係ない場所ですが。)

色々なひとをご案内させていただくと、改めて子どもの頃に育った鎌倉について、学ぶところが多いと感じています。

イメージ 1
(瀧口寺)
 

〇修道院って英語でなんて言うの?

鎌倉や江の島って、裏の方に修道院があるのです。

道から見えるのは教会部分だったのですが、あれは何?と訊かれてとっさに“church”じゃないし、修道院って何て言うのだろうと悩んでしまいました。

答えは“monastery”(男子修道院)って知らんがなそんなの。

女子修道院は“convent”だそうで、鎌倉から江の島にかけてあるそれは、両方とも後者のようです。

特に江の島近くの修道院は、今井兼次氏の設計です。

安曇野の碌山美術館とか、早稲田大学の演劇博物館、長崎の二十六聖人殉教記念館などを設計された先生です。

どうりで外見も特徴的だったわけです。

イメージ 2
(瀧口寺の前を走る江ノ電)
 

〇湘南モノレール江の島駅近くにある、日蓮宗のお寺、常立寺

反対側にある瀧口寺(日蓮上人が法難にあった=処刑されそうになった場所)より有名ではありませんが、お寺の境内に蒙古襲来(文永の役と弘安の役の間)の際に、元の使者として来日し、北条時宗によって処刑された杜世忠ら5名の墓があります。

その縁で、相撲の藤沢巡業の際にはモンゴル力士が参拝するようになっています。

 
イメージ 3
(光明寺阿弥陀堂)

〇北条氏のお屋敷があったのが宝戒寺(天台宗)。

その南にある妙本寺(日蓮宗)が比企一族のお屋敷があった場所です。

1203年、時の執権北条時政は、頼朝の妻であり頼家の母でもある政子と謀って二代目将軍の外戚として鎌倉幕府内で発言力を強めていた比企能員とその一族を、謀略によって皆殺しにしました。

これを比企能員の変といいます。

それは、わずか数百メートルしか離れていない宝戒寺のある場所に能員を呼び寄せて邸内にて斬殺し、すかさず謀反の嫌疑により討伐の軍勢を妙本寺のある比企が谷へと繰り出し、比企一族は自ら屋敷に放った炎の中で自害するか、逃げ出したものもことごとく首を刎ねられたという凄惨な事件だったそうです。

頼家ものちに修善寺に流されてその地で時政の子、義時の刺客に襲撃されて殺されていますし、三代将軍実朝(頼家の弟)の暗殺も、北条義時が糸をひいていたという説もありますから、鎌倉幕府の御家人同士の権力闘争って、すさまじいものがあると感じます。

イメージ 4
(お約束の大崎公園)
 

そのあとの北条氏と三浦氏の抗争(宝治合戦)の顛末なども、頼朝の墓のある法華堂跡で

整理してお話しできればよいのですが、なにせ鎌倉幕府の御家人同士の争いは、共闘を組んだかと思えば、邪魔になって暗殺し、挙句の果ては将軍まで亡き者にしてしまうので、とても非情かつ人間関係が複雑怪奇です。

日本史の教科書でも引っ張り出してきて、ノートに整理しようかと思っているところです。


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