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遠藤周作「沈黙」を読み返して(その1)―小説の主題はどこにあるのか―

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今月21日から映画「沈黙-Silence-」が公開されます。
そこで、昔から繰り返し読んでいる原作小説、遠藤周作先生の「沈黙」を再度読み返してみました。
同題の映画は1971年にも邦画(篠田正浩監督・監修に原作者)で製作されています。
私は原作に強い思い入れがあるために、かつての映画も観ていませんし、今回も観るかどうか決めかねています。
映像って強烈だから、小説のイメージを固定化してしまいそうで怖いのです。
ただ、カトリックの洗礼を受ける直前にも一度読んで、さらに今回は今までとはだいぶ違う印象を持ったので、書き留めておこうと思います。
 
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中学生のころ、三浦綾子先生の小説ばかり読んでいた私は、内村鑑三や有島武郎も含めて北海道の新教(プロテスタント)と結びついていて、それが北の大地へのあこがれにつながっていました。
だから中学時代の夏休みは毎年北海道で貧乏な旅をしていました。
ところが高校に入る直前くらいから、がぜん遠藤周作先生の小説に興味がわき、純文学・軽小説の区別なく乱読するようになりました。
すると、おのずと地理的な興味の対象が小説の舞台になっている長崎や神戸、東京の新宿界隈に移っていったのです。
当時周作先生は自分が通っている学校の近所に住んでいて、自宅に「狐狸庵」なんて名前を付け(お隣の駅には有名な「武相荘」もありました)、付き合いで飲むのは小田急沿線のターミナル、新宿だったようなので、小説のなかでも馴染み易かったのです。
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(新宿ゴールデン街 この付近が出てくる小説もありました)
 
前者の小説の主人公は、大概「信仰に生きる強い人」なのですが、周作先生の小説の主人公は、「神に惹かれながらも、なかなかついてゆけない中途半端な弱者」が圧倒的に多くて、そろそろ自分がどちらの人間か勘付きだしたものだから、主人公の気持ちに共感できるようになったのかもしれません。
なかでも「沈黙」は遠藤文学でいちばん有名な小説です。
学校の推薦図書にも含まれていましたから、課題提出ついでに読んだのが初見です。
当時高校生の私にはふだんテレビなどでふざけている先生の別の一面を垣間見たような気がして、こんな究極の選択みたいな過酷な歴史をモチーフに選んで、実は先生の芯にはものすごく冷たいとげが刺さっているのかもと感じていたものです。
同時に「やはりカトリックってプロテスタントに比べて何か後ろに湿っぽいものがありそう」などと感想をもちました。
(しかし、そのあとこの小説の一部が高校の現代国語の教科書に載ったときいたときには、著者はたぶんあの世で「まいったね」と頭を掻いているに違いないと感じていましたが)
 
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(イグナチオ教会 ここもたまに出てきます)

さて、物語の筋書きや要約はあちこちに出ているので省きます。
そこで、この小説の主題はどこにあるのかというお話です。
その前に、映画を観るにせよ、原作を読むにせよ、以下のようなテーマ外しのすり替えに陥りやすいので、二点ほど確認しておこうと思います。
まず、この小説を歴史小説ととらえることによる、政治的な問題への転嫁についてです。
「当時のイエズス会は大航海時代の競争と新教国への対抗から、植民地拡大の尖兵としてキリスト教を布教していた。
だから当時日本の為政者(秀吉や家康)が基督教を禁じ、切支丹を弾圧したのは正しい」との理由から、ゆえにこの小説に描かれる葛藤など考慮に値しないと切り捨ててしまう考え方です。
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司馬遼太郎先生は、毎年大晦日に京都の某ホテルを定宿にしていて、周作先生も全く同じだったため、ある時期互いにラウンジで飲んで会話するのを楽しみにしていたそうです。
ある年の大晦日の晩、司馬先生からむかしのキリシタン弾圧の苛烈さについて、信者としてどう思うのか話を振ったところ、「弾圧しなければ植民地化されていた」と大真面目に答える周作先生に、ちょっとしらけてしまったと書いていました。
これもご本人が書いていたことですが、司馬先生が小説を書く動機って、「あるとき仕事帰りに乗った電車のなかで、ふと向かい側の席に座っているサラリーマンに目をやると、急にその人に対する興味が湧いてきて、彼を主人公に小説を書いてみたくなる」という感じだそうなのです。
そして周作先生が「小西行長について小説を書いてみたい」というのを聞いて、自分には全く興味の湧きそうもない武将の名がでてきたので驚いた」とも感想を述べています。
司馬先生は新聞記者出身の歴史小説家で、かたや遠藤周作先生は信仰をテーマにした小説を書いていたから、動機も視点も全く異なっていたのだと思います。
当時の世界情勢や残された書簡などの資料から、ローマ教会の司祭が政治的な植民地獲得と結びついてキリスト教を布教していたのは事実でしょう。
あのまま日本のキリシタンが増加していったら、時の権力者にはかなり不都合なことになっていたでしょうし、宗教的な対立から争いが生じ、下手をするとそれに乗じた者によって本当に植民地になっていたかもしれません。
しかし、禁教の是非と小説のテーマとは、まったく次元が違うと思います。
 
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もうひとつ、当時の司祭は神の愛を説きながら、キリシタン大名の領地における神社仏閣、仏像の破壊を推奨し、外国人商人による日本人の奴隷売買を黙認していたじゃないかと史実をあげて、キリシタンへの過酷な弾圧ばかりをクローズアップしておいて、いっぽうでその原因ともなったこうした史実に小説が触れないのは、バランスが悪いという批判についてです。
キリシタンによる寺社や仏像破壊は実際にあったことです。
日本は奈良時代より以前に仏教が伝来し、崇仏・廃仏の争いを抜けて、土着の古神道と仏教が融合してきた歴史があります。
(この過程を調べると、日本人の宗教に対する態度に別な角度から光が当たって面白いと思うのです)
キリシタンが一神教を信じるがゆえに、他宗教を排斥しようと行動したことによって、その当時(別の宗門を排斥していた一向宗以上)にかなりのアレルギー反応が引き起こされたたことは想像に難くありません。
しかし、仮にキリシタンの側が建物や像の破壊にとどめず、神主や僧侶、氏子や信徒に対して改宗を求め、従わなければ弾圧していたなら、小説はより複層になっていたでしょう。
ぎゃくに「八百万の神にひとつ加えて」という話だったら、歴史はもっと変わっていたと思います。
現代の宗教会議で、ある司祭は神社庁のかたから冗談交じりに言われたそうです。
「私たちは『一緒に仲良くやりましょう』と申し出たのに、そちらが『相手を認めない』と言い張ったものだから、あんなことになったのですよ」と。
人身売買についても擁護する気はありませんが、戦国時代は戦に勝った側が負けた側の領主の家族や領民たちを自国へ拉致して売り飛ばすということは、普通に行われておりました。
そこに近代以降の価値観を当てはめてみても、歴史とのいびつな対話になるだけです。
(同じことは、「秀吉がキリシタン女性を妾にしようとして断られたから禁教に至った」というエピソードについても言えると思います)
いずれにせよ、「沈黙」のメインテーマは歴史ではありませんので、こうした史実を並べて批判しても、見当違いになってしまいます。
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(近所の蝋梅)
 
では、小説「沈黙」のテーマはどこにあるのか。
これは、映画をご覧になって興味をもったらぜひ原作と併せて読んでいただきたいのですが、周作先生の制作ノートともいうべき文章に、動機が明示されているのです。
「一枚の踏み絵から」と題されたエッセイから、転載してみます。
 
私はこの時代から何よりも知りたい「日本人と基督教」「基督教は本当に日本の風土に根をおろしたか」「強者と弱者」といった問題は全くと言っていいほど語られていないのであった。
 もちろん強かった人、殉教者については数多くの伝記や資料が我々の手に残されている。
これらの人々の崇高な行為にたいして教会も讃美を惜しまぬからである。
 だが弱者― 殉教者になれなかった者、おのが肉体の弱さから拷問や死の恐怖に屈服して棄教した者についてはこれら切支丹の文献はほとんど語っていない。
もちろん無名の転び信徒について語れる筈はないのだが、その代表的な棄教者についてさえ、黙殺的な態度がとられているのである。
(中略)
こうして弱者たちは政治家からも歴史家からも黙殺された。
沈黙の灰のなかに埋められた。
だが弱者たちもまた我々と同じ人間なのだ。
彼等がそれまで自分の理想としていたものを、この世でもっとも善く、美しいと思っていたものを裏切った時、泪を流さなかったとどうして言えよう。
後悔と恥とで身を震わせなかったとどうして言えよう。
その悲しみや苦しみにたいして、小説家である私は無関心でいられなかった。
彼等が転んだあとも、ひたすら歪んだ指をあわせ、言葉にならぬ祈りを唱えたとすれば、私の頬にも涙が流れるのである。
私は彼等を沈黙の灰の底に、永久に消してしまいたくはなかった。
彼等をふたたびその灰のなかから生きかえらせ、歩かせ、その声をきくことは― それは文学者だけができることであり、文学とはまた、そういうものだという気がしたのである。
(遠藤周作著『切支丹の里』中公文庫より)
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(某大型書店では、「沈黙」は平積みになっているのに、こちらは引き出しの中でした。マーケティングが甘いなぁ)
 
周作先生は、歴史にも政治にも相手にされなかった、弱者である棄教した人たちの痛みや苦しみに寄り添いたくて、小説「沈黙」を書きはじめたわけです。
強者の歴史や英雄譚であれば、想像力を逞しくすれば誰にでも描けます。
しかし、名も知れず歴史の闇に葬られた弱者の声を丹念に拾うのは、自らも同種の苦しみを味わった人でなければ、できないと思うのです。
中学生のはじめに、母に半ば強制される形で洗礼を受けた過去や、父の示した大学入試の条件にすべて応えられなかったこと、肺を病んで長いこと療養生活を送った経験などが、周作先生の弱者への連帯につながっているとよく言われます。
これは、強さに憧れ、勝ち組にならなければ人生意味がないと考えている人や、失敗を忌み嫌い、大過なく過ごせばそれでいいと考えている人からすれば、どうでも良いことかもしれません。
けれども、この歳になって思うのです。
人間、若い時のようにいつまでも強者を目指して生き続けることはできないのだと。
そして肉体や精神の衰えは誰も肩代わりできず、最終的にはひとりで死なねばならない事実を。
死への道筋において、失敗や挫折の無い人生が、たとえどんなに平安であっても、そこには学びも成長もないことを。
 
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(新宿;甲州街道)

小説を読めばわかりますが、沈黙は強者VS弱者のような単純なお話ではありません。
程度の差こそあれ、登場人物すべてに、ある種の人間的な弱点が垣間見えます。
そうした自己の弱さにひとはどう向き合うのか。
神はその弱さをどう受け止めるのか。
そういう視点でもって、次回は周作先生も指摘していた「日本人と基督教」「基督教は本当に日本の風土に根をおろしたか」について感じたことを書いてみたいと思います。
イメージ 9
(目黒;サレジオ教会)



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