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ブログ開設四周年にあたって-苦しみのなかにある希望

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2012年の83日にブログを開設してから、本日でちょうど4周年となりました。
先日800回目の投稿でも申し上げましたが、今日からもう少し間隔を開けようと思います。
(実際には予約投稿しているのでもう少し先になりますが)
私は自分の中に妙に根暗な部分があって、これまでに自分は何のために生きているのか、時どき懐疑的になったりして参りました。
そんな自分に向けたひとり言を、今日は綴ってみようと思います。
 
イメージ 1
どうせ一回限りの人生。
できれば楽しく前向きに生きた方がいい。
その通りです。
明るく、前向きに生きられるのなら、その方が良いに決まっています。
だって、周りの人を巻き込んで暗くするよりましですから。
 
しかし、勘違いしてはならないとも思います。
楽しく生きるに越したことはないけれど、人は楽しみのために生きているのではない。
いや、楽しみのために生きてはならないとV.E.フランクルはいいます。
自分なりに換言すれば、ひとは楽しみを目的に生きてはいけないということです。
人生の苦しみや悲しみと楽しみを、貸方と借方に仕分けしたなら、どれほど割に合わないバランスシートが出来上がることでしょう。
また、どんなに大きな享楽を追及したところで、それで満たされることは決してないし、それが生きがいにはならないという事実を、私は実感として感じております。
人間の欲望には、きりがありませんから。
 
イメージ 2
(三島 大場川から富士を望む)

生きることは義務である。
そしてまた、生きることは苦しみでもある。
しかし、この一度しかない人生において、苦しみを引き受けることによって、たった一度の人生においてそれぞれの人は何らかのことを成し遂げるチャンスが与えられるのかもしれません。
詩人ゲーテは「なにかを行うこと、なにかに耐えることのどちらかで高められないような事態はない」という言葉を残しています。
 
人生を旅に置き換えて考えてみましょう。
日本橋から京都へ向かって進んでいる最中、道中の途上では苦しみが大半を占めていました。
炎天下のなか、陽炎のたつ国道の歩道を、干からびそうになりながら無理やり顔をあげていたとき。
下から吹き上げるような偏西風に、のけぞりそうになる自分をこらえながら、うつむいていたとき。
そして、予報にもなく突然降り始めた雨に、いまいましく天を仰いだとき。
 
イメージ 3
(舞坂宿 常夜灯)

いっぽうで、刻々と表情を変えてゆく富士も、浜名湖に差し込む朝日も、鈴鹿山地の彼方に沈む夕陽も、旧東海道を丁寧にたどらねば出会えなかった情景です。
そうした美しい情景が苦しみをすべて帳消しにしてくれたなどと、嘘偽りをここで申すつもりはありません。
けれども、中身が大半の苦しみと、僅かな癒しであったとしても、旅には希望がありました。
なぜなら、莫大な苦しみであれ、その隙間に散りばめられた瞬間の楽しみであれ、その人が経験したことは、他の誰にも奪えない当事者自身の財産なのですから。
イメージ 4
(雨の鈴鹿山中)

「人生には無駄なものなどひとつもない」
私は遠藤周作先生のこの言葉が大好きです。
苦しむことは人生において無意味だ、何ももたらさないと自分勝手に断じる前に、ぜひその中にある希望を思い出して欲しいと思うのです。
そしてたとえ苦悩の真っ最中にあっても、その苦しみが自分に何を問いかけ、またどんな態度や行動を求めているのか、感情の罠にはまることなく向き合ってみて欲しいのです。

そして、予測される困難を恐れて一歩が踏み出せないのなら、その苦しみを引き受ける勇気を与えて欲しいと祈ることからはじめてみるのはどうでしょう。
旅立ちの日、不安をおぼえない旅人など、どこにもおりません。
しかし、それを振り切って出かけたとき、不安や苦しさが何を与えてくれたのか、すでに旅を経験したひとはわかっています。
今日、明日とまた、こうした旅の原点に立ち戻りつつ、一歩を踏み出す勇気を求めてゆこうと思いました。
イメージ 5
(もう秋の気配が…7月29日)

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