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Channel: 旅はブロンプトンをつれて
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少しだけ視線を上に向けるだけで

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ブロンプトンに乗る習慣がついてから、自転車に乗っているときもそうでないときも、外にいるときにはよく空を見上げるようになりました。
視点が高くなったせいか、視線もやや上向きになるのでしょうか。
ブロンプトンのMハンドルやPハンドルが、アップライトな姿勢になるものだから、それだけでも仰角が増すのかもしれません。
もっとも、風の強いこの時期に上半身が立ち上がった乗車姿勢は不利ではあるのですが、そこは風と喧嘩せず、のんびり走ることで癒されています。
とくに仕事からの帰り道、今日の空は神々しいなと思うことがあります。
電車の中でも文庫本を目の前に持ちあげて読んでいます・・・ってそれは明らかに老眼のせいです(笑)
イメージ 1
(お茶の水にて ふと気が付くと車がいなくなったので、撮りました。ここはドラマ「仁」で「美しい夕日ですね、こんなに美しくてよいのでしょうか」と咲さんが言った場所です)

心理学などの本に書いてあることですが、人間は目線をわずか数度でも上にあげると、精神的に前向きになったり、気持ちが楽になったりするそうです。
上を向けば自然に背筋が伸びて両肩が開き、気道が開いて肺に空気が入ってきますし、瞳孔には余計に光が入ってくるので活き活きとしてくるのでしょう。
そこでやはり気になるのが、道を歩いている人たちの視線です。
スマホやタブレットを覗きながらの歩行は、もちろん危ないのですが、そうでなくても皆視線を下に向け、猫背で歩いています。
(夜道など、傍目にはかなり怖いものがあります)
あの人たちがもし、暗い世相や他者を非難したりくさしたりしている言葉をニュースやSNSなどで読んでいるとしたら、自分に置き換えたら意識がどんどん悪い方向へ持っていかれるのではないかな…などと勝手に想像してしまいます。
自分の側を正しいとし、相手や対象は間違っていると決めつけておいて、その自らの立ち位置の危うさ、稚拙さについては毫も疑おうとしない増上慢の人たちの文章は、読んでいても巻き込まれるだけだから近づきたくないです。
 実際にはそんなこと無いのでしょうが、私が世事についてあまりブログで取り上げたくないのも、いつか書いたように「悪いものを悪いと言ったところで何になる」と思っているからです。
イメージ 2
(ブロンプトンにまたがったまま撮りました)

世の中には、液晶画面の中よりもずっと素晴らしいことがたくさんあるのですから、せめて天気の良い日には、上を向いて歩きませんか。
たぶん、液晶は反射して見づらいでしょう。
信号待ちをしている間、スマホに目を落としているお母さん、乳母車まで視点を落として子どもと一緒に空を見上げて、あの雲は何に見えるか子どもと一緒に想像してみませんか。
子どもの想像力って、教育や知育以前に大人のそういう働きかけがあってはじめて芽吹くものだと思うのです。
イメージ 3

私が通った学校の校歌には、「神のいらっしゃる空を仰ぎなさい、神はわたしの遠い親、わたしの行いをよしとしてくださっている」という意味の言葉があります。
学校で歌っているときには何も感じなかったのですが、今になってみるとよい歌詞だよなと再認識しています。
その時に何をしていようとも、何もしていなかったとしても、ふと空を仰ぐ機会がふえた際に、創世記の記述じゃないですが、神が「よし」といってくださっていると感じられることは、とても幸せなことだと思います。
と同時に、下の方でブロンプトンが「さあ顔をあげて」と応援してくれているような気分になるのでした。
イメージ 4
(龍の頭?それともデンデンムシ? しかし美しい雲です)





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