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Channel: 旅はブロンプトンをつれて
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旧東海道へブロンプトンをつれて 31新居宿から32.白須賀宿へ(その2)

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新居宿を出て、橋本西交差点からおよそ4㎞、旧東海道は崖線に沿った道をひたすら西へ向かってきました。
宝永地震以前は白須賀宿のあった元町のはずれから、右へ曲がったらすぐに有名な潮見坂ののぼりにかかります。
最初の200mほどは直線で見通しが効き、出だしが緩いため楽勝かと思われるのですが、この坂は上へ行けばゆくほど勾配が増します。
それに坂自体は一番下から頂上まで460mもの長さで、途中踊り場のような一息つける場所もありません。
イメージ 1
(道の雰囲気はさすが、もと宿場のあった場所です)

ただ、直線部分をのぼって振り返ると、樹間の向こうに太平洋の水平線が盛り上がるように見えています。
このあたり、坂の途中や上から見る海は、いつも生き物のように隆々とした印象を受けます。
実際、海岸線沿いのやや西側には、国道1号線の潮見坂下に道の駅(34.677179, 137.499239)があるのですが、この付近はサーフポイントとして有名なのだそうです。
遠州灘はたとえ波の穏やかな日でも、普段から潮流の速い場所で、もちろん潮見坂下は遊泳禁止ですが、サーフィンをするには「波も高しの浜」がぴったりなのでしょう。
ここと薩埵峠が、海を間近に見下ろせる場所として、もっとも「東海道」の字義に近い場所だと感じました。
なお、このあたりでお昼近くなったら、食事は道の駅で済ませた方が賢明です。
なぜならこの先の白須賀宿には食事ができるところはほとんどなく、その次の二川宿まで国道沿いにコンビニが1軒あるきりですから。
それもブロンプトンがあるからできることで、徒歩で旧東海道と道の駅を往き来するのは多大なロスになりますし、難儀だと思います。
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(高札場・一里塚跡とお屋敷門)

 

潮見坂の手前で右折すると潮見観音(蔵法寺)経由で潮見坂の途中に出ることができます。
何度も急坂を上り下りするのは楽ではないのですが、こちらの方が多少は勾配が緩そうな気がして、いちどブロンプトンで登ってみたことがあります。
結果は、やはり楽ではありませんでした。
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(こちらは本街道の方。潮見観音入口を通り過ぎて、その先で右折します)

 

潮見観音(34.681254, 137.515186)は海中で漁師の網にかかって引き揚げられた木製の観音さまです。
むかし、遠州灘を往き来する船は、この沖合を通過する際は帆をおろして観音さまの名前を念じる習慣があったため、「帆下げ観音」とも呼ばれていました。
前述の宝永地震の際には、この下にあった本陣に宿泊中の池田綱政公の夢枕に立ち、「この地に大地震あり、早々に立ち去れ」と告げたため、彼は前日夜半に出立し難を逃れたと伝えられています。
観音の祀られている蔵法寺は海抜11.3mで、宝永地震の際にはここまで波は及ばなかったそうです。
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(潮見坂 右が基部から見上げたところ 左は途中から振り返ったところ)
 
寺の脇をとおり墓地を抜けた先の左側、少し奥まったところにあるのが「うなひの松」(34.681468,137.512420)です。
新しく植えられた松の脇に、おおきな松の切株が残っています。
うないとは、うなじのことで、潮見坂の首にあたる場所にあたることから、この名前がつきました。
しかし、首塚として植えられたからうないではないかとい説もあるのです。
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(蔵法寺とうないの松。松の方は何もなかったはずなのに、白い煙のようなものが映ってしまうし・・・)
 
大松の切株は、14764月に、今川義忠(今川義元のおじいさん)が討たれたのちに葬られた場所に植えられた松と伝えられています。
今川義忠は駿河と遠江両国の守護でしたが、尾張と三河の国の守護である斯波氏と勢力争いを繰り広げていました。
東側の隣国である伊豆・相模の北条早雲とは、彼の姉を正室に迎えることで誼を通じていたようですが、逆の西隣は争いが絶えず、その抗争のさなかにかつて征服した残党に襲われて命を落としました。
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(左;潮見観音経由の道と、潮見坂が合流する地点 右;さらにのぼってゆくと、別荘地からの道と合流します)
 
「枝一本折ってもオコリをふるった(祟りをもたらした)」と物騒な説明書きがついています。
それを読んだからというわけではありませんが、正直言って、あまり良い気持ちのする場所ではなく、ブログにて触れたくありませんでした。
 
実はこの松のある場所は、15m崖下が潮見坂の中腹にあたり、まさにその場所で20151月にサイクリング中の男性が通りがかりの男から道を尋ねられている最中に刃物で腹部を刺されるという通り魔事件があった場所なのです。
ニュース映像をみたとき、事件現場がくだんの松のすぐ下だったので、背筋が凍りつきました。
勝手に事件と松を結び付けたら、それこそ祟られそうですが、いまだに犯人が逮捕されたという話はききませんし、両側は木の生い茂る暗い場所なので、次に行くときは念仏か祈りを唱えながら足早に通り過ぎたいと思います。
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(坂の途中から振り返ってみる遠州灘。きれいです)

 

蔵法寺経由の坂と、旧東海道本道である潮見坂が合流した地点から先も、のぼり坂は続きます。
もし潮見坂を、バスを使ってパスしたいということであれば、蔵法寺下の中丁公民館前から湖西市のコミュニティバス「コーちゃんバス白須賀鷲津線」に乗るという手があります。
しかし、平日のみの運行で一日4便しかありませんので、確認の上利用してください。
乗れば台地上の移転した白須賀宿まで、100円で連れて行ってもらえます。
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(左;長い坂も携帯電話会社のアンテナが見えたら終わりです 右;おんやど白須賀)
 
坂をのぼりきって台地上に出ると、まもなく左手に「おんやど白須賀宿」(34.682919,137.509306)という看板を揚げた施設が見えてきます。
景勝地だし、海が見渡せる崖の上にたった旅館かと思いきや、湖西市が運営している白須賀宿の歴史拠点施設なのでした。
私が中を見学していると、後から観光バスが到着し、団体客の人たちが大挙して押し寄せていました。
さいきんは、こんな場所にまでツアー客がやってくるのですね。
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次回はこの施設の前から白須賀宿の中へ入ってゆきたいと思います。

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