先日、新居宿の話題で無人島漂流の記事を書いた際、かつて読んだデフォー著「ロビンソン・クルーソー」を本棚から出してきて、パラパラ斜め読みしていました。
そこで気がついたことを書いてみたいと思います。
なお、このブログは結構あの本の趣旨を参考にさせてもらっています。
特に副題の「行き着く先は云々」ってところです。
(児童書などを読んで筋が分かっている人も多いので、物語すべてを読む人は少ないかもしれませんね)
さて、かの小説はもしかしたら子どものころに児童書だけ読んで、正式な訳本は読んだことが無いという方も多いかもしれません。
なにしろ、岩波文庫もけっこう分厚くて上下二巻に分かれていますしね。
でも、あれほど色々な楽しみ方のできる話もなかなか無いと思いますから、ぜひ一度は通読してみてください。
最後には日本人の悪口なんかもちょこっとあるのですよ。
色々な楽しみ方といいますと、たとえば、自然科学者や農学者は彼がカレンダーをつけたことに注目します。
経済学者は、彼が簿記をつけるところに着目します。
で、今回の話題は心理学者や宗教家だったらまずここに目が行くだろうなという部分についてです。
のちにフライデーと名付けた原住民の相棒を得るものの、それまで彼はたった一人でした。
大概の人間は誰も相談する人がいないとき、周囲の状況を悪い方へ受け取りがちです。
ロビンソン・クルーソーの場合は、何がいるか分からない無人島に漂着したわけであり、明らかに逆境にあるわけです。
そして、「傲慢になる→挫折する→謙虚になる→元気が出る→また傲慢になる」というサイクルを繰り返します。
そんな中で、かれは下にご紹介するような対照表を作成し、自らを取り巻く環境をプラスに捉えるように自己を変えてゆきます。
この対照表、日本語では「貸借対照表」「棚卸表」と訳されることもあります。
悪い方を「借方-負債」良い方を「貸方-資産」と簿記の用語そのままで訳すため、はじめて見る人には「ええっ、貸借対照表って期末に作成するB/S(=バランスシート)?」って思われてしまいます。
しかし、欧米ではウィリアム・ジェームズが1892年にSelf Esteem(自尊心)の帰属の問題として取り上げて以来、個人の精神分析や心理分析用いられてきた、けっこう有名な表なのです。
もっともデフォーがロビンソン・クルーソーを著したのは1719年ですから、その100年以上前からこうした自己分析の対照表を、物語に取り入れていたことになります。
物事をはっきりと切り分けるところが、欧米の文化らしいですが、とても興味深いので、ちょっとご紹介しましょう。
とまぁ、目の前にある現実をこんな風に悪い見方と良い見方に切り分けた表を作成するわけです。
注目すべきは、「良い点」の方に二カ所「神が…してくれた」という記述があることです。
事実、彼は表を作成した直後にこんな感想を漏らしています。
”Upon the whole, here was an undoubted Testimony,that there was scarce any Condition in the World so miserable, but there was somethingNegative or something Positive to be thankful for in it; and let this stand as a Direction from the Experience of the most miserable of all Conditions in this World, that may always find in something to comfort our selves from, and to set in the Description of Good and Evil, on the Credit Side of the Accompt.”
『要するに、この世の中でまたとないと思われるほど痛ましい境涯にあっても、そこには多かれ少なかれ感謝に値するなにものかがあるということを、私の対照表は明らかに示していた。
世界中で最悪の悲境に苦しんだものとして、私が人々にいいたいことは、どんな悲境にあってもそこにはわれわれの心を励ましてくれるなにかがあるということ、良いことと悪いこととの貸借勘定ではけっきょく貸し方のほうに歩があるということ、これである。』
長いでしょう。
でもこれで一文なのです。
長いでしょう。
でもこれで一文なのです。
(ロビンソン・クルーソー(上)デフォー作 平井正穂訳岩波文庫より)
こうして彼は神についてそれまで無関心でいたにもかかわらず、無人島では毎日聖書を読む習慣をつけます。
そして道具ひとつ握ったことのない手で道具をつくり、勤勉と努力と工夫で必要なもの、欲しいものは何でも手に入るようになります。
ということは、自分に必要なものと、不要なものの区別ができるようになったのだと思います。
そして聖書の、「わたしは、決してあなたから離れず、決してあなたを置き去りにはしない」(「ヘブライ人への手紙 第13章第5節)という言葉に触れます。
そこで彼は、全世界から見放されても、神から見捨てられていない自己と、全世界を得ても、神から見捨てられた自分を比較して、別の人生を歩んだらもっと幸福になれたかもしれないけれど、世間から隔離されたこの孤独な生活にあってもなお、より幸福になれる可能性があることに気付くのです。
いつだったか、渡辺和子さんの講演で出てきた「自分を大切にするとは、利己主義ではない。むしろその逆。どんな自分でも見捨てないという魂。どんな自分であっても大切にするという愛情」というのは、具体的にいうとこういう状態をいうのではないでしょうか。
もし、いま自分は逆境にあると感じている人がいたら、特に、「もう命を絶つよりほかに道はない」などと考えている人がいたら、ぜひロビンソン・クルーソーの作成した対照表をつくってみてください。
そういう心理状態のとき、悪い点はたくさん書けても、良い点は書きにくいかもしれません。
けれども、悪い点のなかに良い点を見出すことは、決して不可能なことではないと思います。
ポイントは、視点をより高いところへ持ってゆくことでしょうか。
「死にそうに苦しい自分」にとらわれるのではなく、「そんな境遇にあってなお、生きている現在の幸運」を拾ってみるのです。
たとえば自分はそんなことを全く信じていなかったり、思っていなかったりしても構いません。
とにかく出鱈目でもいいから書いてみることです。
視界を広げることで、視野狭窄に陥っていた自分から抜け出すこともできます。
単なる冒険小説だと思っていた自分は、この作品を読んで、様ざまな困難にも色々と得るものがあるということを改めて教えられました。