今日は良いことを神父さまから聴きました。
キリスト教の概念のなかで、もっともわかりにくいのが「三位一体」という考え方です。
「三つが一つで、一つが三つ」って意味わかりません。
で、その三つなのですが、父と子と聖霊です。
父はキリストの呼びかけによればアラム(アラマイ)語で「アッバ」。
これ、日本語に訳すとまさに「とおちゃん」というニュアンスなのだそうです。
で、このお父ちゃん、有名なキリストの受難の場面に出てくる「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」(「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」)のエリ、すなわち「わが神」とイコールなわけです。
つまりキリストを遣わしたお方ということです。
キリストは、実在した歴史上のお方であるということでいいとして、問題は聖霊です。
聖霊ってあの、長崎でお盆に流す船の形をした…それは精霊(しょうろう)。
聖霊ってあの、ピーターパンに出てきたティンカーベルみたいな…それは精霊のうちの妖精。
ってな具合で高校生の頃は完全に勘違いしていました。
で後になって、神の息吹(これは聖霊がギリシャ語で「プネウマ」という単語であることからそういわれます)とか、風とか説明されたのですが、全然理解できない。
今日のお説教で、
父=見えない神
子=見える神=キリスト
聖霊=感じる神
であると。
そして、信仰とは「見えないものを求め、信じられないことを信じ、不可能を受け入れることである」とも。
聖霊を感じるためには、自分の感覚はまともでないと感じることはできないと思います。
自転車に乗って坂道を上り下りしなければ、大地のうねりを感じることはできません。
季節風に向ってひたすら歩いたりしなければ、風を感じることもできません。
いつも乗り物に乗ってばかりで、寒い外を避けていたら、PCに向ってばかりで家から出ることを疎んでいたら、感じられるものも感じられなくなりそうです。
教会から帰った後も様々な活動をして様々な人と出会えたために、聖霊のはたらきを感じることのできた一日でした。
ブロンプトンを漕いでいるときはものすごく寒かったけれど(笑)
キリスト教の概念のなかで、もっともわかりにくいのが「三位一体」という考え方です。
「三つが一つで、一つが三つ」って意味わかりません。
で、その三つなのですが、父と子と聖霊です。
これ、日本語に訳すとまさに「とおちゃん」というニュアンスなのだそうです。
で、このお父ちゃん、有名なキリストの受難の場面に出てくる「エリ、エリ、レマ、サバクタニ」(「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか」)のエリ、すなわち「わが神」とイコールなわけです。
つまりキリストを遣わしたお方ということです。
聖霊ってあの、長崎でお盆に流す船の形をした…それは精霊(しょうろう)。
聖霊ってあの、ピーターパンに出てきたティンカーベルみたいな…それは精霊のうちの妖精。
ってな具合で高校生の頃は完全に勘違いしていました。
で後になって、神の息吹(これは聖霊がギリシャ語で「プネウマ」という単語であることからそういわれます)とか、風とか説明されたのですが、全然理解できない。
父=見えない神
子=見える神=キリスト
聖霊=感じる神
であると。
そして、信仰とは「見えないものを求め、信じられないことを信じ、不可能を受け入れることである」とも。
聖霊を感じるためには、自分の感覚はまともでないと感じることはできないと思います。
自転車に乗って坂道を上り下りしなければ、大地のうねりを感じることはできません。
季節風に向ってひたすら歩いたりしなければ、風を感じることもできません。
いつも乗り物に乗ってばかりで、寒い外を避けていたら、PCに向ってばかりで家から出ることを疎んでいたら、感じられるものも感じられなくなりそうです。
ブロンプトンを漕いでいるときはものすごく寒かったけれど(笑)